無煩悩

チョロフォニオ

無煩悩

無煩悩①

 その部屋に空気は存在しない。ただそこには、大気物質が漂うのみであった。

 日本国内某所にコンテナのような家が一つある。

 アパートの一室だけを家にしたようなその家に男が一人住んでいた。

 男はかれこれ20年間この家に住み、20年間この家から一度も外に出たことがなかった。

 ならば、男は家で何をしているのか。

 否。男は何もしていない。

 既に成人となっている男は働くことを一切せず、完全なる親の養いによって、その仮設住宅のような家で生活しているのである。

 しかしながら仮設住宅というのはかなり的を射ている。この家は男を独り生活させるためだけに親が建てた独房だからである。


 起床、朝食、新聞、歯磨き、運動、昼食、歯磨き、運動、夕食、洗体、歯磨き、就寝。これが男の生活の大まかな流れである。

 この生活を男は自営業の事務所のような家で20年間毎日送り続けたのである。

 男は午前6時頃に起床する。

 木造の床に敷かれた一枚の敷き布団の上に一枚の掛け布団を掛け、頭を枕に乗せた男が目を覚ますと、日の光が少しでも部屋を灯すまではスイッチを押して電気をつけておき、すぐに朝食を食べる。

 朝食は親から支給された特殊なグミを10粒食べ、200mLのコップ2杯分の水道水を飲む。これで完了である。

 このグミは非常に栄養価が高く、複数個食べるだけで生活に必要な栄養を全て補うことができる代物である。

 男はこれを1粒につき30回は噛んで食べる。このグミを食べるだけで男は腹を満たすことができるので、本当に優れたグミである。

 グミを10粒食べるのは朝食だけではない。朝昼晩三食全てがグミ10粒である。そして男は毎食充分に腹を満たす。

 もしかすると、初めは満腹とまでは達しておらず、20年間同じ食生活をする中でグミ10粒だけで満腹になるように胃袋が変化していったのかもしれないが、今はそれだけで飽和されるのである。

 朝食を終えると、すぐに男は新聞を読む。これは親から男に義務づけされているものである。

 全部は読まない。というより、ごく一部しか読まない。スポーツや競馬などの欄を除いて、世間的なニュースだけを読む。その部分だけに限り隅々まで読むのだが、それもせいぜい30分ほどで読み終えてしまう。

 新聞を読み終えると、すぐに男は歯磨きをする。朝食でコップに水を注いだ洗面所で歯ブラシに水をつけ、約5分間歯磨きを行う。最初に右上奥歯から始まり、上前歯へ行き、左上奥歯。次に左下奥歯から始まり、下前歯へ行き、右下奥歯。毎回この順番で歯を磨く。

 次に男はおよそ午前9時から約2時間、運動を行う。

 その運動とはすなわち、ウォーキングのことである。ウォーキングと言っても、この5畳半の部屋中を歩き回るわけではなく、機械の力を借りてウォーキングをするのである。

 部屋の角にはランニングマシンが設置されており、男はマシン付近のコンセントにプラグを差して、マシンのボタンを押してマシンを起動する。マシンにはこのオンオフのためのボタンしかなく、その速度は歩いているだけで充分追いつくことのできるほどの低速度のまま一定なため、ランニングマシンとは呼びがたいのかもしれないが、このマシンによって男は約2時間の間、歩き続けるのである。

 ウォーキングを終えプラグを抜いたその後、およそ正午に昼食をとる。内容は前述の通り、グミ10粒とコップ2杯の水である。

 昼食を済ませてから約30分後、男は例によって洗面所で5分間歯磨きをする。

 その後、今度はおよそ午後2時から3時間、再びランニングマシンを使ってウォーキングを行う。

 それが終わると、およそ午後6時に夕食、つまりは、グミを10粒食べコップ2杯の水を飲む。

 そして、およそ午後7時に男はタオルを一枚持って、洗面所前にガラス張りのシャワールームに行き、シャワールームの前で着ていた衣服を全て脱いでタオルと共に足下に置いておく。

