第9話 昼休みの遭遇

 学園に入学して、しばらくが過ぎた。

 登校して教室に入ると、今日も俺の机の隣にはたくさんの同級生がいた。

 そう、「隣」だ。俺の机じゃないっていうところが悲しいね!

 人の輪の中心にいるのはアルバートだ。朝日を受けた金髪がまぶしい。それ以上に、人から好かれてるのが俺と違ってまぶしすぎて、朝から泣いてしまいそうだ。

 でも、わかるんだよね。アルバートはにこやかで、誰とも平等に接して、こっちに身分の圧を感じさせないくせに王子としての風格が漂ってる。相手を卑下させるんじゃなくて、向こうが人間としての格が上だって納得させるような空気があるんだ。


「アルバートは、剣術の授業はどれをとったのかな」

「ブランドン先生だね」

「私も、そっちにすればよかったわ」

「オレはブランドン先生だぜ!」


 アルバートは、同級生の一人が「アルバート王子殿下」って呼んだときに、「アルバートでいい」って返した。懇切丁寧に話しかけられたら、学園の一生徒としてあつかってほしいって頼んだ。最初のうちはそれでもみんな遠慮してたけど、呼び捨てにしたりタメ口をきいたほうが喜ばれるってわかってからは、そうするようになった。

 さて、そんな完璧にみえるアルバートの、目下のところ唯一の意味不明な言動といえば。


「おはよう、ノア。今日の物理学の授業について訊きたいことがあるんだけど、いいかな」

「きさまのとりまきになる気はない」


 それは、傲岸不遜大魔法使いノアくんへの厚意なのである。

 ホントに、なんで俺に声をかけてくれるんだ? 最初のころから、ずっとこの調子で俺を普通の同級生あつかいしてくれる。というか、日に日に距離が縮まってる気がする。

 席につくと、アルバートをかこむ輪が俺の周囲だけ消滅する。そしたら人垣がなくなったのを幸いとばかり、教科書をみせてきた。


「私も君をとりまきにしようだなんて思っていないよ。で、この問題だが、落下している物体のこの地点での速度と力はわかるんだ。だが、この物体をこの地点で静止させるために必要な大気魔法の概算魔力量は、どうすれば算出できるんだ。ほら、この公式をあてはめようとしたんだが、不明な条件が多すぎて計算できなかった」

「はあ? 『概算』と書いてあるだろうが。この場合の魔力量を正確に算出することは、きさまの頭脳を超えている。バカでもできるのは、大気魔法一エムピィに指向性をもたせたときに働く力を――」


 魔法は、「こんなふうに使いたい」って思い描いて呪文を唱えるだけでも発動させることができる。でも世界の仕組みを知ってたら、より的確に使えるんだ。

 もちろん「大気魔法。強い風、吹け! 発動」でも効果はあるし、感性が優れてる魔法使いならそれで充分なんだろう。だけど俺みたいに勘の悪いヤツは、理論を理解してたほうがムダなく魔法を実行させられる。

 たとえば俺が理論を知らずに強い風を吹かせる魔法を使おうとしたら、空気を押してびゅんびゅん流すイメージになりそうだ。空気を押すためには、「押せる」っていう感覚になるまで魔力を高めてぶつけるかな。

 だけど、空気の流れを起こすにはいろんな方法がある。その一つが大気の圧力の差だ。そして気圧は空気の重さに、空気の重さは温度に関係する。その知識があれば、風を起こしたいほうの温度を上げて、そうじゃないほうの温度を下げればいい。温度をあやつる魔法は、やみくもに空気を押すより魔力の効率がずっといいんだ。

 魔法の研究を進めるということは、自然の原理を解明することでもある。だからイスヴェニア王国は、魔法大国であり学問大国でもある。


「――これで、一般的に必要とされる魔力量の最大値と最小値が求められる。あとの計算は、どんな愚鈍でもできるだろう」

「なるほど、そう考えればいいのか。ノアの説明はわかりやすいな」

「みえすいた媚びも策略も不快だ。やめろ」


 これまでの授業の様子からして、アルバートがこの問題を解けなかったとは思えない。ほぼわかってて、答えあわせに俺を使ったとかかな。彼に教えるのは別にいいんだ。でも、だったらこれって、俺に話しかける口実だったってことか? 

