第22話 初花の集い

 入学してから一か月と少したったころ、「初花の集い」が開かれた。

 授業は午前中で終わって、昼食の時間に学園の大講堂に行く。学園長から簡単なあいさつがあって、あとは思いおもいにおしゃべりをする。壁際におかれたテーブルには、食べ物と飲み物がおかれてる。それを手にした生徒たちが、大講堂のあちこちに置かれた小テーブルに集まってる。

 昨日、担任のクラーク先生が、そしてさっき学園長も、今日は交友を広げる場だって言った。それにならって、みんな知らない人にも声をかけてるみたいだ。

 俺? 俺はといえば。


「君は、大魔法使いノア・カーティスだろう? しゃべってみたいと思っていたんだ。僕は――」

「なれなれしく話しかけるな、無礼者!」


 最初に声をかけてきてくれた相手にそう返事をして以降、安定の一人ぼっち空間を形成してる。

 みんな制服だけど、普段よりもオシャレをしてる人が多い。大きなブローチをつけたり、豪華なタイピンをつけたり、髪を華やかに結い上げたりっていうふうにだ。もちろん全員じゃなくて、俺みたいに普段通りの生徒もいる。

 オードリー嬢は、中央付近のテーブルで数人の女子生徒と話していた。黄巻バネヅタ……じゃなくて長い巻き毛は少しの乱れもなく整えられていて、あいかわらずぎゅんぎゅん渦巻いてる。後頭部には髪飾りがあった。

 三日月形の髪飾りは、ピンクがかった金でできてた。青や赤の小さな石が埋め込まれてて、縁は白い石に隙間なく覆われてる。三日月の周囲には細くうねった金の筋が左右に伸びてて、雲みたいだ。異国風でかわいくて、正式なパーティにつけていけるほどの格はないけど、少しおめかしをしたいときに気軽に使えそうだ。

 エミリア嬢が作ったのかな。

 暇だったから、少し離れた場所でオードリー嬢を見ていた。というか、エミリア嬢が彼女に話しかけるのを待ってた。でも、時間は過ぎていくのにエミリア嬢は一向に登場しない。

 ここにいるとは思うんだよなあ。全員参加だし、彼女がオードリー嬢と話をするのをためらっていても、逃げたほうがあとが怖いって思ってる気がする。おもに俺からの怒りがだ。だからいまは、オードリー嬢のところに行こうとして、勇気を振り絞ってる最中なのかもしれない。

 もしそうだったら、会が終わるまで待っても振り絞りきれないかもしれない。


「なにしろ、あの愚図でノロマで優柔不断なバカだ」


 うーん、なにかきっかけになることがあったほうがいいのかな。たとえばエミリア嬢の知ってる人間がオードリー嬢と話してたら、その輪に入ってこれるとか。

 俺が知ってる二人の共通の知人は、アルバートとルイーズ嬢だ。だけどアルバートは、ここぞとばかりにたくさんの生徒に囲まれてる。ルイーズ嬢は、学年がちがうからそもそもいない。

 だったら、やれるのは俺しかいない。

 俺は、努力はした。褒めようとしたんだ。その髪飾りすてきだね、どこで手に入れたのかな? って。エミリア嬢の作品だったら、そこから話を広げられるかもしれないとも思った。


「きさまのような虫けらには、もったいない髪飾りだな。俺の目を惹いたことを光栄に思うがいい。どこで購入した?」


 周囲が一気に静まり返った。

 オードリー嬢が俺に冷たい目を向けた。そりゃそうだ。一年生全員がいる場所で侮辱されたら、怒って当然だよね。


「返事はどうした。まあ、俺に声をかけられて感激に打ち震えるのはわかるがな」

「なぜ、わたしくしが、ノアさまに答えなければならないのでしょう」

「俺が話しているからだ。本来なら、きさまのような愚民に質問するという手間などかける価値もないところだ」


 俺とオードリー嬢のあいだの空気がトゲトゲしくなっていく。こんな俺たちにあいだに、エミリア嬢が割って入れるわけがない。後日、「初花の集い」の様子をアルバートからきいたルイーズ嬢は、「むしろ、きみが話しかけてどうして上手くいくと思ったんだい、ノアくん」ってあきれられた。俺だってこうなる予感はしてたけど、暇だったし、なにかしたかったんだよ。

 みかねたんだろうアルバートがやってきて、とりなそうとしてくれたけど、高慢絶好調の俺はその気づかいに後足で砂をかけることしかできない。

 このままではエミリア嬢が声をかけにくくなるだけだから、いさぎよく撤退しよう。


「その髪飾りだが、よく見るとたいしたものではないな。子ども騙しで、正式な場では見向きもされない品だ。ロクに腕のない奴が作ったとみえる」


 このときまでは、憤慨していたとしてもオードリー嬢は貴族令嬢にふさわしいふるまいをしていたと思う。俺からの言いがかりを、できるだけ怒りを抑えて対処しようとしていた。だけど俺が髪飾りをけなしたとき、顔色が変わった。真っ白になって、それから徐々に頬に赤みが増していった。


「貴族の令嬢を飾るに足る品がない。こんな小さなものさえまともに作れないとは、センスの悪い職人だったんだな」

「黙りなさい」

「なんだと」

「黙りなさいと言いました。エミリア! どこにいるの、出てきなさい!」


 なんと、オードリー嬢がエミリア嬢を呼んだ!

