第二十九話「決闘」

                 ◆ 


 不意に、ピエールは足を止めた。

 聖堂島の地下迷宮の浅層――下水道区画の通路の先に異様な気配を感じ取ったのだった。ずるり、ずるり。何かが這いずるような音が響く。追従する《照光》の呪文の光を強めながら、彼は銃を構え、這い寄る標的を待ち構える。 


「くそ、この私が、っふ、ぐ、ううう……」


 現れたのは、大司教アントニウスだった。しかしその異様な姿にピエールは眉を顰める。地を這う彼は、胴から下を欠損していた。血の導線を引きながら、蛞蝓なめくじのように必死で前に進んでくる。


「――これはこれは。大司教殿。一体どうされたのですかな、そのお姿は」

「!? 貴、貴様――」


 仮面の男の存在に気が付いた大司教は、苦痛に歪めた表情を、一層に険しくする。


「今まで一体、どこで何をやっていた! 教会の槍ともあろう者達が――」

「落ち着いてください。地下で一体何があったというのです」

「……殺された。殺されたのだ。フランクも、ミルドレッドも。二人ともあの、おぞましい、ばけものに。……妖刀使いにッ」


 ピエールは仮面の下で目を剥いた。


「……。そう、ですか。く、ふふ」


 喉元に、奇妙な笑いが零れ出る。

 可笑しい。どうにも可笑しくて、たまらなかった。


「貴様、治癒呪文は使えるか。使えなくてもいい、私を運べ。今ならまだ再生できる。……何をしている!? 聞いているのか! さっさとしろ! 早く私を助け、」

「ええ。今お助けしますよ。――父上」


 仮面の男は優しくそう声を掛けた。

 這いずる老爺の口に、腰から引き抜いた直刀を突き入れながら。


「あが、――!?」


 喉に火箸を突き入れられたかのような痛みに、大司教が悶絶する。


「痛いだろう。このカタナには、少量の銀が混じっているからな」

「き、さま、いっ、たい……!?」

「言ったところで無駄さ。どうせ貴様は、自分で撒いた胤の事など覚えてもいないだろう。私の母の事も、――彼女の母のことも」


 ピエールが握る柄に力を籠めると、刀身に炎が奔り、大司教の全身を一瞬で燃え上がらせる。肺が焼け、皮膚が爛れ、眼球が蒸発する壮絶な痛みが襲い来る。


「あ、が、があああああああああああああああああ!!!」

「焚刑のお味は如何かな父上。さぞ苦しいことだろうが――彼女の痛みに比べれば、まだ生温い。偉大なる大魔女アントニウスの最期に、相応しい裁きを与えてやろう」


 そして、ピエールは空いた左手から暖かな光を放った。潤沢な魔力が満ちた迷宮の中でのみ使える上位の治癒魔法。一瞬にして深手の傷を完治させるそれは、しかし痛みを和らげる効果はなく、炎の勢いも押しとどめない。大司教の身体は破壊と再生を繰り返し、地獄の苦しみを味わい続ける。

