第37話 エリカと圭介 過去と現在
『あっ、エリカ? 久しぶり〜、メール見たよ! おめでとう! いいなあ、私なんて結婚もまだなのに……ほんとエリカ羨ましすぎ……え? うん……彼氏とはうまくやってるよ〜』
明るい汐里の声を聞いた途端、一瞬だけ高校生時代の空気が蘇った。
たったの3年で、私達は学生から社会人……大人の仲間入りをしなくちゃならなかった。
よく考えてみたら、そんなのは無理だ。
なんやかや、就職してもまれて、私は少しだけ大人になった気がする。
私を羨ましいと言った汐里は、商業高校に入ってから仲良くなった子だった。
うちの最寄り駅から二駅下り方面の駅。
そこから電車に乗り、汐里は通学していた。
汐里は、しっかりしていて面白い……明るい空気を放つ子だ。
先日久しぶりに声を聞いた限り、それは今も変わっていないように思えた。
良かった……
私は心底ほっとしていた。
数年前に比べればその数はがくんと減っていたけれど、汐里の家の最寄り駅には“名所”と呼ばれている踏切がある。
それを思うと、どうしても高校二年生の時に過ごしたゴールデンウィークを思い出してしまうのだ。
圭介が
私の人生23年の中の、たった数日。
だけど、あの時の夜の審判は今でも鮮明に思い出せる。
そのくらい、私にとってはショッキングで強い危機感を抱く出来事だった。
結果だけをみれば、私は
あとは、全てを忘れて日常をこなしていくだけ。
本当は、そうしたかった。
だけど、
『またどこかで会えたら、私と勝負しようではないか』
と。
それは、
忘れてはだめだ……ここで逃げたら、私はまた後悔する。
そう思った私は覚悟を決めて圭介に聞いた。
あの“声の人”の声が聞こえるようになったきっかけ……つまり、
それはネットで検索してもヒットしない、実際に体験した圭介しか知らないことだった。
『知らない女の人が、団地の近くでサプリメントの試供品を配ってたんだよ』
そう言いながら圭介が見せてくれたのは、小さなジッパー付きの袋と、その中に入っていた小さなメモ用紙だった。
そのメモ用紙には、メールアドレスと携帯電話の番号だけが書かれていた。
ここに、電話してみようか?
私はメモ用紙を手にした瞬間にそう思ったが、実行には移さなかった。
できることなら、もう一生関わりたくない。
それが本音だった。
でも。もしこれから先、頭に白い花を咲かせた人に出会ってしまったら?
それは間違いなく、私の大切な人だ。
あの白い花が見える条件が、お互いに相手に強い感情を抱いていること、だからだ。
忘れちゃだめだ。
私は圭介から譲り受けた小さなジッパー付き袋とメモ用紙を、そっと財布のポケットに押し込んだ。
再びかかってきた汐里からの電話。
「もしもし? 汐里?」
問う私の声に、汐里のあの元気な声が返ってこない。
どうして……と揺らぐ私の耳に響く、甲高いあの嫌な音。
カンカンカンカンカンカンカンカン
遮断機の警報音と電車が通過する音に、心臓がどくりと音をたてる。
行かなくちゃ。汐里と会わなくちゃ。そうしないと、私は一生後悔する。
『駅……家の近くの……』
良かった、応えてくれた……
待ってて、今行くから……ちゃんと話を聞くから……
「あれ、出かけるの?」
上着を羽織る私に、湯気を立てるコーヒーカップを手にした圭介が聞いてきた。
思わず見つめたその頭頂部に、今はない幻を見てしまう。
ゆらゆらと白い花びらを揺らしながら、誇らしげに咲く一輪の花。
あの
私は深呼吸を繰り返した。
「うん、ちょっと汐里に会ってくる……電車で二駅の場所で会うから、そんなに遅くならないと思う」
「汐里って……えーっと……あぁ、佐川さんだっけ? なんか懐かしいね……でも、具合大丈夫なの? リカちゃん、さっきまでトイレでゲーゲーしてたよね」
うっ……そ、そうなんだけど、今はそんなこと言ってられないんだよ。
「いやあ、妊婦さんて毎日二日酔いみたいで気の毒だなぁ……」
「ほんとに、圭介にも味あわせてやりたいよ」
あ、思わず本音が出ちゃった。
「ごめんね、リカちゃん」
コーヒーをテーブルに置いた圭介に、ぎゅっと抱きしめられる。
あったかい。
あーあ、こうなるともう、私の中から苛立ちとか消えちゃうんだよな……ほんと卑怯者なんだから……
「気をつけてね、なにかあったらすぐ連絡して」
「うん、わかった……行ってくる」
私は僅かに残る吐き気を無理やり押し込めて、玄関のドアを開けた。
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