 いまや俺とオードリー嬢は注目の的だ。こんなところに自分から来ることができるほどエミリア嬢は豪胆じゃない。だけどまた、名指しで呼ばれて無視できるほど彼女の心臓が強くないのもたしかなんだよなあ。

 案の定、あたふたとエミリア嬢が駆けよってきた。


「あなた、エミリアに謝罪しなさい」

「意味がわからん。理由がないな」

「彼女がこの髪飾りを作りました。わたくしは、宝飾師としてのエミリアを侮辱する者を許す気はありません」

「ハッ。だから、なんだ。きさまごときが許さなくて、俺になんの不都合がある」

「謝罪なさい」

「そうする理由がないと言った。それとも、率直な感想を許さないほど、その宝飾師とやらの腕に自信がないのか。誉めことばしか受けつけないと? くだらんな」

「率直? 悪意に満ちたいわれのない非難でしょう」


 俺とオードリー嬢の言い争いに、青い顔をしたエミリア嬢が「あの、あの」と口をはさもうとしては失敗する。それでも果敢に諦めず、六度目の挑戦で彼女はオードリー嬢の目を自分に向けさせることに成功した。


「オードリーさま、あの、よくわかりませんけど、わたし、謝罪はいりませんから」

「エミリア、あなたに宝飾師としての誇りはないの!」

「腕が未熟なのは……そのとおりですし……」

「そういう問題ではないわ。なにもわかっていない人間から嘲笑されて、それを受け入れるのは、自分をその程度の職人だと認めたも同様でしょう」

「俺が、なにもわかっていないだと? なんたる侮辱だ! 二人とも、跪いて俺に謝罪しろ」

「あなた、頭がおかしいんじゃなくて!?」


 いつか言われると思ってた!

 オードリー嬢は俺にエミリア嬢に謝罪しろと主張して、俺はオードリー嬢とエミリア嬢が俺に謝罪すべきだと迫る。呪いのせいで傲慢なノアくんと、元から気位が高い山くらいあるオードリー嬢がぶつかり合う戦場から、最初に脱落したのはエミリア嬢だった。


「たいした腕前でもない人間が職人を名のるとはな。恥というものを知らないとみえる」

「腕がない? この髪飾りは、エミリアが一〇歳のときの作品ですの。この子は、一流の――」

「もう、やめてください……」

「あなたのことなのよ!」

「……わたしは、いいんです。もう、職人にはなれない……からっ。放っておいてください、うわぁんっ!」


 そう叫んで、背を向けて走り去ってしまった。

 とっさにオードリー嬢が追いかけて、広間を出て行く。驚いた分だけ遅れて、俺も二人のあとを追った。

 廊下の先を曲がろうとしているオードリー嬢をみつけた。大講堂がある棟と授業を受ける棟は、渡り廊下でつながってる。角を曲がると、その渡り廊下の手前でオードリー嬢がエミリア嬢の肩をつかんでた。追いついたというより、二人とも息が切れてそれ以上走れなくなったようだ。