 やがて黒焦げになった亡骸から、濃密な黒い煙――彼の魂が抜き出てくると、ピエールは懐から取り出した黒魂晶でそれを吸い尽くした。


「……死後も囚われ続けるがいい。その痛みを、永遠に抱きながら」


 彼は静かにそう呟き、無造作に黒魂晶を水路に放り入れる。


「……カカ。これで終わりってわけかい。大将。お前の物語は」


 ふと彼が前を見ると、ひどく懐かしい三つ足の鴉の姿がそこにあった。


「……どうやら、そうでもないようだ」


 カツ、カツと。大司教が引いた血の導線の向こうから、足音が響いてくる。

 振り向きながら、ピエールは穏やかに彼に話しかけた。


「――本当に。君には驚かされてばかりだよ、少年」


 頭の先から爪の先まで。彼は全身を余すことなく血の色で濡らしていた。

 一体何をどうしたらそうなるのか。思わず吹き出してしまいそうになる。


「来るとは思っていたが、まさかあのキーラを殺せるとはな。流石は本物の、ヴァン・ディ・エールの妖刀使いといったところか」

「――お前は」


 何者だ、と。カグラギは問う。


「異端の魔女」


 仮面の男は手にしたカタナを鞘に納めながら言う。


「――あるいは、妖刀使い。かつて、そう呼ばれたこともあった」


 要領を得ない相手の台詞に、カグラギは顔を顰める。


「……何が目的だ。何故あの時、俺を生かした」


 三年前、彼はこの男の拷問に掛けられた。その過程で男は知ったはずだ。彼が生き返るということを。だのに死体をただ野に捨て置いたのは、どういう了見なのか。


「ただの感傷――いや違うな。ただ、どうすればいいのか。決めかねただけの事だ」


 つけていた帽子と仮面を外し、素顔を晒しながら男は言った。


「善人には善人で在れ、悪人には悪人で在れ。

 それだけが秤。私が信ずる、唯一のよすがだった」


 カグラギは、その男の貌を見た。

 ひどく、老いた男に見えた。顔の上半分を覆う、醜い火傷の痕のせいか。

 目の前の青年を静かに見据える炎色の瞳は、彼方の記憶を見るように儚げだった。


「私が何者か。昔話を聞く気はあるかね、少年」


 カグラギは黙したまま、視線で是と答えを示す。

 そして古い傷をなぞるように、ピエールは語り始めた。


「私は、寄る辺もない混血の魔女としてこの世に生まれ落ちた。この爛れた傷跡を持ち、魔術の才を持たなかった私は、彼らに醜い出来損ないだと迫害された。そしていつしか、あの少女や、君のように。魔女宗を憎み、悪党を殺し、日銭を稼ぐ。そんな無為な日々を送っていた。……あの日、彼女に出会うまでは」


 眼を瞑り、男はその日の夕暮れを思い出す。


「彼女は、私と同じ混血の魔女だった。心優しかった彼女は、魔女と只人の違いを受け入れられず、その考えを口にしたが為に、魔女達に陥れられた。……彼女と出会った時、私は初めて自分が独りでないことを知った。善悪を天秤にかけ、人を殺す事しか能の無かった私に、彼女は安らぎを与えてくれた。剣を置いて生きる事もできるのだと、そう教えてくれた」


 いつしかカグラギは自分と、リーゼロッテの事を重ねていた。当然の事だろう。目の前の男は先刻自分で言った通り、妖刀使いであり、異端の魔女であったのだから。


「だが、彼女は奪われた。森に隠れ住む余所者を恐れた、村人達の《魔女狩り》によって。私が街から戻った頃には家は焼かれ、彼女は生まれたばかりの息子ともども、黒い炭になっていた。怒り狂った私はその晩の内に、村人たちを皆殺しにした」


 淡々と語るその表情からは、もはや過去の怒りも悲しみも感じられなかった。


「その日から、私の天秤は壊れてしまった。分からなくなったのさ。誰が正しく、誰が間違っているのか。君には理解できる話だろう、少年」

「……」


 魔女狩りの原因を作っているのは《魔女宗》だ。

 しかし、それに踊らされる民衆は、無知な善人などという言葉で片づけられるだろうか。彼自身にも、その矛盾には胸の閊えがある。


「やがて、私は《魔女宗》の異端審問官になった。無知な民衆を痛めつける一方で、悪辣な魔女共を陥れて惨殺した。この三十年間、私を動かしていたのは復讐心だけだ。その最後の相手と決めていたのが、この男――アントニウス。只人の女に魔術師の胤を蒔く、私と彼女の、父親だった」


 足元で燻ぶる灰を一瞥した後、男はカグラギに向き直る。


「この男に近づくのは実に苦労した。奇しくも君やあの少女の存在が、最後の切っ掛けになってくれたが……まさかこんな結末になるとは。全く、人生とは分からないものだ。それともこれも全てお前の思惑通りか? ……グエン」

