第28話 美猫のシロと崖の下

「にゃにゃ!? ゴブリンのくせにボクについてくるとは、なかなかやるにゃ!」


「いや、ゴブリンじゃないんだけどな。一応人間だぞ、オレは」


 他愛のない会話をしながら、オレとシロは夜の山中を駆ける。


「でも見た目はゴブリンにゃ。おまけに魔王の器まで持ってるにゃ」


「器なぁ……」


 顔にぶつかりそうな邪魔な小枝をパシッと払うと、獣のようにシュルシュルと山道を駆けていくシロの後を追う。

 シロは白猫獣人なので夜目が効くし、オレは緑神からもらったアメ玉のおかげで暗闇の中でも見通せる。


 馬で二日かかる距離。

 それを、山をショートカットすることによって短縮しようとしているのだ。

 もちろん不眠不休。

 目指すは一日半での到着だ。


「なぁ、器って子供作ったら移せるらしいんだ」


「にゃ~、いらないならさっさと移しちまえばいいにゃ」


「う~ん、でもなぁ、子供作る以外に器を移す方法ないかなって思っててさ」


「捨てればいいにゃ」


「捨てる?」


「にゃ。この世界は黒い幕で覆われてるにゃ。夜暗くなるのもそのせいにゃ。その黒い幕の外に捨てればいいにゃ」


 へ~、なんか童話みたいな世界の捉え方してるんだなぁ。

 一応話に付き合ってみるか、どうせ道中暇なんだ。


「どうやって幕の外に捨てるの?」


「幕のとこまで行くにゃ」


「どこ? 幕のとこって」


「世界の果てにゃ」


「果てってどこにあるの?」


「知らんにゃ」


 振り向いたシロの目が爛爛らんらんと闇夜に輝いている。

 ネトゲにハマってた頃は、深夜に外出をすることが多かった。

 行き先は大体コンビニだ。

 真っ暗で静かな暗闇の中にポツンと浮かぶコンビニの明かり。

 闇夜に浮かぶシロの目の光。

 不意に蘇るその頃の記憶。

 なんというか。

 ワクワクする感覚だ。


「なぁ、ほんとに休まなくて大丈夫か?」


「ボクは二日くらいは何も食べなくても大丈夫にゃ。それより早く着かないと誰かに先越されて、かけた労力が水の泡にゃ」


 オレも食べなくても平気だ。

 お腹は空くが、少なくとも餓死はしない。

 夜目、高い身体能力、空腹耐性。

 オレとシロとの共通点は意外にも多く、二人のペースも絶妙に噛み合い旅路は快適なものとなっていた。


 そもそもネトゲ時代、移動というのはオレにとってただただの苦痛だった。

 行き先をクリックして、延々キャラが移動してるのをボーっと見る。

 行き先まで到達したら、また次の行き先をクリックしてキャラが走ってるのをボーっと眺める。

 ただ、それだけの退屈で虚無な時間。

 それが、オレにとってのネトゲの移動だった。


「にゃ、この崖飛び越えるにゃ~!」


「崖ね、オッケー!」


 猫ならではの柔らかな跳躍をするシロ。

 オレもその後に続き、跳ぶ。


 たのしい。


 思い通りに動く体。

 同じレベルで動けるツレ。

 そして、無人の野山を好きなように駆け巡る。

 一日中パソコンの前に座っていた時には絶対に得ることのできなかった充足感と高揚感。

 あぁ……本当に転移できてよかった。


 しみじみとそう感じる。


 ガコッ。


 あっ。

 対面の崖に着地したシロの足元が崩れた。

 前日が雨だったから地盤が弱くなっていたようだ。

 シロは踏ん張ろうとするが、その踏ん張るための足場は、とうに崖の下だ。


「シロッ!」


 オレは宙で体をひねると、勢いをつけて宙を蹴る。

 なぜそんなことをしたのか、また「出来る」と思ったのかはわからない。

 ただ、自然と体が動いていた。

 ひるがえされたマントが、ふわりと風を掴む。

 逆さになった態勢でホバリングすると、ブーツがギュギュッとと足に吸い付いてくるのを感じた。

 オレは、力を込めてくうを蹴る。


 ドンッ!


 蹴った反動でオレは「下」に跳ぶ。

 落下していくシロとの距離がぐんぐんと詰まっていく。


「シロっ! 手を伸ばせっ!」


 シロを手をつかむと、オレは彼女を強く抱きしめて体の位置を入れ替える。


「くっ……!」


 バシャンッ!


