第36話 汐里 助け舟

 カンカンカンカンカン

 すぐ近くで遮断機の音がするのに、なぜか遠くに感じられた。

 点滅する赤いランプが、チカチカと私の脳に警告を送る。

 危険だと。

 今この先に進めば、命の保証はないと。

 この先、あのままの亮太で生きたなら、今までの亮太はどうなっちゃうの?

 私の大好きな亮太は……亮太とは、もう二度と会えなくなちゃうの?

 どうしてこうなったのか……

 私はどうすればいいのか……

 だいたい、虫ってなに? 虫が人を乗っ取るなんて、B級ホラー映画じゃあるまいし、現実にそんなことできるわけないじゃない……

 じゃあ、亮太はなんであんなに変わっちゃったんだろう? ストレス? 病院に行った方が良かった?

 わからない……わからないよ! 考えても考えてもわからないことだらけで、頭がおかしくなりそう!

 目の前を何本もの電車が行き過ぎて、遮断器のバーが上がる。

 周りの人に流されるように、私はのそのそと歩いた。

 ……ただ一つ確実なのは、こうなった原因が自分にあるということだ。

 それは、おかしくなった亮太に言われなくても、なんとかく感じていた。

 でも、どんなに過去の自分を責めてみても、もう時間は巻き戻せない。

 私はただ、元の亮太に戻って欲しいだけ。

 ちゃんと亮太に謝って、私には亮太しかいないから、許してほしいと伝えるんだ。

『私と君とでゲームをしよう。一週間以内に、亮太こいつがこちらに戻ってくれば君の勝ち。戻らなければ私の勝ちだ』

 あれ……本当なんだろうか……本当に来週の火曜日を過ぎたら、亮太は二度と……

 気づいたら、私は線路脇に立ち止まっていた。

 コーヒーの空き瓶に生けられた、目の前の白い花にゾワリと鳥肌がたつ。

『この白い花は、誰にでも見えるものではない。お互いに強い感情を抱いている場合にのみ見える、いわば亮太こいつの最後の悪あがきだ』

「最後の悪あがき……」

 瓶の中で亡き人を慰める白い花を見つめながら、私は亮太の言葉を思いだしていた。

 私は深く息を吐いて、バッグからスマホを取り出した。

 頭に咲いた。白い花。

 虫眼鏡のマークを押す。

「だめだ、本物の白い花しか出てこない……」

 虫。乗っ取り。

「こっちもだめだ……今度は虫しか出てこない」

 私はその場に座り込み、スマホを抱きかかえる。

 どうして……なんでヒットしないんだろう……もしかして、こんなことになってるのが、亮太しかいないから?

 あまりに大きすぎる不安に、がくがくと体が震える。

 私は自分で自分の肩をぎゅっと掴んだ。

 誰か……私に本当の事を教えて……大丈夫だよって、笑いかけて……

 誰か……

 息が苦しい。

 私は藁にも縋る思いで、ぶるぶると小刻みに揺れる指先をスマホの画面に這わせる。

 アドレス帳……あから始まって……い……う……え……エリカ……

 バッと頭に浮かんだのは、ポニーテールと商業高校のネイビーカラーの制服だった。

 私は少しも迷うことなく、緑のコールボタンを押した。


 プルルル、プルルル、プルルル……

 エリカ、出ないや……そうだ、忘れてたけど今日はゴールデンウィークの初日だったっけ……きっと香川君とどこかに出かけてるんだ……

『もしもし? 汐里?』

 耳を離した途端にスマホから漏れ出たエリカの声に、緊張の糸がぷつりと切れた。

『汐里? どうしたの?』

 スマホの向こうから聞こえる声。

 先月久しぶりに電話で話をしたばかりなのに、なぜかすがりつきたいくらい恋しく感じられた。

『汐里……泣いてるの?』

 どうして、それがわかったんだろう?

「うん……ごめん……」

 嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪えて、ようやく一言だけを絞り出した。

『……今、どこにいるの?』

 私はゆっくりと深呼吸を繰り返した。

 その間、エリカはずっと黙って私を待ってくれている。

「駅……家の近くの……」

『わかった。今からそっちにいくから待ってて……一時間くらいかかるけど』

 私は流れてくる涙を指先で拭った。

「うん、待ってる」

『駅に着いたらまた電話するから……じゃあ、また後でね』

 まだ何一つ変わったわけじゃないのに、私の胸の中に深い安堵感が広がった。

 そういえば、エリカに会うのは何年ぶりだろう?

 高校を卒業してから一度も会っていないから、もう5年くらいかな?

 次に会うのは、エリカがママになってからだと思ってたのに……こんなことで会うことになるなんて……

 それに、こんな話をそのままエリカにしたところで、困らせてしまうだけのような気もする。

「つい、電話しちゃったけど……やっぱりキャンセル……」

 体は正直だ。

 口にした言葉とは裏腹に、手は動かない。

 どう思われてもいい。ありのままを正直に話そう。

 私はため息を吐きながら、近くの喫茶店“カモメ堂”に足を踏み入れた。

 きっとエリカなら、ちゃんと私の言葉を受け止めてくれる。

 なぜか、そんな気がしていた。

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