第41話 汐里とエリカ カモメ堂
「久々に会って話す内容がこれって……笑っちゃうよね?」
私は洗いざらいエリカに事情を話してから、視線をエリカに向けた。
まだ見慣れない短い髪のエリカの顔色が白い。それに、マスクに覆われていないその目が真剣だった。
「エリカ? ごめん……もしかして具合悪い?」
亮太が変な虫に取り憑かれてる上に、頭に白い花が咲いてて……それをどうにかしたくて困ってるなんて話、理解不能だよね。
そもそも、虫という気色悪いワードが入っている時点でもうアウトな気がしてきた。
「圭介も……」
ポツリ、エリカが言った。
「え? 圭介って……香川君のことだよね?」
「うん……汐里、覚えてない? 高二の時、私が圭介の頭に白い花が咲いてるのがおかしいって騒いだこと」
胸がどきりとした。
頭に白い花って……亮太と同じ……
私が香川君を知ったのは、高二の時に初めて同じクラスになってからだ。
香川君は、背が高くてしっかりした体格をしていて、大人しめで優しげな人だった。
私はあまり香川君とは喋らなかったから、突然秋頃にエリカと香川君が実は一学期から付き合っていると聞いてびっくりしたんだ。
「お……覚えてない……」
「そうだよね……あの花、私にしか見えてなかったから……見えなかったり、知らなかったりするものを信じるのは、難しいと思うよ」
まさか、エリカが私と同じ体験をしていたなんて!
私は予想外に降って湧いた希望の光に、小躍りしたくなった。
でも、エリカはなにをどのくらい知ってるんだろう?
エリカはリュックからメモ用紙とペンを取り出した。
「汐里が聞いてる情報は、三つだよね……白い花が見える条件、彼氏さんが戻らない理由、取り戻せる期限がいつか」
「うん……」
私は冷静にメモ用紙に状況を書いていくエリカを、じっと見つめていた。
「知りたいこと、沢山あるでしょ?」
「うん、ある……」
「今と同じ、ゴールデンウィーク中だったよ。高二の時、私は圭介をかけて
エリカは時々手を止めながら、メモ用紙に文字を書き続けた。
「もしかして……エリカが香川君と付き合うきっかけになったのって?」
エリカの手が止まって、私を見上げたその表情は少し複雑なものだった。
「うん……そうだよ」
「そうなんだ……」
詳しく聞いてみたいけど、なんとなく言いづらい。
「生きることをやめたい人が、こうなるんだよ。そういった人を、
「えっ……香川君が?」
「圭介は……小学生の時から、ずっと同級生から嫌がらせを受けてたんだ。中学の時は、不登校にもなってた」
私は一瞬呼吸を止めて、香川君の少し気弱そうな笑顔を思いだした。
「なんとなく、わかるような気がするでしょ? 圭介、優しいって言えば聞こえは言いけど、嫌なこと言われたりされたりしても、言い返したり怒ったりするのが苦手だったんだ……今は、だいぶマシになったけどさ」
エリカは微かに笑った。
「私、圭介が寂しい思いをしているだろうなって、ずっと思ってた。私達、住んでた団地が一緒だったから、けっこう見かけることがあってね……でも、私は圭介を避けてたんだ。保育園に通ってた頃は、二人でよく遊んでたのにだよ?」
「うん……」
エリカは、昔の自分がしたことを責めている。そんな気がした。
「高二の時、圭介と同じクラスになっても私は圭介を避けてた。でも、頭に白い花が咲いてから、あいつはおかしくなったんだ。爽やかな笑顔を浮かべて、私に『白鳥さん、おはよう!』なんて言ってさ……なんかおかしいって思ってたら、
『私と君とでゲームをしよう。一週間以内に、
その話……私と一緒だ。
「エリカは、どうやって香川君を取り戻したの?」
「生きることを諦めて安心感を覚えた人間を、不安だらけのこっちの世界に引き戻すのは、けっこうパンチ力がいる」
真っ直ぐに私を見るエリカの言葉が、ずしりと私の胸に食い込んだ。
「私、毎晩審判を受けてた……
「それって?」
「そ、それは……大したことじゃないよ……保育園児だった頃に言った、私のワガママ」
なんだろう、うまく誤魔化されたような気がする。
「なにか思い当たるようなことありそう? 彼氏さんがこっちに戻りそうなこと」
「えっと……うーん」
私と亮太が共有する思い出……今思いつくのは、亮太の大好きな、あのコンビニのプリンくらいだ。
「期限は来週の火曜日だよね……それまでに、いくつか案を考えて……」
『安心しろ、最終期限の火曜の夜には、この部屋に戻るさ……さあ、思う存分抗いたまえ』
私はハッとした。
あの言い方だと、
「チャンス……一度しかないかも……亮太、そんなようなこと言ってた」
「えっ⁉ 一回⁉ まあ、その一回の時にまとめて審判を受ければいいんだろうけど」
「あ、そうか……」
亮太に、もう一度自分の人生を歩みたいと思わせるには、どうしたらいいんだろう?