 それがうぬぼれかもしれないと疑う時期は、とっくに過ぎてた。だってアルバートは、ことあるごとに俺に話しかけてくるんだ。ほとんど休み時間ごとに会話してるような状態なんだぞ。

 うんざりしたように教科書を投げ返したら、ニコッて笑われた。


「ノアは、私が君と話すためにわざと問題がわからないふりをしたと思ったのかい? それは私の能力をかいかぶっているよ」


 心をいいあてられたみたいで、ドキッとした。

 アルバートって、俺の気持ちをよく察するんだよ。鋭すぎるわ。

 いや、俺の気持ちっていうのは、それこそうぬぼれか。同級生たちのことをよくみて、いろんな対応をしてるようだしな。俺だけじゃなくて、人の気持ちを読みとるのがうまいんだろう。

 ところで俺は、とくに頭がいいわけじゃない。物理学や数学は、魔法に必要だから塔で猛勉強させられただけだ。だいたいあそこには、頭が切れすぎてオカシイ領域に達してるような人間がゴロゴロいる。

 だから塔でやった学問については学園で習うよりずっと先のことまで学んでるけど、ほかの分野はからきしだ。とくに文学や芸術関係は目もあてられない。一応家庭教師から教わってはいたけど、もともと苦手だったんだよ。

 人間、一つや二つや三つ……五、六個……十以上、苦手な勉強があったっていいよね!



※※※※※



 昼休みになった。

 食堂で出る食事は、二種類の日替わりは無料で、それ以外を頼むと有料だ。いくつかある特別室で食べることもできる。あとは、弁当を持参して食堂や中庭に行く生徒もいる。


「ノア、食堂に行こうか」


 これまで俺は食堂を使ってて、授業で顔を合わせることがない生徒たちを観察してた。授業の初日は、一人で食べた。休み時間に声をかけてくれる同級生はいないし、俺から話しかけたら大惨事を引き起こすという悲しい事情からだ。

 ところが次の日あたりから、アルバートが誘ってくるようになった。彼に食堂まで引きずっていかれるのが、昼休みの恒例になった。

 だけど今日は、俺は家から弁当を持参していた。食堂に来ない生徒たちの様子をみたかったんだ。誘いを断ってごめんねってアルバートに謝りたいけど、実際に言ったセリフはこうだ。


「勝手にしろ、俺は行かん。きさまの相手をするより、一人で弁当を食べるほうがよほど有意義な時間をすごせるからな」


 アルバートが俺に近づこうとしてくれるのは、孤立してる同級生をみすごせないからか、もしくは珍獣枠でのものめずらしさからか。なんにせよ、親しくしてくれる相手を傷つけるのも、そんな自分の態度に嫌気がさすのも、どっちもつらい。

 俺は、呪われてるあいだは、人とできるだけ口をきかないほうがいいのかなぁ。

 そう思うと、ちょっとしょげてしまう。

 ちなみに最近の俺の寝る前の日課は、「ごめんなさい帳」を書くことだ。これは、俺がやった無体の一覧なのだ。いつかぜんぶの呪いを解いたら、無体を働いた人たちに謝ろう。その思いでつけている。目下のところ、一覧への出現率がぶっちぎりで一番なのがアルバートである。

 心から、ごめんなさい。


「まったく、よけいなことばかりするヤツだ。俺にかまうなど、さっさとやめればいいものを」


 一人のときのつぶやきでさえ、悪態に変換されてしまう。

 重くなりそうな気分を、頭を振って吹き飛ばそうとした。天気がいいし、中庭に出ている生徒が多そうだから、そっちに行ってみようかな。

 校舎と中庭をつなぐ石畳に出ると、少し先を一人の女の子が歩いてた。小柄で、ちょっと猫背で、癖のあるこげ茶色の髪を首の後ろで縛ってて、短い先っぽがパッと広がってる。

 おなじ組のエミリア嬢だ。

 大きな眼鏡をかけてて、鼻のまわりにそばかすがあって、遠慮がちにしゃべる子だった気がする。俺的に重要な点としては、少なくとも外見と挙動からは、呪われてるようにはみえないということだ。