「カッカッカ。んなわけあるかよ。繋がりそうな線を引っ張るまでは俺様の手管だがな。それがどうなるのか分からねえから、面白ぇんだろ」


 対峙する両者の間に、三つ足の鴉がぬるりと躍り出る。


「よお、カグラギ。久しぶりだな。つっても俺様はずっと見てたんですけどね? カッカッカ。いやー何か裏切り者みてぇで申し訳なぶへァァ!!」


 無言でカグラギは隠し持っていた十字弩の矢を放った。

 しかし瞬時にグエンは再生する。


「ってーなオイいきなり何しやがんだ! おい大将! 何か言ってやゲボへァ!?」


 無言でピエールは銃弾を見舞った。しかし瞬時にグエンは再生する。


「何なんだテメェら! 俺様に何か恨みでもあんのか!」


 喚き散らすカラスを無視して、両者は改めて向き直る。


「……さて、妖刀使い。全く不本意だが、このカラスの思惑通りに舞台は整ったようだ。最後の幕を、私と踊るか? それとも、この老いぼれを見逃すか」

「……見逃したところで、お前は死ぬ気だろう」

「……そうだな。この世にもう、未練もない」


 カグラギは外套を脱ぎ捨てると、腰の鞘から湾刀カタナを引き抜いた。


「……楽に死ねると思うのか? お前のような、悪党が」

「そうだな。……そうこなくては」


 微笑すると、ピエールは腰の鞘から直刀カタナを引き抜いた。

 カタナを構えた双方の距離は二十歩ほど。その中間に居るグエンが闇に沈む。

 それが開戦の合図だった。カグラギは湾刀を右肩に担ぐように構えて突進し、迎え撃つピエールは燃え盛る直刀を下段に構えながら間合いを詰める。

 間合いは十歩。両者がカタナを手放すのはほぼ同時だった。空中ですれ違ったカタナが双方の背後で地を滑り、徒手空拳となった両者は一足一刀の間合いまで極まる。

 相手が奇手を打つのは、双方ともに想定の範囲内だったといえるだろう。誤算があったとすれば、膂力では自分が勝ると信じた彼の方。先んじて突き入れた右の掌が絡められたかと思うや否や、姿勢を低く沈めた相手は、自分の身体を一息に背負い、地面へと激しく叩きつけた。


「……妖刀使いが、投げ技とはな」


 仰向けになりながら、ピエールは折れたカタナを突き付ける青年の姿を見上げる。

 ――あれが、件の妖刀か。まったく、いくつ手札を隠し持っているのやら。


「いや参った。偽物ではまるで足元にも、及ばなかったか」

「……戯言を吐くな。お前は少しも、本気ではなかっただろう」

「……君は、私を買い被りすぎだな」


 それを言うならば、君も本気ではなかっただろうに。


「さあ。煮るなり焼くなり好きにしたまえ。どんな痛みも、甘んじて受け入れよう」

「お前の命になど、興味はない」

「ほう? 楽に死なせないのではなかったか」

「当然だ。これからお前は、俺の役に立ってもらう」

「……役? 一体何のだ?」

「俺は、魔女狩りを終わらせる。お前には、その手伝いをして貰う」


 ピエールは余裕に満ちていた表情を、険しくした。


「……なんだと?」

「お前は魔女宗の内部に詳しいはずだ。三十年間、ただ生きてきたわけじゃないだろう。状況を変えるには誰が邪魔で誰を殺せばいいのか、知っているんじゃないのか」


 ピエールは答えない。しかし彼の言う通り、心当たりはあった。だが。


「……殺してどうなる? まさか、改革派でも当てにしているのか? 連中は口ばかりの無能の集まりだ。君の思うようにはいくまいよ」 

「ならばお前が先導しろ。邪魔な者は全員俺が殺す。汚名は全て俺に着せればいい」

「……無茶苦茶な事を言う」


 だが。もし本当に、この男がアントニウスのような《魔女宗》の重要人物や、《教会の槍》の化け物共を一掃できるのなら、一気に魔女宗の勢力図は入れ変わる。

 考えてみればこの男はあのキーラと同じ、一個の人間を形どった軍団に等しい。使いようによっては、小さな国すら奪い盗れる。あの女と違うのは、目的がはっきりしていること、確実に手綱を握れること。