もし私が亮太の立場だったら、どう思うだろうか?
私は想像してみたけれど、うまくいかなかった。
そもそも亮太を作り上げてきた過去が、ほとんどわからないからだ。
「過去、か……」
エリカは注文していたグレープフルーツジュースを一気に飲み干して、私にメモ用紙を差し出した。
見れば、エリカの読みやすい字がメモ用紙にぎっしりと書かれている。
「ありがとう、エリカ」
「勝てばいいんだよ、汐里!」
不意に、エリカがにっこりと笑った。
その瞬間、大丈夫だから、と優しく抱きしめられたような気持ちになった。
甘いなにかが、胸にじわじわと広がっていく。
うん……私、頑張るよ、エリカ。
「私、亮太の実家に行ってみる。今はちょうどゴールデンウィークで会社が休みだから、時間はたくさんあるし」
「うん……汐里、絶対に諦めちゃダメだからね……私、話を聞くことしかできないけど、力になるから……あ、そうだ、あとこれ」
そう言ったエリカがテーブルの上に置いたのは、小さなジッパー付きのビニール袋だった。
切手や小さな物をいれるようなサイズで、百円ショップで売っているようなものだ。
その中に、四つ折りにされた小さなメモ用紙が入っているのが見える。
「これは?」
「これが、
ざわり、私の体の中で血の気が引く音がした。
「これは5年前に、圭介からもらったものなんだ。私、
エリカはスマホを操作して、とある風邪薬の画像を見せてくれた。
「もしかしたら、汐里の彼氏さんはこの袋とメモを捨ててしまってるかもしれないけど……」
「このメモ、なにが書いてあるの?」
心臓がどくんと音をたてる。
「メールアドレスと電話番号……多分、向こうの」
「エリカ……」
私を見つめるエリカの瞳が一段と強い光を放つ。
「だめだよ、汐里。あいつらはマトモじゃない。その上、虫に人を乗っ取らせるなんてとんでもない技術を持ってる」
そうだ、エリカは私より
大きめのメモ用紙いっぱいに文字を書けるくらいの情報を持っている。しかも、それは体験談だ。
エリカの言葉に重みを感じるのは、きっとそのせいなんだろう。
「わかった……じゃあ、写真だけ撮っておく」
私はエリカのスマホに映った風邪薬の画像と、サプリメントが入っていたという袋をスマホで撮影した。
「これ……捨てずにとってあるんだね」
「うん……あのゲームのこと、忘れたくないから……私、自分に都合の悪いことは、すぐに忘れちゃうからさ」
小さなビニール袋を大切そうにしまって、エリカはにこりと笑った。
その途端、急に空腹感が湧き上がる。
「そういえば、今朝七時に朝ごはん食べてから何も食べてなかった……」
「私のことは気にしないで……今、あまり食欲ないから」
「うん、ごめん……ありがとう」
ありがとう、エリカ。私、
私はカモメ堂のメニューをじっと見つめながら、そう心に誓ったのだった。
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