第14話 図書室での実験
学園が休みの日の夕方、屋敷の図書室で本を広げてたらティリーがやってきた。
「兄さま、お勉強中? あれ、それってわたしがあげた教科書だ」
俺は、遅れてる分の勉強をしていた。ティリーが使っていた教科書をもらって読んでたけど、わからないことがあったから、夕飯までのあいだ図書室で調べものをしていた。
ティリーが去年やった内容だから、教えてっていえたらよかった。しかし我が妹の成績は、体を使う科目は超優秀、頭を使う科目は超低空飛行という、ひじょうにはっきりしているものだった。
「お手伝いしようか?」
「俺がおまえに勉強を教わる日など、天地がひっくり返ってもくるわけがない」
「だよね。兄さまが賢いのは知ってる!」
ほがらかに言ってくれる。俺の妹は、ひかえめにいってもイスヴェニア王国一すばらしい。
ティリーは、薄いオレンジ色の七分袖のワンピースを着てた。飾り気のない室内着だけど、明るいかんじが活発なティリーに似合ってる。
「ちょうどいい、魔法の実験台になれ」
「うん、わかった」
「そこのソファに仰向けになって寝ろ」
「はーい。これでいい?」
突然の命令にも、疑問一つはさまずにしたがってくれた。信頼されてるなあって感動すると同時に、あんまりにも素直すぎて、お兄ちゃんちょっと不安。悪い人間にだまされないでくれよぉ。
「寝心地が悪いや、えいっ」
ポニーテールの結び目が、クッションに当たって痛かったらしい。リボンをほどいてサイドテーブルに乗せた。肩の下くらいの長さの髪がパラッと広がる。眠りの魔法をかけたら、すぐ青い目を閉じた。
ティリーの左手をとって、内側を上にした。そこにティリーの魔法紋がある。直径三シーエムくらいの円に、赤い色で魔術式がびっしり描きこまれてる。
『兄さま! あのね、わたし、身体強化の魔法に適性があったの。やったー!』
去年の夏、魔力鑑定式から帰ってきたティリーは、満面の笑顔でそう報告してくれた。
ティリーは騎士志望だから、身体機能を向上させることができる魔法の属性があったのは幸運だった。その晩は、俺と両親でティリーのお祝いをした。
『ノアは魔法使い、ティリーは騎士。我が家の子どもたちは、自分の将来をしっかり考えているな』
父さまはニコニコしてた。
そういえば、カーティス伯爵家の後継者はまだ決まってない。長子が選ばれることが多いけど、俺とティリーは年子だし、二人そろって当主教育を受けてる。
爵位を継ぐのに、性別は関係ない。これはイスヴェニア王国の決まりだけど、他の国では男しか家督を継ぐ権利がない場合もあるってきく。似たような制限に婚姻関係がある。この国には異性同士の夫婦もいれば同性同士の夫婦もいる。だけど、そうではなくて異性同士しか婚姻関係を認めない国は多いらしい。
こういう特徴は、イスヴェニア王国が魔法大国だからっていうのが大きいって学んだ。性別の違いによる差異のうち、魔法で埋められるものはいろいろある。それに強力な女性の魔法使いがたくさんいたから、彼女たちの力を無視することはできなかった。
あと貴族は血筋を気にするけど、この国では魔力もおなじくらい重要視されてる。だから貴族は、魔法紋に自分の家紋を入れる。魔法自体にはなんの影響もないけど、そうすることで魔力に家紋の特徴がつく。たとえ血のつながりがなくても、魔力のつながりができるんだ。
こういった風習は、もともとあったものじゃない。昔は、家は男子しか相続できないし、結婚も他の国と似たようなものだった。だけど何度かの大きな戦や内乱、改革を経て、いまの制度になっていった。
国史が苦手な俺でも、それくらいは家庭教師から教わってた。
ティリーはソファですかーっと寝てる。乱れた髪を整えてやりながら、寝顔をのぞきこんだ。
「おまえが家を継ぐか、俺が継ぐかか。他人の将来など、どうでもいいことだがな」
家のことについて、両親やティリーとちゃんと話をしたことはない。
正直、俺は伯爵位に興味はない。爵位を継がない子どもは将来は自分で稼がなきゃならないけど、俺は魔法使いとしてなんとかなるだろう。というか、うちの次期当主が確定してないのは、俺が六歳で塔に行きだしたのが大きいんだろうなあ。長男が魔法使いでやっていくなら、長女が家を継ぐ可能性が高くなるって考えたんだと思う。
