第49話 汐里 民宿と駅までの車内

 私は見慣れない暗い天井を見つめている。

 初めて泊まる民宿の部屋。

 しんとした夜の空気の匂いも、私の知らないものだ。

 ぱりっとしている真新しいシーツの感触に、少しずっしりとした掛け布団。

 何度も寝返りを打ちながら、考える。

 私は、虫に乗っ取られた亮太を取り戻したくてここに来た。

 私の知らない亮太の過去を知ることができたら、これだ! というような名案が浮かぶんじゃないかと思って。

 でも、今のところそれは浮かんでこない。

 ただただ、石田家の傷だらけの歴史に心が乱れるばかりだ。

 特に気になったのは龍彦さん……亮太のお父さんだ。

『っとに、亮一じゃなくて、あいつが死ねば良かったんだ!』

 あの亮太に対する暴言は、到底許せるものじゃない。

 だけど裏を返せば、お父さんは亮一さんの命を自分の手で奪ってしまったことを、ものすごく後悔しているということだ。

「運命って、残酷だよな……」

 私がもしお父さんの立場だったら……

 それを少しだけ考えてみたけれど、あまりにぞっとして私はすぐに思考を止めた。

 私はもう一度寝返りをうつ。

 目の前の現実を受け入れられず、どうしようもなく苦しい……それでも、生きていかなきゃならない。

 それでも亮太のおじいさんは気丈に生きてきたように見えたけれど、心中はかなり辛かっただろうと思う。

 辛すぎて、今もお酒に逃げているお父さん。

 辛くても、逃げずに亮太を育ててくれたおじいさん。

 二人の違いはなんだろう?

 元々の気の強さ? それとも亡くなった二人への思いの深さ?

『その光がどんなに愛おしく、眩しいほど光り輝くものだったか……君に想像できるかね? 奪うなら、最初から与えなければ良かったものを!』

 あの日虫が言った言葉を思いだす。

「光……か……」

 亮太のお父さんやおじいさんにとって、亮子さんと亮一さんは光だったはずだ。

 そして亮太にとっては……私が光だったらしい。

 亮太は生まれた時にお母さんを失い、6歳でお兄さんを失った……そして、今回は私……

 胸がぎゅっとなる。

 ごめんを、何回言っても言い足りない。

 どうしたらいいんだろう……どうしたら、亮太は戻ってくる? 私が土下座して謝ったら、戻ってきてくれるかな……

「いや、無理か……私が謝ったくらいじゃ、亮太は戻ってこないような気がする」

 はあ、と重いため息を吐きつつ、暗いオレンジ色を放つ天井の豆電球を見る。

 光をなくして、人生投げたくなって殻に閉じこもっている。

 よく考えてみると、今の亮太と龍彦さんは似たような状態なのかもしれない。

 だとすると、悲しみに飲み込まれても我を忘れなかったおじいさんに、その理由を聞いてみたらどうだろう? それがヒントになるかもしれない。

 私は、無理やりぎゅっと瞼を閉じて、そうなることを願った。


「私が現実から逃げなかった理由かい?」

 翌日の昼過ぎ、亮太のおじいさんは車で私を駅まで送ってくれた。

 その道中で、私は昨夜考えていた問をぶつけてみたのだ。

「そうだね……理由は2つかな……妻を支える為と亮一を立派に育てたかったから……妻は、あまり気が強くなくてね。たまに帰ってきていた龍彦が暴れるたびに怯えていたから、私が守ってやらなきゃならなかったんだ」

「そうですか……会ってみたかったです、おばあさんとも」

 もうおばあさんが亡くなっていること、亮太が聞いたら落ち込むだろうな……まあ、亮太が引っ越した先を知らせていなかったから、こうなってしまったんだけど……

「妻は病気でね……気づいた時には手遅れで、あっという間だったよ」

「そうだったんですか……きっと、亮太のこと……気がかりでしたよね?」

「まあね……でも、何も知らせがないのはきっと生きてる証拠だからと言っていたし、趣味も始めてそれなりに楽しそうに生きていたよ、彼女は」

 私は、おじいさんの言葉に少しホッとしていた。

 そして、感じたことを整理してみる。

 おじいさんは、目の前の大切な人をこれ以上苦しめない為に……守る為に強く生きざるをえなかったんだ。

 私をどうしても守りたいと思わせれば、亮太はこっちに戻ってくるだろうか?

 ふと、私はもう一つの聞きたいことを思い出した。

「あの……亮一さんの母子手帳のこと、知っていますか? ビリビリに破かれたものなんですが」

「亮一の母子手帳……」

 おじいさんはしばらく黙り込んでから、口を開いた。

「あぁ、思い出した……亮一が亡くなってから、妻は時折亮一の思い出を手にしては泣いていて……たまたまそれを見てしまった龍彦が逆上して、亮一の母子手帳を破いてゴミ箱に捨ててしまったんだ。龍彦がいなくなった後、亮太はそれを黙々と拾い集めて、テープを貼って直していた……佐川さん、どうして亮一の母子手帳のことを知っているんだい?」

 私はその光景を想像して、いたたまれない気持ちのまま、おじいさんの問に答えた。

「亮太の部屋の隅に、亮太と亮一さんの母子手帳が一緒に保管されていたんです。まるで……」

 そう。まるで、誰の目にも触れさせたくない宝物のように。

「宝物を隠しているように、置いてありました」

 信号が青に変わって、車が動き出す。

「思い出したくない過去を、しまっておきたかったからかもしれないよ」

 ぽつりと零れた亮太のおじいさんの声は、心なしか少し沈んだもののように聞こえた。

 亮太とおじいさんを合わせたい。

 それに、龍彦さん……亮太のお父さんにも。

 なぜか、あのままでいて欲しくなかった。

 ずっと死の淵をのぞき込んでいるような日々から、抜け出して欲しい。そう思った。

 昨日から一日が経った今の私の胸に残っているのは、胸が押し潰されそうなほどの寂しさだった。

 私に、なにができるだろう。

 いや、その前に亮太だ……亮太を取り戻す方法は、まだ思い浮かばない。どうしよう……

 私の胸の内のどこかから、焦りが少しずつ湧き出てくる。

「さあ、駅に着いたよ……本当に、遠いところをわざわざ来てくれてありがとう」

 私は昨日のうちに、亮太のおじいさんに亮太のアパートの住所を伝えていた。亮太のおじいさんと私は、連絡先も交換してある。

「本当にお世話になりました……必ず、また来ます。今度は、亮太と一緒に」

 私は車外に見送りに出てくれたおじいさんに、そう誓った。

「うん……でもねぇ……一番は亮太が幸せに生きていってくれることなんだよ……君のように可愛らしくて強い人が、亮太を傍で支えてくれたなら、それだけでもう十分なんだ」

 私は不意に泣きそうになった。

 生きているだけでいい。もう誰も、失いたくない。

 大切な人を何度もなくしたおじいさんの、重たい言葉がずしりと胸に落ちてくる。

 私は前を向いて歩きながら、何度もそれを噛み締めたのだった。

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