 全裸になった男は温水器のスイッチを押し、シャワールームに入って自身の体をシャワーで水洗いのみする。

 シャワーやボディーソープなどは一切使用せず、湯だけで約5分間体を洗い流した後、シャワーを止め、温水器のスイッチを切る。

 全身びしょ濡れの男はシャワールーム内で手だけを使い体中の水分を充分に払い落とした後、シャワールームを出る。

 シャワールームを出ると、男は持ってきていたタオルで体を拭き、さっき脱いで置いておいた衣服を再び着用する。

 衣服を着ると、男はそのまま体を拭いたタオルを洗面所で水洗いする。洗剤などは使用しない。

 タオルを洗ってよく絞り、男は部屋の壁に取り付けられた鉄棒にタオルを引っ掛け、タオルを干す。この部屋干ししたタオルを次の日に再使用するのである。

 タオルを干した男は就寝前に洗面所で約5分間歯磨きをし、およそ午後10時に敷き布団の上で掛け布団を体に掛け、枕を頭に乗せ、眠りにつく。

 こうして、男の一日は終わる。

 基本的にはこの流れなのだが、2週間に一度、体の手入れと掃除と洗濯をする日がある。

 その日だけ男は昼食後に洗面所に行き、洗面所に置かれている剃刀とハサミを取り出し、洗面所の鏡を見ながら髭を剃り、髪の毛を切る。

 特に容姿を整える目的はなく、ただただ毛が伸びると鬱陶しく短ければそれでいいので切っているというだけで、切り方は乱雑で無造作である。

 髪を切ると、同じく洗面所にある爪切りで手足の爪を切り、これも洗面所にある綿棒で鼻と耳を掃除する。

 手入れを終えると、ほうきとちりとりで床の掃き掃除をする。これによって埃だけでなく、切った髪の毛や爪も回収する。

 床掃除の次はトイレ掃除である。これは除菌シートを使って便器の汚れを拭き取り、専用のブラシで中を磨くといった行程である。

 この掃除で出たゴミやトイレットペーパーの芯などは親から支給されたプラスチック製の箱に全て入れ、掃除が終わった後に玄関の外に置いておく。

 玄関には外と中で物品の出し入れが直接の手渡しなしでできるように工夫がなされている。

 男の家には毎日正午に親から送られる使者が来て、男から出されるゴミ箱等の回収及び食事用のグミ、不足したトイレットペーパーや除菌シート、綿棒、などの支給や腐りきったタオルから新品のタオルへの交換などを行う。

 とはいえ、男が不足品を出すのは2週間に一度のこの日だけなので、使者のする仕事は大抵グミ30粒の入った小さめの箱を届け、男が朝食後に返却した箱と新聞紙を回収するだけなのである。しかも、男は決まって日曜日の昼食後に掃除をするので、使者は次の日の月曜日の正午に補充用の備品を用意しておけばいいのである。

 新聞は新聞配達業者が毎朝午前5時頃に届けてくれる。業者も初めは、ここが一体どんな場所なのかと戸惑いを見せていたが、配達する回数を重ねるにつれ、慣れてしまっていた。

 掃除を終えると、男は洗面所で洗濯をする。

 男は下着まで全て脱いで全裸になり、鉄棒に掛けられ干されていた衣服に着替え、脱いだ衣服一式を持って洗面所に向かう。

 洗面所でそれらを全て水洗いする。ここでも洗剤は使用しない。一通り洗濯を済ませると、充分に絞って水分を抜き取り、それらを鉄棒に引っ掛け、2週間干す。

 ちなみに、衣服は季節によって衣替えをするが、20年間新しくしたことはない。今となっては随所に汚れや破れ、ほつれなどがあるものの、それでも一度も新しい衣服に替えたことはない。

 衣服は半袖半ズボン、薄い長袖長ズボン、厚い長袖長ズボンの3種類が小さな押し入れの中に収納されており、気温の変化に応じて衣替えをする。

 夏場には、靴下を履かない代わりに汗をかいてしまうため、洗濯だけは1週間に一度になる。

 これら一連の流れの後、男はいつも通りおよそ午後2時からウォーキングを始めるのである。

 あとはこれにトイレでの排泄を加えれば、大体の男の20年は網羅することができたのではなかろうか。

 だが、ここで一つ疑問が生まれるだろう。

 例えば、新聞を読み終え、ウォーキングを始めるまでの空白の時間を男はどう過ごしているのか。

 何もしていないのである。

 男は布団の上で座る。ただそれだけの状態のまま時間を流していく。

 他に昼食からウォーキングまでの空白など、ありとあらゆる空白の時間を男はこの状態で過ごす。

 家の中にテレビやラジオ、インターネットや本などの生活必需品以外の物はなく、男には娯楽というものがないのである。

 家の間取りとしては、玄関のそばにシャワールームとトイレと洗面所があり、その奥に5畳半の部屋がある。

 その部屋には天井に電灯、角にランニングマシンとほうきとちりとり、床には布団、壁には洗濯物を干すための鉄棒、衣服だけが収納された押し入れ、そして、緊急時に親へ連絡をするためだけの固定電話がある。窓は最奥のちょうど男の顔の位置に申し訳程度に設けてあり、一応開閉は可能である。夏場にはこれを常時開放している。

