第33話 汐里 諦めない

 私はぼんやりと駅のロータリーに設置されている時計を見た。

 待ち合わせの時間、午前8時。それを、5分過ぎている。

 この駅はアカリの自宅の最寄り駅だから、普段は使わない駅だ。

 だが今は、見慣れない風景を珍しがる余裕はない。

「おかしいな……ミナ、なんでこないんだろう……メッセージ送っても既読すらつかないし……もう待ち合わせの時間過ぎてるよ……」

 私は少し焦りながらスマホを見た。

 ミナに電話をしてみても、呼び出し音の後に留守番電話のアナウンスが流れるばかりだ。

 おかしいな……いや、なによりミナが来てくれないと、アカリとアカリの彼氏、私の3人で出かけるのはなんだか気まずいから嫌なんだけど。

「汐里ーっ」

 困って固まる私の前に、シルバーのセダンが滑り込むように止まった。

 アカリだ。

 開いた助手席の窓からアカリの顔が見える。いつもの2倍増しのメイクに、一瞬視線が奪われた。

「あっ、アカリ……ミナがまだ来てないんだけどなにか連絡……」

 そこまで言いかけて、私は口をつぐんだ。

 視界に入った後部座席に、知らない若い男が乗っているのが見えたからだ。

 やられた……

 その瞬間、私は全てを理解した。

 はじめからアカリはこうするつもりで、ミナに口裏を合わせるように伝えたんだ。

 全身から血の気が引いていくのがわかった。

 県外のフラワーパークまでの数時間を、見知らぬ男の横で過ごすなんて冗談じゃない。おまけに車内は密室だ。

 気持ち悪いったらない!

「私、帰る!」

「えっ、ちょっと待ってよ汐里!」

 バタン、と車のドアが閉まる音が聞こえる。

 帰ると言い捨てた私を追うように、慌ててアカリが車から降りて来たのだ。

 おそらく、女を紹介するからと連れてきた彼氏の友達にいい顔ができなくなるのが嫌なんだろう。

「あんた、彼氏に振られたんでんしょ? だったらいいじゃない、他の男と遊んだってさ」

 アカリの何気ない一言に、一瞬で頭の中が亮太の困ったような笑顔で埋め尽くされる。

 ざわりと腹の底でなにかがうごめいた。

「……良くないわよ……私はまだ、諦めてないんだから」

 私は足を止め、アカリを振り返りもせず呻くように言った。

「なに言ってんのよ、しつこい女は嫌われるわよ。それにほら、きれいな花観たら気分転換になるし、ストレス発散にもなるじゃない」

 逆だよ、アカリ。一緒に行ったら、余計にストレスがたまるんだよ。

「行かない」

 亮太以外の男と眺める花なんか、どんなにきれいだろうと色褪せて見えるんだよ、今の私には……

 私は勢いよく、アカリを振り返った。

「行かないったら行かない」

 正直、自分だってここまで諦めが悪いなんて知らなかったよ。

「汐里! ほら、皆待ってるから行こうよ!」

 白くて細いアカリの手が、私の腕を掴む。

 ネイビーカラーのロングカーディガンの袖が、ほんの少し伸びた。

「アカリ……ごめん、ガソリン代と高速代ならちゃんと払うから、後で金額を教えて……私、知らない男の隣に座るのはムリだから……」

 浮かべたつもりの笑顔には、怒りが浮かんでいたと思う。

 嘘をついていたアカリへの怒りと、亮太に冷却期間を置こうと言った自分への怒りだ。

 きっちりメイクしたアカリの表情かおが、一瞬強張って、すぐに呆れたようなものになった。

「はあーあ、あんたってほんとガッチガチなんだから……だから男にモテないのよ」

「うん……そうだよね……でも、いいんだよ別に。男にモテなくてもさ」

 私はつい苦笑する。

 私には、亮太がいればいい。亮太さえいてくれれば……それだけで私は幸せなの。

 バタン、という音に視線をそっちに向けると、車の後部座席からあの知らない男が降りて来るのが見えた。

「しょうがないわね……早く行きなさいよ。あいつには、私から言っておくから。じゃあね」

 アカリはさっと私に背を向ける。

 淡いラベンダーカラーのスカートの裾が、ふわりと揺れた。

「ありがとう、アカリ」

 私はすぐさま、駅のロータリーに背を向ける。

 帰れと言われてもいい。とにかく、亮太のアパートに行こう。謝って、謝って、謝り倒すのだ。

 決意を新たにした私の足取りは、もう重くはなかったのだった。

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