でも、ティリーは騎士になりたがってる。騎士が当主なのはめずらしくないけど、それは魔法使いだっておんなじだ。ティリーが家を継ぎたいなら問題ないけど、いやだったらどうしよう。
「剣を振るうしか能のない愚妹ができる程度のことを、この俺がこなせないわけはない」
後継者問題が現実のものになったら、家族会議をひらいて話し合おう。ティリーが好きな人生を選べるように、俺は覚悟しておこう。
お兄ちゃんは、ティリーが幸せになるよう力をつくすのだ。
ポケポケ寝てる妹をみてたら、気持ちが先走ってしまった。跡継ぎの件が本格化するには、まだ時間があるはずだ。それより先になんとかしなきゃならないのは、グラン・グランの呪いだよ。
入学初日にトレヴァーが自分の呪いを告白したことは、俺にとってものすごく助かった。
『ぼくの呪いは、「まるいものを食べると、まるくなる」です!』
告白したことで、トレヴァーの呪いは俺から外れた。でも発動しなくなったっていうだけで、魔術式は俺の体に残ってたんだ。だからそれを解析できた。
魔力を魔法に変換する媒体が魔法紋だ。魔術式は、魔法紋で変換する条件を表したものになる。たとえば、「もし魔法紋の主が『火の魔法を発動する』と唱えたら、規定量の魔力を体外に放出する(規定量は「魔力量の条件文一」を参照する)」、「もし魔術紋の主が『三分間』と唱えたら、魔力を三分間放出する」――こんなかんじの条件を組み合わせたのが魔術式で、それが発動したものが魔法になる。
トレヴァーの呪いの魔術式は、いやもう複雑だった!
呪いの「まるいものを食べる」は、「口内に球状のものが入る」、「対象物が胃に到達する」っていう魔術式だった。「体がまるくなる」は、顔、胸、腹部、背中、臀部、上腕、前腕、手、大腿、下腿、足に分けて、それぞれの割合が数値で指示してある。やたらめったら膨大な量の魔術式がからみあって、「まるいものを食べると体がまるくなる」っていう呪いを完成させていた。
めっちゃくちゃ厳密で緻密な魔術式だったんだよ!
契約したとき、精霊はグラン・グランの呪いはバカバカしいものだって話してた。だけど、こうも言われた。
『魔法の内容がバカバカしいだけで、魔法そのものが弱いとはいっていない』
その意味が、やっとわかった。こんな魔法を、どんな人に降りかかっても不具合が出ないように発動させるなんて、並大抵の魔法使いじゃまず無理だ。
グラン・グランは天才なんだって、あらためて実感した。
ところで、そんな呪いがあと九十八あって、俺はそれらを解かなきゃならない。
めまいがするね!
俺は、自分の中にあるトレヴァーの呪いを解析したあと、自分の魔力から切り離して体の外に出した。その工程でわかったのは、呪いは、呪われた人の魔力からグラン・グランの呪いの魔術式を選りだしてほどけば、解呪できるってことだった。
でもなあ。
人間の魔力には、いろんな魔術式がからんでる。魔法紋で使われてる魔術式もあれば、生きるために無意識に使ってて魔法にまでなってない魔術式もある。そんなごった煮から、グラン・グランの呪いの魔術式だけを選別するのは至難の業だ。まちがえたら呪いが解けない。それどころか、あとから本人にどんな悪影響がでるか予想がつかない。
医師が、病状を勘違いして投薬や手術を行ったせいで、患者の容体が悪化したり死んでしまうようなものだ。
難しすぎて、興奮した。
失敗したときの責任の重さとは別に、天才の仕事をみせられてゾクゾクした。
「ふわぁ……。もっとお皿……クッキーも……」
ティリーの寝言に、我に返る。
「おまえな。かりにも伯爵家の令嬢が、口からよだれを垂らして寝るな!」
ワンピースの下で、お腹がグーッて鳴った。
まったく、困ったかわいい妹だよ。
ティリーで試したいのは、魔法紋からの侵入と解呪の方法だ。
呪いを解くためには、呪われた人間の魔力にふれなきゃならない。つまり、魔法紋を通して接続する必要がある。でも、魔法紋には保護錠がある。外から勝手に魔力をいじられて、魔法を使われたらたまったもんじゃないからね。
呪いを解くとき、相手に魔法紋の保護鍵を教えてもらえるなら問題ない。でもそうじゃない場合は、無理にでもこの防犯装置を突破することになる。
それをいまから実験する。
保護鍵を知らない状況で試したかったから、ティリーには事情を説明せず眠ってもらった。