 だからって、呪いにかかってないとは断言できないけどね。「兄や弟を偏愛する(兄弟がいない人間にのみ有効)」とか、それ本当に発動するの!? っていう呪いだってあることだし。

 中庭の手前で、エミリア嬢が立ち止まった。


「ここ……?」


 両脇が高い生垣になってて、入口がわかりにくい小道があった。エミリア嬢が不安そうにあたりを見回して、たしかめるようにつぶやく。彼女は、おそるおそるといったかんじで小道に足を踏み入れた。ちらっと見えた横顔は、どこか思いつめているようだった。

 俺は、決して彼女をつけまわそうとしたわけじゃない。ただ、こんな小道があるなんて知らなかったから、どこに続くのかなってなんとなくのぞきこんだんだ。

 そうしたら奥の方から、言い争うような声がきこえてきた。


「……といったでしょう! それなのに……あなたは…………」

「ですから…………というのは……、ご存じの……」


 うむ、厄介ごとの気配しかない。

 夏までだったら、自分から首を突っこもうとはしなかっただろう。でもなあ、いまの俺は、とにかく呪いの手がかりがほしいんだ。

 これが呪いに関係なかったら、回れ右をすればいい。というわけで、行ってみよう!

 小道を進むと、木々にかこまれた小さな空間に出た。

 そこには女の子が二人いた。一人はエミリア嬢で、もう一人は金髪の巻き毛に水色の目をした知らない子だった。怒ってるみたいできつい表情をしてるけど、顔立ち自体はすごく整ってる。


「エミリア、あなたようにグズで社交もろくにできない子が、王国一の名門校であるイスヴェニア学園に通えるのは、誰のおかげかしら」

「それは、もちろん……オードリーさまあってのことです」

「ああら、そのおぼえの悪い頭では、とっくに恩を忘れてしまったのかと思っていたわ」


 オードリーって呼ばれた子は、エミリア嬢より少し背が高い。でも単純な身長差だけじゃなく、彼女の態度そのものが相手を完全に見下していた。


「あなたが、来年には働かされるところだったのを止めたのは、誰?」

「オードリーさまです」

「あなたのお父さまに、あなたを学園へ入学させるよう勧めたのは?」

「それもオードリーさまです……」

「こんなこと、挙げればキリがないわね。それなのに、あなはたわたくしに逆らうというの」

「逆らっているわけじゃ……でも、無理で……」

「お黙りなさい! できない、やりたくないと、口ごたえばかりじゃないの!」


 最初は口論してるのかと思ったけど、ちがった。オードリー嬢が一方的にののしってるだけだった。


「どうしても無理だというのなら」


 ピンク色の唇が、冷たく微笑んだ。


「学園を辞めることね」

「そ、そんな」

「しょせん、すぎた身分だったのよ。わたくしの目にふれないところに行ってもらいたいわ」

「わたし……わたしは……」

「よくもまあ、そんな恥さらしな姿でのこのこ学園に来れること」

「えっと、わたしが恥さらしなのは……はい、そのとおりです」

「まったく。あなたの卑屈な姿が目に入るだけで、気分が悪くなるのよ!」


 オードリー嬢が手をふり上げた。とっさに両手で自分をかばおうとしたエミリア嬢が、持っていた大きな鞄を落とす。

 暴力はよくない。だから二人の間に入ろうとした。でも、俺より早く動いた人間がいた。


「やあ、ごきげんよう」


 よく通る声だった。威圧的じゃないのに、その人を見ずにはいられない響きがあった。

 オードリー嬢が、右手を上げたまま固まる。

 俺を追い越して二人の前に立ったのは、アルバートだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る