第31話 汐里と亮太 アナザーストーリースタート
カンカンカンカンカン
あぁ、また電車が来た……毎朝とはいえ、ほんとイライラする……時間に余裕を持って行動していない自分が悪いのは、わかってるんだけど。
私と同じように踏切のバーが上がるのを待っている人は沢山いる。
スーツを着たサラリーマンやきれいに化粧をした女の人、学生さんが多い。
あっ、電車が通過した、今だ!
貴重な隙間を縫うように、一気に人が踏切を横断し始める。
花が、新しくなっていた。
視界の端に映る、コーヒーの空き瓶に生けられた花。
それは、萎びれて茶色くなった頃に新しい花に替えられる。
この踏切で亡くなった誰かを、悼んでいる人がいるのだ。
この踏切は、いわゆる名所だ。
増えると言われている新年度のスタート時だけじゃなく、通年を通してこの場所を選ぶ人がいる。
それでもここ数年は、その件数は大分減っていた。
正直私には、その道を選んでしまう人の気持ちはわからない。
その人の生き様や感情をよく知りもしないのに、生きていた方がいいのに、とも言いきれなかった。
きちんと列を作って電車を待つ人々の前に、上り電車がやってくる。
今日は、返信来てるかな……既読はつくから、見てはいるんだろうけど……さすがに怒ってるのかな……
前に並んでいる人の後に続いて、電車に乗り込む。朝の通勤時間。いつもの混雑ぶりは変わらない。
最近遭遇しない、人身事故による運行停止。
いつもはさほど気に留めていないそれが妙に気になるのは、私に心当たりがあるからだ。
私はぼんやりと、電車の中吊り広告に目をやった。
「ねぇ、今度のデートはここに行こうよ!」
亮太は、私が渡したスマホの画面をじっと見つめた。
そこには、まさしく圧巻という言葉が相応しい藤の花が画面いっぱいに広がっている。
それは電車の中吊り広告で見かけた、藤の花で有名な公園の画像だった。
「ここ……遠いよ」
手にしたスマホの画面をスクロールして、公園の場所を確認した亮太がぼそりと言った。
そして、いつものようにうっすらと笑って、亮太は私にスマホを返してくる。
「えぇ……」
私はスマホを受け取りながら、できる限りの不満を亮太に示した。
「そこ、車で行かないと不便な所だろ? 俺、車持ってないしペーパードライバーだし」
「そうだけど……でも、電車でも行けるよ?」
「ごめん
私と違ってもの静かな印象の、亮太の声。滅多に喜怒哀楽が籠らない、やさしい声だ。
「会社……あぶないの?」
話は前から聞いていた。
亮太も私も、高校を卒業してすぐに働いている。
亮太は24歳、私は23歳。
亮太の勤務先は小さな製本会社で、去年から経営が危ぶまれている。
商業科を卒業した私が勤めている会社の方が、まだ安定感があった。
「俺の
私はなんともいえない気持ちになった。
亮太は他県にある実家を出て一人暮らしをしている。
会社から出ている給料だけでは生活が成り立たないから、週に2回深夜から早朝までコンビニでアルバイトをしていた。
私が亮太と知り合ったのも、そのコンビニでだった。
「私が電車賃出すから、行こうよ」
私は『汐里の会社と違って』の部分に少しカチンとしながらも、粘って交渉を続けた。
「そうやっていつも甘えてばかりいられないよ。それでなくても、いつも食材を多めに買ってきてもらってるのに」
そんなの……気にしてほしくない……
「私は実家暮らしだから、家賃とかかからないからさ!」
私は少し無理やり笑った。
「……ごめん」
わかってる。亮太が、うんと言わないことは。もう、付き合って3年も経つんだもの。3年も……
私は目を伏せた。
このまま付き合って……私達は、いつか結婚できるのかな?
先日電話で話をした、高校時代の友人の顔が頭に浮かぶ。
彼女は幼なじみの人と高二から付き合い始めて、卒業後に同棲を2年続けた末に結婚した。
久しぶりに電話をしたのは、今年の秋に家族が増えることなったというメールが届いたからだった。
久しぶりに声を聞けたのは嬉しかったけど、やっぱり羨ましいという気持ちが強く出てしまう。
私は、亮太が好きだ。不器用で表情が固いことが多いけど、優しすぎるくらい優しい人だ。
いつかは結婚したいと思っているし、彼の子どもを産んで一緒に育てたいとも思っている。
その思いを、私は亮太に何回か伝えた。
その度に、亮太はさっきの言葉を口にした。
『ごめん……』
と。
亮太は無責任な男じゃない。真面目な男だ。
だから、不安定な会社に勤め、貯金もできない自分が結婚なんてできないと言う。
でも、私だって働いている。今どき、夫婦共働きなんて珍しくともなんともない。
そう言っても、亮太は“じゃあいつかは……”とは言わなかった。
『私のこと、本当に好きなの?』
ベッドの下に落ちたブラウスを拾いながら、聞いたことがある。
振り返った私をじっと見つめる亮太の瞳は、少し寂しそうだった。
そんな瞳をさせたことに少し罪悪感を感じて、私は慌てて亮太にキスをする。
亮太の息の匂いを吸っては吐く。ねぇ、この甘さを、あなたは私の呼吸から感じ取っている?
ほんとは、知ってる。亮太が、私のこと大好きだって。
でも、それでも私が聞いてしまうのは、私が意地悪したいのと不安なのと……両方だ。
カチコチという部屋の時計と、水槽のポンプのたてる音だけが、部屋に響く。
「亮太……私達、少し冷却期間を置かない?」
じっと見つめた先の亮太には、乱れた感情が少しもなかった。
ねぇ。嫌だ、って言ってよ。そんなことするくらいなら、一緒に出かけようって、言って。
だけどそんな私の期待を裏切って、亮太はただ一言だけを静かに口にした。
「わかった」
それは、私が一番聞きたくなかった答えだった。
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