第16話 答え合わせ
午後5時から9時までのスーパーでのバイトを終えて、私は足早にいつもの公園に向かった。
圭介が待つ、団地の近くにある小さな公園のベンチ。
「リュック、重……」
私は肩に食い込むリュックの肩紐に手を入れた。
厚みが薄めの本とはいえ、10冊も入れるとさすがにいつもより重さを感じる。
私が好きだった絵本、働く車、電車、恐竜、工作、宇宙、その他これは! と思って図書館で借りたものだ。
その中の一冊に、特に気にかかっているものがある。
それは、世界でも日本でもかなり有名な絵本だった。そのお話の主人公は、害虫ではないものの虫である。
物語の主人公である芋虫は、色んな食べ物を食べて成長し、最後には
これは、生まれてから
その絵本を選んだ理由は、はっきり言って
「いた……圭介」
圭介はベンチに座り、何やら文庫本を読んでいるように見えた。
ざり、と私が踏んだ砂と草が立てた音に、圭介が視線をこちらに向ける。
一瞬、どくんと心臓が高鳴った。落ち着け、私。
「今日は、本を持ってきた」
私は圭介の前に行くより先にその場に立ち止まり、リュックから図書館で借りた絵本を取り出した。
「ほう、随分沢山あるね」
それらをまとめてベンチに座っている圭介に手渡す。
私は本のページをめくり始めた圭介を確認してから、いつものように二人分の間を空けてベンチに座った。
しばらくの間、圭介がページをめくる音だけがしんとした夜闇に響き、やがてそのペースがゆっくりになった。
見れば、あの虫が主人公の絵本を食い入るように見つめている。
あれは、圭介本人が反応しているんだろうか……それとも
私は辛抱強くその結果が出るのを待った。
「実に平和な物語だ」
パタンと絵本を閉じ、圭介は笑って私を見た。
「平和?」
私は圭介が口にした言葉の意味がわからず、すぐに聞き返す。
「命の危機にさらされず、恐怖に脅かされることのない、実に平和な時を生きた虫の物語だ。羨ましいといえば羨ましいね」
なるほど、この絵本の主人公を羨むということは、
「我が一族の者達は、他種族の……例えば鳥などだが、その餌になりやすい。さらに誤って君達人間のテリトリーに入ってしまえば、特に害虫と呼ばれている者達は毒殺される可能性が高い」
それは確かにそうだ。
そして、圭介を乗っ取ろうとしている
前に、自分でそう言っていた。
私の脳裏に、ひっくり返り、細くてギザギザした足をバタつかせている害虫の姿が浮かぶ。
「あんたは害虫を殺してる私ら人間を
それ以外、考えられない。
「恨みか……まあ、確かにそれはゼロではないが……君達人間の生理現象は、私にもわからんでもない」
圭介はにやりと笑った。
「得体の知れない小さな存在に対する嫌悪感と恐れ……おそらく君達の発達した脳が、警告音を鳴らすのだろう……我らを排除せよと……ならば、それは抗いようがないではないか」
うっ、なんだか頭が良さそうなことをペラペラと……虫のくせに!
「じゃあ、なんで……」
「
不意に圭介が真顔になった。
「孤独?」
「いや、イントネーションが違う。蠱毒とは、呪いの一種だよ」
呪い!
なんだよ、いきなりオカルトかよ! いや、しかし既にこの状況はオカルトと呼べると思うけどさ。
「呪いだって? このご時世に、そんなことするやついる?」
「蠱毒は、昔の中国で生まれた呪術の一つだよ。壺の中に数匹の虫を入れ、戦わせて生き残った強い者を呪術に使うのだ」
「なにそれ……」
オカルトにまるで興味のない私には初耳だ。
「より生命力のある個体を使ったほうが、呪いの効力が上がると術者は考えたのだろうね……戦わされるこちらとしては、まさしく強制的なデスゲームに勝手に放り込まれることになる……まったくもって迷惑な話だ」
戦わされる? まさか……だって、昔の中国の話だし……
「命がけで戦い、斃したくもない仲間を斃し、生き延びても命を奪われる……こちらの知らない自分勝手な欲の為にな」
怒っている。さっきの殺虫剤での害虫駆除には寛容だったのに……ということは……
「あんた……まさかその……」
「そう、私は蠱毒……デスゲームの最後の生き残りさ……もっと正確に言えば、そのクローンだがね」
そんな突拍子もないこと、信じられるわけがない。それに、
でも。
「気の毒だと思うよ……その蠱毒ってやつに巻き込まれたやつはさ……でも、それをやったのはその当時の人間だろ? 今を生きてる私らには何一つ関係ないじゃない」
圭介はふっと笑って私を見た。
「そう、君の言う通り。私が抱えている負の感情は、今の行動の理由にはなっていない。私は、ただ神の為だけに働いているのだ」
出た、神!
私は深く息を吐いた。
やはり取り寄せたサプリメントを使って、どこかに訴えなければ……そうは言っても、どこにどうすればいいのかは皆目見当がつかないけれど。
「ねぇ、それより本……私が今日持ってきた本の中に、圭介が反応したものはあった?」
「いや……全てに目を通したが、懐かしくは感じても感情を揺さぶられるほどではなかったようだぞ」
「えぇ⁉ 嘘だろ……また失敗かよ……」
じゃあ、次は明日のフリマで懐かしのおもちゃを探すか……あぁ、あと3日しかないよ……
「なかなか楽しい一時だった。過去を思い出すのも、たまには悪くないな」
すぐ近くで圭介の声がした。
視線を上げると、そこには10冊の本を私に差し出す圭介がいる。
かすかに揺れる頭の上に咲いた白い花。大丈夫、まだはっきりと見えている。
諦めるもんか……次こそは!
私は本を受け取る為に手を差し出しながら、ぎゅっと奥歯を噛みしめたのだった。
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