 つまり――謀略を企てる為の相棒役として、これ程相応しい人物は居ない。


「……本気で、私に協力しろと? そのくだらない計画に」

「当然だ」

「馬鹿げた話だ。今更、私に罪を償えとでもいうのか」

「償える罪など、この世にはない。俺はただ、お前の望みについて話している」

「……望み?」

「……お前が殺したかったのは、本当にそこの男なのか?」


 胸を、射貫かれるような言葉だった。ピエールは呆然とした後、黒い炭となった父親の死骸を見つめた。――やはり、そうだ。何の感慨も浮かばない。初めて会ったその時でさえ、私はこの男に何の感情も感じていなかった。ただ、仇だと。漠然とそう思い込もうとしていただけ。


「お前の復讐は、まだ終わっていない。そうだろう」

「……そうだな」


 私が憎んだのは、不条理。彼女が悲しんだのは、只人と魔女。その隔たり。

 本当に憎み、殺すべきだったのは――《魔女狩り》という病そのものだった。


「俺はもう迷わない。自分が望むままに、剣を振るう。百人で足りぬなら千人を殺す。千人で足りぬなら、万人を殺す。――《妖刀使い》。奴らがそう蔑んだ通りに。俺は《魔女》を超える災厄になる」

「……そうか。少年、君は、」


 生贄になるつもりなのか。全ての汚名を被り、人類の敵として君臨しようと。

 時代の変革に、犠牲はつきものだ。国が国を滅ぼし、やがて平和が訪れるように。

 流血なしに争いが終わるほど、世界は優しくはない。きっと、少年たちはそんな現実に向き合えなかった。巨大な重みに堪えかねて、ついには逃げ出す事を選んだ。しかし誰が、それを責められただろう。だって、そんな生き方はヒトではない。個としての感情を捨て、目的の為に自らの全てを捧げようなど。

 しかし、もし。それを最期まで貫き通せる者が居るとすれば。

 あるいはそれを、人は英雄と呼ぶのかもしれない。


「……立て。妖刀使い。戦いはまだ終わっていない」


 眩しいものを見るように、老人は手を差し伸べる少年を見上げた。


「……もはや。青い理想に、心を動かされるような歳ではないよ」

 

 ピエールは目を細めながら、苦笑する。


「だが、……それが現実味を帯びているのなら、話は別だ」


 そして、その手を取り、立ち上がった。


「魔女狩りを終わらせる、か。……口で言うほど簡単な話ではないぞ。力だけで解決するには、あまりに難しい問題だ」

「なら、手始めにどうする」

「仲間が必要だ。できるだけ少数の、信頼できる仲間が」

「おおっと、お二人さん、俺様を呼んだかい?」

「あのカラス以外でだ」

「ああ」

「なんで?」


 ぬるりと湧いて出たグエンを無視して、ピエールは仮面を拾い上げながら言う。


「まずは、異端の魔女。《支配の魔眼》を持つあの少女さえ居れば、出来ることは格段に増えるはずだ。君たちは手を組んでいるのだろう? 今、彼女はどこにいる?」


 ピエールの言葉に、カグラギは苦々しく視線を落とす。


「リーゼロッテは、……死んだ」

「……? 死んだ、だと?」


 きょとん、とした様子でピエールはカグラギを見つめる。ふと横を見ると、グエンは必死で笑いを堪えていた。つられるように、ピエールも笑う。


「……何がおかしい?」

「……ふ、くくく。どうやら、あの少女は相当な食わせ物らしいな。まさか、君まで出し抜いていたとは」

「……どういうことだ?」

「牢獄を見てくるといい。もぬけの空になっている。私もさっき見て、驚いたところだ。捕らえられていた罪人は、彼女が連れ去ったのだろう。違うか、グエン」

「カカカ。厳密に言やあ、あのクソ猫も一緒だけどな。まーた騙されちまったなぁ、カグラギ」

「……。だが一体、どうやって――」


 ふと、カグラギは自分の胸元に灯る緑光を見た。


「……まさか、」

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