「俺は天才だからな、なにがあろうと被験者に害をあたえることはない!」
俺は昔、魔法を暴走させて家族を傷つけそうになったことがある。いま、みんなで笑ってすごせてるのは、ものすごい幸運だってわかってる。
この実験で他人に悪影響はでないって、しつこく確認した。それでも怖くなるから、声にだして自分を勇気づけた。
おまえに、絶対に悪いことはしないからね。
ティリーの魔法紋に、手のひらをかぶせた。魔力を流すと、魔法紋で弾かれてティリーの中には入れない。これは想定内だ。
さて、どうするかな。
魔法紋を守ってる保護鍵は、二つの情報からできてる。一つは本人の血液で、もう一つは決められた暗号だ。血の持ち主なら、望むだけで魔力紋に魔力を通すことができる。でも本人以外が外から入るには、暗号を入力して保護鍵を開けなければならない。暗号は本人が決めるし、俺はティリーがどんな設定にしたのかを知らない。
「保護鍵を知らなくても、外から開ける方法などいくらでもある」
保護鍵の弱い部分を攻撃すればいいんだ。弱い部分の突き方は複数あるけど、俺は古今のイスヴェニア語の文字と数字、記号の組み合わせのすべてを保護鍵に放りこむ魔術式を作ってみた。総あたりで試していったら、いつかは正しい組み合わせに当たるだろうっていう方式だ。
これ、理論上は可能だけど、組み合わせがおそろしい数になるから現実的じゃないっていわれてたんだよね。俺はその組み合わせる速度をものすごく高める魔術式を構築した。あと、もう一つの問題は「文字や数字、記号を組み合わせる」、「保護鍵に入力する」までやってから、「解除できたかどうかを判断する」のを人間に任せてたことだ。これだと、魔術式が人間の思考速度を基に組まれてしまう。でも正誤の判断まで魔術式に組み込めば、極端に時間が短縮できるはずなんだ。
違法だけど。
他人の魔術紋をのっとって魔力に直接干渉するなんて、犯罪以外のなにものでもない。
わかってるけど、いまはこれしか思いつかないんだよなあ。
深呼吸をしてから、ティリーの魔法紋に不正接続用の魔法をかけた。魔法が発動したら、俺の脳みそじゃとうてい追いつけない膨大な量の鍵候補が魔法紋に攻撃を始める。
ものすごく時間がかかるんじゃないかって思ってた。
だけど、十五分くらいでティリーの魔法紋は解除された。
ティリーが設定した保護鍵を知って、俺は叫ばずにいられなかった。
「大バカ者、バカ妹、このバカがーっ!!」
鍵は、ティリーの誕生月日だった。
……ティリーよ、それは安易すぎるから絶対に設定しちゃいけないっていわれてる鍵だろう。俺もそう教えたし、学園でだって習ってるはずだ。
塔で働く魔法使いノアくんの妹の防犯意識が低すぎて、お兄ちゃんは絶望した。目が覚めたらお説教をして、保護鍵を変えさせなきゃならない。
「危機感のない蒙昧め!」
いつかおまえが悪いヤツにだまされないかって、ホント気をもんでしまう。
外部からの干渉を受けつけるようになったティリーの魔法紋から、俺の魔力を流し入れてみる。よし、ちゃんと接続できた。
体をめぐる魔力のイメージにいちばん近いのは血管だろう。ただ、血管は人によって場所や本数が極端に変わったりしないけど、魔力が流れる魔力管の規模は人によってまちまちだ。
他人の魔力にふれるのは、塔の実習でやったことがある。そのときのことを思い出しながら、体中に伸びたティリーの魔力の管を追っていく。相手の魔力に俺の魔力を混ぜて流していく。
「……下手か。おまえ、魔法の使い方が雑だな? けしからん!」
ティリーは、魔力を使うのにまだ慣れてないな。体内の魔力循環がなめらかじゃない。
この部分の流れが悪いのは使ってないからだし、あの部分だけ肥大してるのはおなじところを使いすぎてるからだ。こういうデコボコがあると、魔力がつっかえて魔法が使いにくいはずだ。
うーむ、これはいっそ魔力管に、俺の魔力を一気に流したほうがいいな。詰まってるところは押し流して、細いところは魔力圧で開いて、強引に均一化させてしまおう。そのあと、魔力管が太いままで途切れてるあそこは、枝分かれさせて細分化させて伸ばしてみるか。
気がつくと、俺はティリーの体内魔力循環の調整に夢中になってた。次にティリーが魔法を使うときは、これまでよりやりやすくなってるはずだ。兄の魔法実験につき合ってくれたお礼だな。
