第26話 土曜日の判定

「おや、また絵本を持って来たのかね?」

 私が差し出した2冊の絵本を受け取りながら、圭介は言った。

「そうだけど、今回は前のとは違うジャンルだから」

「ふぅん……なるほど、これはまた生殖に関わる強い欲求に訴えかける物語だな」

 圭介はペラリと絵本をめくりながら、にやりと笑った。

 せ、セイショク⁉

「なんて露骨なこと言うんだよ……それ、子ども向けの絵本なんだぞ」

「子ども向けだろうが絵本だろうが、男女間の恋愛は子孫を残すという本能に繋がっている。本能の力とは強力なものだぞ。君とてそれを持っているはずだが?」

 うっ、やめてくれ。

 なぜか湧き出てくる嫌悪感に、私は口元を抑えた。

 そして、思い出す。

『そっ。睡眠欲、食欲、性欲の3つよ』

 そう。前に汐里が言っていたことと、今の圭介が言っていることは同じことなんだ。

 そう思うと、ほんの少しだけ嫌悪感が薄れるような気がした。

「ところで君は、この絵本にときめきを感じたのかね?」

 なんて鋭い突っ込みをしてくるんだ、この虫は⁉ ……感じてねぇよ……ぜんっぜん……

「いや、あんまり……」

「そうか……だが、圭介こいつはそれを感じているようだぞ。しかし、厳しい現実を体験しているから、甘い感情と同時に絶望感にさいなまれている」

「絶望感?」

 それは思いがけない、嫌な響きの言葉だった。

 お姫様と王子様が幸せになる話を読んで、どうして絶望を感じるんだよ⁉

「そう、自分には無理だという絶望感だ。理想に近づけない自分は、だめだと思っているらしい」

「あぁ、そういうことか……私には、よくわからないけど……」

 私は圭介の目をじっと見つめた。

 圭介は聴覚を奪われているから、私が何を言ったところで言葉は届かない。

 だけどそれでも、私は言わずにはいられなかった。

「現実と理想が食い違うなんて、そんなのはよくあることだよ……皆、それなりの現実を受け入れながら生きてると思うよ……だから、新しい目標を作ってそれに向かって努力しているんだ」

「ほう、なかなか立派なことを言うね」

 圭介は絵本を閉じながら、くすりと笑った。

 その目の光は、あたたかくも優しくもない。

「君にはとても強いエネルギーがあるから、そう思うのだ。圭介こいつの場合は、元々心が強くなかった上に外部から散々削られて、もう湧き出るエネルギーがないのだよ」

 エネルギーがない……

 圭介のその言葉は、私を暗闇に突き落とした。

 私は悔しくて、奥歯をぎゅっと噛みしめる。

 私が、もっと早く行動していれば……

 もっと早く、圭介とちゃんと話をしていれば……こんな変な虫なんかに取り憑かれる前に!

 私の馬鹿!

「それなら、私のエネルギーをやるよ! 圭介に湧き出るものがないって言うなら、いくらでも私のをぎ足してやる! だから戻ってこい、圭介!」

 私は一気に思いを吐き出した。

 かなり気を乗せたからか、心臓がどくどくいっている。呼吸も少し苦しい。

「愛か……」

 圭介がぽつりと呟く。

 それはしんとした夜の空気の中で、やたらとはっきり聞こえた。

「そ、そんなんじゃないよ……」

 あぁ、なんだこの気恥ずかしさは……もう、圭介を直視できん……

「今の君の言葉が圭介こいつに届いていたら、もしかしたら戻っていたかもしれんなぁ……実に残念なことだ」

「えっ! ちょっとそれ!」

「この花が」

 圭介は、すっと自分の頭を指さした。

 そこには、あの白い花が揺れている。

「自然に抜け落ちるか、それともただ見えなくなるのか。それが目安だ」

「どういうこと?」

「つまり明日の夜、この花が圭介こいつの頭から抜け落ちたら、君の勝ちということさ」

 なるほど、そういうことか……

「私が勝つ」

 明日。明日の夜が最後のチャンス。

 言葉ではなく、視覚で圭介を取り戻せるもの……なんだろう、絶対にこれだと言い切れるもの。

 だめだ、まだ浮かばない。このままじゃ……いいや、落ちこんでいる暇なんてない。

 今までに反応があったことや、私が思い出していることだってあるんだから。

 家に帰ったら、それを紙に書き出してまとめてみよう。

 私は差し出された絵本を圭介から受け取りながら、そう考えていた。

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