24.挨拶週間
これなら一時間目の授業の開始には間に合いそうだ。
彩人が教室に向かうための階段を一段飛ばしで上っていると、朝のホームルームを終えた担任の女教師が降りてきた。
「あー高比良くん今来たのね、どうしたの具合でも悪いの?」
「いや、ただの寝坊です」
早退する予定なのだから具合が悪いことにしておけばいいものを、ついいつもの癖で寝坊だと言ってしまう。
この癖というのは寝坊をすることではない。
彩人には昔から嘘を嘘と疑われるのを恐れるあまり、結果なんの得もない嘘をつくという、本末転倒な癖があったのだ。
「そう……じゃあ授業が始まるから急ぎなさいね」
整った顔立ちのおかげか優秀な成績のおかげか、素行不良の割に叱られたことはほとんどない。
特に父親が首を吊った小学四年生のあの日から、それを知る周りの大人たちは笑えるほど露骨に優しくなった。
本当、どいつもこいつも甘くて助かるよ。
授業開始三分前。
「おはよう……」
やる気のない挨拶と共に教室に入ると、クラスはたちまち静まり返る。
いつものことだ、もう慣れ………………いや?
よく見てみると、クラス中の人間がキョロキョロ周りと目配せをしている。
なんだ……? 決定的な何かがいつもと違うような……。
数秒の沈黙の後、今度はクラス中の人間が一斉に喋り始めた。
「え……言ったよね……?」
「うん、言った……」
「いいことでもあったのかな?」
「寝ぼけてるんでしょ……」
「俺に言ったんだって!」
「いーや俺のほうを見てたね!」
そうだ……いつもと違うのは俺だ……。
おはようの挨拶なんて、今まで一度もしたことないじゃないか……。
昨日の昼から今朝まで望愛たち相手に好き勝手やっていたせいで、学校での自分のキャラクターを忘れてしまっていた。
ようやく挨拶をされなくなってきたところだったのに……。
「高比良おはよー!」
「ああ……おはよう……」
結局今まで無視し続けた分の挨拶はチャイムが鳴り終わるまで取り立てられた。
四時間目の美術が終わり、昼休み。
まずいな……早いところ涼風ちゃんの待つ家に帰らないと面倒なことになるぞ……。
朝の挨拶のせいか、今日はいつも以上にクラスメイトに囲まれてしまい、肝心の川澄さんとはまだ一言も会話できていない。
大体あのポニテ眼鏡、いつ見ても端っこの方にいるから話しかけづらいんだよ!
時間的にも川澄さんに話しかけるのは一階にある美術室から三階の教室に戻る今が最後のチャンス。
周りに人が少なくなるタイミングを見計らい、廊下を歩く川澄さんに話しかけに行く。
「ねえ川澄さん、世界史のノート貸してくれない?」
「え……私に言ってるの……?」
この状況でそうじゃなかったらやばいだろ。
「この前先生に褒められてたでしょ、俺全然まとめられてなくてさ」
ノートの貸し借り、これが今できる限界だ。
まあこれだけでもメッセージ送る理由にはなるし、よしとするか……。
川澄さんとは連絡先こそ知っているものの、とてもメッセージを送るような関係性ではなかった。
「はいこれ……」
「ありがとう助かるわ、返すのは月曜の朝でいい?」
「うん……じゃあ私、急いでるから……」
川澄さんはノートを差し出すと、目も合わさずにそそくさと階段のほうへ向かっていった。
あれ、もしかして嫌われてる? 何か俺の悪い噂でも聞いてるのかな? 時間はないけど、軽く探りだけ入れてみるか。
「川澄さんちょっと待って」
小走りで後を追いかけて呼び止める。
「ど、どうしたの……?」
「一瞬じっとしてて」
振り返ろうとする肩にそっと手を置く。
「な、なに……!?」
そしてそのまま、小さく震える狭い背中を優しく払った。
「ゴミ、ついてたから」
「あ、ああ……ありがと……」
わかりやすく顔を赤くする川澄さん。
どうやら嫌われているわけではなさそうだ。
「急いでるのにごめんね、気をつけて」
「う、うん……それじゃ……」
川澄さんは軽く頭を下げると、異様に長いスカートを揺らしながら再び階段のほうへ向かって行った。
なんだあのスカート……真面目通り越してスケバン一歩手前だぞ……。
まだ暑いのにハイソックスを履いているところから察するに、素肌を極力見せたくないのだろう。
かわいそうに……。
ブラ紐が思いっきり透けてること、知らないんだろうな……。
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