第二十三話「目覚め」

                ◇


 目を覚ますと、視界は一面の闇だった。

 次に気づいたのは、感触。とても暖かい。一糸纏わぬ全身をふわりとした毛皮が覆っている。どうやら獣皮を敷いた寝台に横たえられ、更に重い毛皮を被せられているようだった。空気はどこか埃っぽく、風がないことから見て、ここが屋内であることは間違いないだろう。


 それはひとまず、いいとしよう。しかし。

 隣に横たわっているのは、何者であろうか。


「……ん」

 

 のそり、と何者かが寝返りを打ってくる。カグラギにとってそれは聞き覚えのある声。濃密な闇の中でその姿は判然としないが、それが誰であるかは直ぐに分かった。


「……え?」


 彼が起きている事に気が付いた何者かは、上体を起こし、寝惚け眼を擦る。

 闇の中で、眼と眼が合った。


「………………、ぎゃああああああああああああああああ!?」


 リーゼロッテが物凄い叫び声を上げると、カグラギは思わずのけぞった。


「い、いいいい生きてる! すごい! ほんとに生き返った!? 絶対もう無理だと思ったのに!」


 ぺたぺたと無遠慮に身体を触り回した後、リーゼロッテは彼の胸にもたれかかりながら、涙声で呟く。


「……よかった。もう、ほんとに。だめだと、思った」


 カグラギはゆっくりと身を起こすと、自分の腹に手を当てた。――完全に治癒している。信じがたい事に、傷跡の痕跡すら残っていなかった。


「……お前が、治療したのか?」

「う、うん。……凄い荒療治だったけど。うまくいったみたいでよかった」

「どうやって治したんだ? あれだけの傷を」


 いかに生命の楔といえど、その自己治癒能力には限界がある。手足が吹き飛ぶ程度ならともかく、脳や内臓を著しく欠損した場合、自力ではもうほぼ蘇れない。豊富な人体知識と、かなり高度な治癒呪文が必要となるはずなのだ。