 全身に走る激しい衝撃。


「ぐっ、がっ……!」


 どうやらギリギリでオレが下敷きになることが出来たようだった。


 ああ、シロがなにか言ってる……。

 どうやら無事だったみたいでなによりだ。

 大丈夫、そんなに慌てなくてもオレは死なないから。

 っていうか、あの街の人達、オレが不老不死ってことに半信半疑だよな。

 まぁ、別にオレも痛い思いしたくないから不老不死の実践なんてやってみせてないから、しょうがない。

 だから大丈夫だって、シロ。

 オレは、こうして、すぐに……。


「喋れるようになるから」


「にゃにゃっ!? 喋ったにゃ!? これ、あれにゃ!? ろうそくが消える寸前に燃え盛る的なやつにゃ!?」


「いや……大丈夫……オレは、不老不死、だから……」


「にゃ~……。あれってほんとだったにゃ……? てっきりゴブリンがホラ吹いてるのかと思ってたにゃ……」


「いたた……でも派手にいっちゃったな……。多分一時間くらいしたら完全に治ると思うから、シロは辺りを調べてきてもらってもいい? 結構広そうだ、この崖底たにぞこ


「わかったにゃ! 偵察は得意にゃ! 行ってくるにゃ!」


 シュバッと敬礼すると、シロは薄暗い濃霧の中へと走り去っていった。


(急ぎすぎたのが裏目に出たか……)


 それにしてもずいぶんと深くまで落ちたものだ。


 七つに分かれた国々。

 大陸の東南部分を占めるセレストリア王国。

 その最南端の街が柴犬亭のあるケムラタウンだ。

 辺境の街なので周囲は未開の地域だらけ。

 そんなところを夜中に突っ切ろうとしたのはさすがに無謀だったかもしれない。


 シュルシュルと音を立てて、砕けた骨や肉が鎧の中で元に戻ろうとしている。

 この高さ、多分百メートル以上あるところから落ちたのに、人としての原型が残っているのは、この鎧のおかげかもしれない。

 っていうか、無我夢中だったからあんまり覚えてないけど、このマントって空中でちょっと浮いたよな?

 それからブーツも宙を蹴ってたような気がする。

 なんだろう、魔力門が開いたことと。

 装備がきれいになったこと。

 この二つの要因が重なって、本来持っていたはずの装備の効果が現れたとかなんだろうか。


(体が治ったら検証してみるとしよう)


 オレは目を閉じると、よく言えば回復に専念──有り体に言うと、まぁ、要するに、寝た。


 ◆


 気配を感じて目を上げると、どアップのシロの顔が映った。


「うおっ!」


 思わずのけぞる。

 シロはくっちゃくっちゃと、なにやら草を噛んでいる。


「な、なにを噛んでるの?」


「道草にゃ」


「道草?」


「にゃ。この草を煎じて飲むと体調がよくなるにゃ」


「そ、そうなんだ。採ってきてくれたんだね、ありがとう」


 道草、というネーミングには、あえて触れずに礼を言う。

 そしてなんとなく口元を手で拭って気づいた。


 あれ……?

 なんかオレ……口元がベタベタしてない?


「あ、あの……シロ? その草ってオレにどうやって食べさせ……」


「口移しにゃ」


「ああ、口移しね。って、え? 口移……し……?」


 おいおいおい、これってあれですか?

 オレの、オレのファーストキッ……。


「あ~、ちなみに確認だけど。シロって性別は……」


「メスにゃ。姿が人間寄りだから女性って言えって言われるけど、メスのほうがしっくりくるにゃ」


「あ、ああ、そうなんだ……」


 セェーーーフ!

 メスだからセーフ!

 ペットとキスしたようなものだからノーカンです!

 ふぃー、危なかったぜ、オレ!

 いや……でも……。


 改めてシロを見てみる。

 暗闇の中には、雪化粧をまとったかのようなシロの肌と髪の色がほんのりと浮かんでいる。

 ツンとした小ぶりでピンク色の鼻や、小さくすぼんだ口は、現代の感覚的には好まれることの多い造形だろうなと思う。

 目もパッチリして、まぁ今は夜なので爛爛らんらんと輝いててちょっと怖いが、とても可愛らしい。

 髪もシンプルなボブヘアーだが、左右に一箇所ずつ細い三つ編みがほどこしてあって、野性的な中にも女の子らしさを感じさせる。

 それでいてスタイルもよく、猫耳やヒゲもあって可愛い。

 さらに声も猫なで声で可愛いし、性格もオレを他の男と比べて馬鹿にするような打算的な部分もない。

 よくよく考えると理想的な相手ともいえる。


 なぁ、これ……言うほど危なかったか?

 これでよくないか?

 よくないか? っていうか大歓迎なのでは?

 いや、でもオレはその時の記憶がないし、なんの甘酸っぱさも青春のメモリーもないし、本当にこれがオレのファーストキスの思い出でいいのだろうか?


「どうやらもう回復したみたいにゃ? すごいにゃ、本当に不老不死なんだにゃ?」


「あ、ああ、シロが道草を食わせてくれたおかげだよ」


 言いながらなんかニュアンスがおかしいな? と感じる。


「それは、よかったにゃ。シロだけじゃ手に負えなかったからにゃ」


「手に負えないって、なにが?」


「ドラゴンにゃ」


 ズシーン! ズシーン! ズシーン!


「…………は?」


 シロの後ろから、およそ十五メートルほど、赤い瞳がギラギラと光った銅色のドラゴンが姿を現した。

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