転がる男、転がる女

下之森茂

01 新しい職場

10年間働いていた会社が、

不況のあおりで夜逃げした。



路頭ろとうに迷っていたところ、父親から

「会社をがせるから帰ってこい。」

と、厳命げんめいくだった。



俺は毎年年末には、律儀りちぎ

実家に帰って来ているが、

いつもの帰省が再就職へと変化した。



一度救急車で運ばれたと

母さんが言っていたので、

じょうにほだされた感もある。



ぎっくり腰でだまされたわけで、

そんな家族間の些末さまつ冗談じょうだんでも、

ショックを感じるほど、医者が言うには

メンタルが不安定という扱いらしい。



さっさと孫の顔を見せろ

と、言われないだけマシかもしれない。



親父は若くして起業し、

地元の商品を扱うネット通販の

業務を行っている。



いつか潰れるだろう、とき祖父母も

覚悟していたが、思いのほか盛況せいきょう

無理に事業を拡大しなかったので

不況にも強かった。



「カケル、お前はきょうから課長だ。」



なに言ってんだ。と思ったが、

息子を「管理監督かんとく者」として扱い、

残業代を支払わない親父の謀略ぼうりゃくであった。



前の会社では課長でもないのに、

残業代どころか、しまいには給料さえ

支払われなかったのでマシかもしれない。

漸進ぜんしん的にだますのが悪徳企業の手口だが…。



親の会社とはいえ、社長である親父は

家庭と仕事を完全に切り離していたので、

業務内容は俺にはなにもわからなかった。



早朝のまだ誰もいない会社の駐車場で、

近所の子供が作ったであろう

雪だるまだけが俺を出迎えた。



朝は従業員の誰より早く出社させられ、

掃除から始まり、仕出し弁当の確認と注文、

欠勤の電話受付といった雑務ざつむをこなす。



通常業務になればトラックに乗せられ、

丸井まるいくんという年下の先輩社員にしたがう。



「年上に教えるとかマジっすか。

 カケルさんっていくつでしたっけ?」



「マジマジ。32歳。」



「マジかー。姉貴とタメか。っすか。

 あ、俺こんな口調なんすけど、

 大丈夫っすか?」



「問題ないよ。俺、課長だけど

 新入りなんでお手柔らかによろしくね。」



りょうっす。あ、そうだ、

 課長って給料どのくらいっすか?」



家賃やちんもちゃっかり取られてるから、

 たぶん、時給換算かんさんすると、

 丸井くんより低いぞ。」



「しょっぱい課長っすね。」



「だよなぁ。

 丸井くんが昇給できるように

 真面目に働くよ。」



「おなしゃっす!

 んじゃ課長でもビシバシ指導すんで。」



「うん…だから、お手柔てやわらかにね?」



和気わきあいあいとできる、いい先輩で助かった。



集荷しゅうか先を覚え、得意先の挨拶あいさつついでに

顔と名前を覚え、荷降ろし、伝票でんぴょうの確認、

梱包こんぽう、発送、在庫チェック、梱包材の確認、

各種注文など業務の一連の流れを理解する。



専門知識はほとんど必要ないが、

覚える仕事は山ほどあり、

記憶と効率が求められた。



地元が嫌で離れた俺だが、

地域密着な業務は想像したほど

でもなかった。



単に年を取って嫌なことを

忘れているのか、苦痛くつうに慣れて

鈍感どんかんになっただけかもしれない。



それより俺は中学・高校と

バスケをやっていたので、

馬鹿なりに体力自慢を自負じふしていた。



だが、就職して運動から遠ざかると、

こんな通常業務でも息が上がって

軽くショックを受けた。



コーヒーとエナドリけのこの身体は、

徹夜作業にきたえられたものの故障こしょう気味で、

初日からはやくも心臓しんぞう休憩きゅうけいを求めている。



「体力ないっすね。カケルさん。」



「はぁ、丸井くんほど若くないからな。」



トラックの荷台で丸井くんに

品物を渡しているだけなのに、うでが死んだ。

なので休憩させてもらう。優しい先輩に感謝。



60歳未満の男は例外なく

若者扱いされる田舎なので、

甘えられる年下が居るのは助かる。



タイピング以外の仕事は、

もう無理かもしれない。



「そういや、まだ聞いてないんすけど、

 カケルさん、結婚けっこんしてんすか?」



「してない。

 予定もないし、相手もいない。

 ついでに金もない。」



「ないないだらけっすね。」



「前の会社もそんな給料もらってなかったし、

 出会いもないほどいそがしい会社だったな。」



「働かせといて給料出さない

 ってクソっすね。」



ひとり身のお陰で気楽だけどな。

 あぁ丸井くん、だれかと話すときに、

 結婚の話とか振っちゃダメだからな。」



「なんでっすか?」



「そういうのセクハラになるんだよ。

 研修けんしゅうとかないのか。ウチの会社。」



「研修自体、聞いたことないっすね。

 今年帰ってきたウチの姉貴あねきなんて、

 同じこと親戚しんせきにガンガン言われましたよ。」



「田舎もクソだよな。そういうとこ。

 普通にいやがらせだから、認識にんしきあらためようぜ。」



「マジそうっすね。

 姉貴もその叔父おじに酒ぶっかけて、

 ブチギレてましたもん。」



「すごいな、丸井あね。」



俺は30歳を過ぎて未だに結婚してない。

これはたぶん、俺の人間不信のせいだと思う。



都心では未婚みこんは多いとよく聞かされたが、

それを言った上司は結婚していたし、

独身をつらぬいている知り合いも少なく、

実感はなかった。



地元に帰ってくると毎年、中学の同級生だった

誰それの結婚だとか子供の報告を聞かされた。

俺にとって一番興味きょうみのない話だ。



田舎の娯楽ごらくは祭りとセックスしかないのか。

これもステレオタイプだと言われそうだが、

おかげでデリカシーがまったくない。



専務も経理やパート相手に

セクハラ発言を平気で行い、きもを冷やす。



悩みの種はほかにもあった。



 ◆ 02 見えてる地雷 につづく

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