「えっと、……《変貌》の魔術を使ったの。普通の治癒呪文じゃ、全然治せる気がしなかったから。それで、無理やり、こう、……繋ぎ、合わせて」


 リーゼロッテはまた泣きそうな声になっていた。


「それで、傷、全部治ったのに。なのにアンタは全然、目を覚まさなくて。それどころか、どんどん冷たくなって、このまま死んじゃうんじゃないかって、あたし」


 さぞ、自分の姿は見るに堪えない物になっていたのだろうとカグラギは思った。

 それきり、無言で縮こまる少女に、彼は穏やかに言葉を投げかける。


「ありがとう。手間をかけさせたみたいだな。……本当に、すまない」

「……え?」


 リーゼロッテは息を呑んだ。

 相手が素直に礼を言うとは思ってもみなかったのだった。


「謝んないでよ。なんであんたが謝るの。謝らなきゃいけないのはあたしの方なのに。今回の事だけじゃない。その前だってあたしは、アンタに。……ひどいことを」


 トロアンでの一件と、今回の件を含めれば、彼は二度も命を落とした。

 今、この場で首を絞められても何も文句を言えない。


「別にお前だけの責任じゃない。今回も、その前の事も。俺の自業自得だった」


 どちらの件にしても、あの鴉の口車に惑わされたのが始まりで、そこから先は単なる実力不足による失態だ。故に彼は、全ては己の自責だと痛感している。


「……それより、色々と聞きたいことがある。続きを話せるか」

「……う、うん」


 洟をすすりながら、リーゼロッテは頷いた。


「まず、……ここはどこだ? あれから何日が経った」

「えっと、ここはヴァロワの南で、誰も使ってない山小屋。アイラが見つけてくれたの。あんたをここに運んできてから、大体十日くらい、かな」


 十日。――ならば確かに、死んだと思われても仕方のない事だったろう。

 彼とてそれだけの日数を経て蘇った事は、初めてだった。


「……あの子供は、どうなった?」

「あの子は、……」


 リーゼロッテはそこで一度言葉を切る。

 カグラギは、既に答えを覚悟していた。

 彼にとってそれは――かつて何度も経験した、慣れた結末だっただろうから。


「――助かった」

「……え?」


 思わずカグラギは間の抜けた声を出した。

 いつも頑なな表情の彼には珍しく、唖然とした表情で。


「だ、だから。助かった。助かったの。少しだけ、怪我してたけど。……あんたが、命がけで守ってくれたおかげで、無事だった」


 何度もカグラギは目を瞬かせる。

 耳に聞こえてくる情報が、とても現実とは思えなかった。


「何日かはここで一緒に居たけど。今はアイラが修道院まで預けに行ってくれてる」

「修道院?」

「あ、大丈夫よ? 一応、安全のところのはず。ちゃんと下調べはしといたから。……知ってるかもしれないけど、ロイエス教会にも、色々派閥があってさ。拝金主義とか、聖職者の優遇をやめようっていう改革派がいるの。今は全然、見向きもされてないけど。あいつらも迂闊に、身内には手を出せないはずだから。少なくとも今は、その辺の街や村よりは、安全だと思う」


 リーゼロッテがそう言い終えると、カグラギは片手で顔を抑えた。


「……カグラギ?」


 三年前の記憶が。何一つ実を結ばなかった苦渋の経験の数々が頭の中で巡り巡る。目元まで込み上げてくる想いを、必死でこらえる。


「……そうか。無事、だったのか」


 そうして彼は、静かに呟いた。

 泣いているようで、安堵しているような――とても人間らしい表情を浮かべて。

 それを見た少女は、少しの間目を丸くすると、やがて悪戯っぽく口元を吊り上げて笑った。 


「……カグラギ。あんたってさ、やっぱり嘘つきよね。あんなこと言ってたくせに、あの親子の事助けたし。どうでもいいとか言ってた割に、凄い嬉しそうだし。超嘘つきじゃん。この嘘つき~~~」


 ぐりぐりと人差し指を頬に押し付けられ、カグラギは不機嫌そうに顔を顰める。

 しかし、もっともな話だな、と。最後には苦笑いを浮かべた。


「リーゼロッテ」


 彼は初めてその名を呼び、初めて少女を真っ向から見つめた。


「な、なに」


 突然の呼びかけに戸惑いながらも、少女はそれに答える。


「認める。俺は、嘘吐きだ。自分に嘘を吐いて、逃げていただけだった。責任からも、お前からも」


 だから、と。彼は言葉を続ける。


「話をしよう。ちゃんと」

 

 虚像と、実像。その隔たりをいま埋めよう。

 自分達は何者で、何を為そうとしたのか。そしてこれから、何をすべきなのか。

 その全てを話そうと男は決めた。


「うん。あたしも、……そうしたいって思ってた」


 虚栄と、打算。その全てをいま捨てよう。

 まだ間に合う。彼はまだ、自分が歩み寄る事を許してくれる。

 少女は、零れかけていた涙をそっと拭った。


「……ひとまず、起きるか」

「うん。……うん?」


 リーゼロッテが頷いたその時、天井に張り付いていた火蜥蜴が、寝台の上に暖色の明かりを落とす。そして少女は一糸纏わぬ上半身を晒した男を見上げ、男は白い素肌を晒した少女の姿を見た。 


「…………」


 しばし呆然としていたリーゼロッテは、たちまち顔を紅潮させて、


「ぎにゃああああああああああああああああああああああああ」


 と。また猫が尻尾を踏まれたような声で叫びながら寝台から転げ落ちた。

 驚いた火蜥蜴がぽとりと寝台の上に落ち、周囲は再び闇に包まれる。


「い、いや。これは、その。ちが、違うから。そういうんじゃないから! ち、治療の邪魔だったから仕方なく! そっそれにここベッド一つしかないし、あああたしは普通に疲れて眠ってただけだから! べ、べつになんもヘンなことしてないわよ!」

「そうか」

「そう!!」

「でも何でお前まで脱ぐんだ?」

「え? い、いやふ、ふふ普通寝る時服とか着ないでしょ! つーかこっち見ないでよ変態!」


 言われてみればそうである。彼にとってはあまり馴染みのないことだが、この辺りの人間は寝る時に服を着ない者も多い。季節は初秋とはいえ気温はまだ夏。まあ当然と言えば当然なのか。


「……。何でもいいから服を着ろ」

「い、言われなくたって着るっての!」

 

 毛布を引っ張り上げるとリーゼロッテはどたばたと仕切り壁の向こうへと消える。彼が自分の服も寄越せと催促すると、彼女は壁の向こうからぶっきらぼうに服を投げつけた。

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