ティリーの魔力には、たくさんの魔術式がからみついてる。魔法紋と連動してるのが大半で、あとは無意識に生成してる魔法だったり生命維持のためのものだったりだ。こうやってながめてるだけでは、それぞれの魔術式がどれに当たるのかはわからない。
「ふう……」
気分だけ、深呼吸した。いまの俺はティリーに同調させた魔力に意識をのせてるから、実際の肉体に息をさせたわけじゃないけどね。
実験の次の段階は、少しの間違いも許されない。だから、最大限に神経を研ぎ澄ました。
ティリーの魔力に、俺が作った魔術式を慎重に流しこむ。作用は、俺があることばを口にしたら、指定していた反応をするっていう単純なものだ。
俺の魔術式が、ティリーの魔力にからんで根づいていく。
俺は、一度ティリーの魔力からぬけ出した。そして眠ってる妹を見ながら、設定していたことばを唱えた。
「笑え、愚妹」
「あは、うふふふ。えへっ、へへへへへ」
「バカ者。笑うな」
「――……」
よし、魔法は正常に動いた。
これはグラン・グランの呪いとおなじ原理だ。呪いと比較できないくらい単純なものだけどね。
もう一回、ティリーの魔力に接続する。そこから笑いの魔術式だけを特定して、完全に抜き取って、なにも残ってないのを確認してから引き上げた。
「笑うがいい」
「――――。うん……ジャムはたっぷり……」
よっし、成功!
ティリーの魔力から、俺の魔術式は排除された。後遺症もない。
今回の実験で、二つわかったことがある。一つは他人の魔法紋を突破して俺の魔力を侵入させることができるっていうことだ。それから、魔力にからみついてる魔術式は、その構成が把握できれば引きはがせるんだ。
これで解呪の準備はできた、かな。
しかしなあ、一歩前進したことはうれしいけど、秘密が増えたのが重い。俺が開発した魔法で、他人の保護鍵を開けられるようになってしまった。これって、バレたらたぶんマズイ。魔力紋から操作して、他人を魔力や魔法をあやつることができちゃうよな。
この不正接続魔法が広まったら、ロクな使い方をされないだろうってことくらいは想像できる。
よし、内緒にしよう。
どうせ呪いの解呪だって、こっそりやらなきゃいけないんだ。こんな魔法ができちゃったってことを、わざわざ人に教える必要はあるかな? ないよね!
結論がでたところで、ティリーにかけた眠りの魔法を解いた。
まぶたがピクピク震えて、パチッと目が開いた。
「あれっ、わたし、寝てたの?」
「魔法の実験は終わった。俺の魔法を試されたことを、光栄に思うがいい」
「うん、兄さまの役に立つならうれしいよ」
なんていい子なんだあっ。
感動してるあいだに、ティリーはソファの上で起き上がって手のひらで自分の体のあちこちをなでた。
「なんだか、体がすごく軽い? よく寝たからかな?」
体が軽いのは、たぶん魔力の循環がよくなったからだよ。次に魔法を使ったとき実感するんじゃないかな。作動させやすくなって、威力も増してるはずだ。
ティリーが身軽に立ち上がって、伸びをする。
「兄さま、お腹すいたね!」
「おまえは淑女教育を受けていないのか。腹をさするな、はしたない!」
「人前では、ちゃんとおしとやかにしてまーす」
それはどうだろう。意識しておとなしくふるまうことはできるようだけど、おしとやかというにはほど遠い気がする。
「ねっ、食卓に行こう。きっと、もう夕食の仕度ができてるよ」
俺の腕を引くティリーは、足どり軽く廊下を歩く。夕飯は肉がいい、どーんと大きなのが出るとうれしいなって待ち遠しそうに話す姿は、やっぱり淑女らしくはない。だけど、ティリーはティリーだからいいんだよね。
ちなみに夕食の主菜は魚で、ティリーは少しがっかりしてた。でも食べ始めたら、おいしいおいしいってごきげんになった。食事の最後に果物とクリームたっぷりのケーキが運ばれてきたときは、手を打って喜んだ。
「このケーキ、大好き! おいしいね、兄さま」
ティリーは幸せそうにケーキを口に運んでる。俺が両親にはみえないように自分の分のケーキをこっそりあげたら、ピッカピカの笑顔を返してくれた。
俺の妹は、世界で一番かわいい。
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