 俺は、毎朝ティリーと走ってるから平気だった。訓練は大事だ。


「どうして……逃げるの……よ!」

「だ……って……、謝罪は……いらない……」


 二人のあいだに入るべきかどうか判断がつかなくて、俺はとりあえず近くにあった大きな花瓶の陰に隠れることにした。


「あなたが、いつまでも自分のことを卑下するから、見る目のない者にまであなどられるのよ!」


 エミリア嬢は、深くうなだれてた。でも急に顔を上げて、決死の覚悟を決めたようにオードリー嬢をにらんだ。


「ななな、なぜ、いまさら、そんなことおっしゃるんですか! ず……ずっと、わたしのこと、遠ざけてたのに……!」


 小柄なエミリア嬢がつめよると、オードリー嬢の鼻先に頭のてっぺんがくる。オードリー嬢がとまどったように一歩下がった。


「わかって、ます。わたしが、物を作れなくなったから、ですよね。オードリーさまにとって、価値が……なくなったから……」

「誰が、そんなことを」

「作れないなら、目の前から消えろって! 学園からいなくなれって! 言われました……!」


 オードリー嬢がぐっとつまる。それは本当のことなんだろう、俺も聞いたしな。


「だから。しかたないんだって。そう思って……。わっ、わたしのこと、いらないなら、どうして声をかけるんですか! もう見捨ててくださいっ」

「エミリア……」

「いままで、ありが……とう、ご……」


 エミリア嬢は、オードリー嬢と絶縁する方を選んだんだ。そう思ったら、オードリー嬢が氷みたいな声を出した。


「エミリア。あなた、宝飾品が作れるようになったの」


 急な話題転換に、エミリア嬢がきょとんとする。それから、そんなわけないって、眼鏡が飛んでいきそうな勢いで首を左右に振った。


「それなら、治療法がみつかったか、治すあてができたのかしら」

「い、いえ……?」

「だから、わたくしは不要だというのね」


 オードリー嬢が、肩にかかった髪をバサッと後ろにはらって胸を張った。見下ろされたエミリア嬢が、天敵に遭遇した小動物みたいにブルブルする。


「あなた、最近ルイーズさまに目をかけていただいているようね。新しい後援者をみつけて、わたくしから乗り換えるということかしら」

「そんなこと、ないです! ルイーズさまが後援者だなんて、まさか」

「ルイーズさまとお会いしている。それは事実でしょう。それとも後ろ盾はアルバートさまかしら。まさか、あのノアさまということはないでしょうけれど。まあ、よかったわねえ」


 オードリー嬢が口元に手を当ててわざとらしく笑う。それから一転して、柳眉を逆立てた。


「もっといい条件の相手が現れたから、わたくしの依頼を金の宿り木工房に回したのね」

「依頼……? 工房が、どうしたんですか?」

「しらじらしい。このあいだロバート工房長が言いに来たわ。あなたは物を作れなくなった、これからは、わたくしの注文はあなた個人ではなく金の宿り木工房が受ける。その手始めとして、ウーンデキム祭に出品する杯を制作しているとね」

「ええっ!? わたし、知りません!」

「なにを知らないというの」

「全部です。オードリー様の依頼を工房が請け負うのも、杯を工房で作ってるっていうのも、初めてききました……」

「なんですって! おかしいと思ったのよ。ああ、もう、ずっと言っているでしょう、あの男はあなたの才能を食い物にしているだけだって。あなたのことを認めない工房とは、早く縁を切りなさいって!」


 なんと、ここで盗作疑惑のお兄さんが登場だ。オードリー嬢も、お兄さんのエミリア嬢にたいする態度には反発してるみたいだな。とはいえ、食い物にしてるんじゃないかっていう疑いは、俺たちはオードリー嬢にもかけてるんだけどね。


「だけど金の宿り木工房は、チャップマン家の直属で……あそこに追い出されたら、実家でさえまともに働けないわたしを雇ってくれる工房なんて、ないと思います……。それにロバート兄さまは、成人の儀を終えたら、正式に契約して、もっと作らせてくれるって。いえ、わたしがこのままじゃ、契約はしてもらえないかもしれませんけど……」

「その契約はやめなさいと、何度言えばわかるの!」


 なんか、思ってたよりオードリー嬢は、エミリア嬢のことを心配してるのかな。


「あの……、でも、どうして杯を工房で作ってるんでしょう。たまたま新作が、杯だったんでしょうか?」

「そんなわけないでしょう。完成図としてみせられた画は、あなたのデザインが元になっていたわ」

「だけど、わたし、工房の人と一緒に作ったりしてませんよ?」

「デザイン画を勝手に写したか、試作品を元にしたんじゃないの。何か所か装飾が削られて、その分宝石の数が増えて、俗悪になっていたわ。悔しくないの、エミリア。あの杯は、あなたが半年以上前から準備してきた作品よ」


 エミリア嬢の視線がうろうろとさ迷った。両手が胸の前で握り合わされたり開かれたりするたび、ことばが途切れ途切れにこぼれていく。


「……いまの、わたしじゃ、あの杯は作れません……。だったらこのまま埋もれてしまうより……あの子をかたちにしてやれる人がいるなら……」

「あの杯をデザインしたのは、あなたでしょう! あなたが考えて、あなたが何度も失敗して、制作できるものにおとしこんだのよ」


 オードリー嬢がどう言っても、エミリア嬢は自分が作れないってことをくり返す。

 あ、そうだ。そういえばこのあいだ、オードリー嬢に確かめそこねたことがあったんだ。今日のオードリー嬢の態度をみてたら、あのとき考えたことは間違いだった気がしてきた。いまを逃したらいつ機会があるかわからないし、訊いてしまおうかな。でも用心のために、質問したのが俺だってバレたくない。どうしよう、変装でもするか。

 テーブルクロスを被るとか、なにかできないかと思って、物を探しにこの場を離れようとした。後ろを向いたら、アルバートがいた。

 うわっ!

 ぜんぜん気がつかなかった。とっさに口を押えて、大声をださなかった俺、えらい。


「おまえ、いつからいた」

「君たち三人が場を騒がせただろう。その収拾をつけて、様子をみにきたところだよ」


 大講堂のことには、まったく頭がまわってなかった。とりあえずアルバートが状況を確認するっていって、他の人が来るのを回避してくれたらしい。さすが、気が利くな。


「俺は用事ができた。すぐもどってくるが、それまでは、おまえがあいつらを見張ってろ」


 言い捨てて、俺は廊下を走った。

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