 逆に言えば、これ以外には何もないのである。

 男は死ぬまで永遠に安心安全な暮らしを約束された代わりに生活に不必要なものを全て排除されたのである。

 健康で文化的な最低限度の生活とは、まさにこのことである。いや、男には文化的な生活が欠落しているのだから、健康的な最低限度の生活というべきだろうか。

 ならば、男は座っているその間、一体何を考えているのだろうか。

 何もしていない分だけ人並み以上に何かを考えているのだろうか。

 否。男は思考さえもしていないのである。

 男は何もしていない上に何も考えていないのである。

 それは何も座っている間だけに及ばない。グミを噛んでいる時も、歯磨きをしている時も、ウォーキングをしている時も、如何なる時であっても、男は何も考えていないのである。

 新聞を読んでいる時でさえも男は考えていない。男は新聞を読んで情報を取り入れるインプットの作業をしているだけで、その情報から派生させ、あれこれ物事を考えるようなことは全くしないのである。

 さすがに、この生活を始めた当初は思考を働かせていた。

 部屋には時計やカレンダーなどの時間を示すものが一切ないので、男はいつに何をするのかを全て己の感覚に委ねている。

 そのため、そろそろウォーキングを始める頃だとか、ウォーキングをやめる頃合いだとか、今日は掃除をする日だとか、男の中で生活が確立されるまでは、そういった思考の一つや二つはしていた。

 新聞を読む時も、初めは少しばかり考えながら読んでしまっていたし、座っている時も新聞の内容が脳内をよぎることもあった。

 しかし、20年経った今では、思考をするという概念が完全に消え去っている。

 そのため男はどんな行動をするにも、脳が運動神経に指示を出すような煩わしい段階は省略され、運動神経が自立して独断で男の体を動かしているのである。

 毎日毎日同じ生活を繰り返すことにより、男は思考皆無の状態で前述のタイムテーブル通りの行動を可能にしているのである。

 毎日正確だとは言いがたいが、ウォーキングの2時間と3時間、歯磨きやシャワーの5分間、そしてグミの10粒までも大方正確なのである。

 そんな日常的な行動における計測だけではなく、衣替えや夏場の洗濯頻度などの季節的な変化にも本能的に対応できるようになった。

 思考をしないということは、男に欲がないということなのである。

 物欲もなければ、もちろん性欲もない。

 食欲も睡眠欲も食事や睡眠という行為が固定化されているので、もはや呼吸をしているのと同義なのである。

 排泄の際の生理現象でさえもそうだ。特にいつするとは決まっていないものの、同じ生活を繰り返していくうちに、排泄をするタイミングすら周期的になり、義務的になってしまった。

 また、男には感情もない。

 苦しい。悲しい。寂しい。辛い。嬉しい。楽しい。腹立たしい。ありとあらゆる感情を享受することがない。

 思考をしていないのだから、何の感情も抱かないのは当たり前のことである。

 しかしながら、男が今まで思考をしてこなかった大きな要因として、アクシデントが一つもなかったことが挙げられる。

 機械的な生活を送ってきたとはいえ、20年もあれば何かしらの不具合を来すはずである。

 不具合というのは例えば、男自身の体調不良や水道トラブル、電灯の寿命やランニングマシンの故障などがある。

 これらのうちのどれか一つでも発生すれば、男の日常に亀裂が入り、男は思考力を働かせる必要が出てくるはずである。

 だが、奇跡的にも20年間男は体調を崩したことが一度もなく、それ以外にも特に何の異常もなかったのである。

 男は20年間、思考をせずに済んだと表現した方が妥当だろう。

 人間とは思考をする生物である。

 思考をすることで文明を築き上げ、文化を生み出し、学問を発展させてきた。

 思考をすることは人間という生物の有する唯一の特権であり、人間という生物を象徴する行為なのである。

 それを男は捨てた。

 男は完全に人間性を失った。

 男は言わば、完全非人間的人間なのである。

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