妖刀使いと異端の魔女
羽黒川流
序章「夕映えは血に染まった」
第一話「逢魔山景」
◆
善人には善人で
それだけが
◆
細い体つきの少女だった。年頃は、十の半ば程だろうか。
荒れた道を進んできたのだろう。その素足は血と泥に穢れ、黒々と染まっている。身に纏う
「――割と頑張ったなァ、可愛い《魔女》さんよ」
「野兎よりは、手ごたえがあったかもな」
男達が嘲笑を響かせると、少女は恐怖に身をすくませた。
数にして三人。いずれも樹木に溶け込む色をした軽装に身を包み、手斧や短剣、弓矢を携えている。獣猟を生業とする狩人、あるいは山賊といった風体であった。
「しかしまあ、あの坊主共にしてもちょろいもんだ」
男達の一人、頭目らしき髭面の男が山羊皮の水筒に口を付け、喉を鳴らす。
「ちょいと一人二人転がせば、あとはどいつもこいつも我先に一目散だ。あれじゃあ射ってくれって言ってるようなもんだぜ」
「全くだ。《聖堂騎士団》なんて御大層な名前の割に、てんで大したことがねえ」
男達の一人、禿頭の男が皮肉な笑みを浮かべながら腕を組む。
「かかか。まあそう言ってやるなよ。お陰で俺らみたいなもんがこうして有難くご相伴に預かってんだ。見ろよこの銀細工。鋳潰して売っ払えばかなりの稼ぎになるぜ。それにつけ加えて――」
男達の一人、醜い顔をした小男が少女の肩を無理やり抱き寄せる。
「うっ……」
「この上玉ときた。全く今日はツイてるぜ。おお神よ日々のお恵みに感謝します!」
「ぶはは、罰が当たるぞお前」
小男が胸で十字を切ると、他の二人は吹き出して笑った。
――実際、彼らの縄張りである山中で《魔女狩り》の聖職者達を襲うのは容易な事だった。異端征伐の聖堂騎士団、などと厳めしい響きを持っていても、所詮は教会の権威を後ろ盾にしただけの素人の集まりに過ぎない。まともに命のやり取りをした事がある者などほんの一握りしか居ないのだ。
確かに、街や村で彼らに逆らう者は居なかっただろう。しかし山林は人ではなく獣の縄張り。神の威光など届くべくもない、弱肉強食の理があるのみだ。
「それにしてもこいつが《魔女》ねえ。ただのガキにしか見えねえが、本当なのかね?」
「んなわけあるかよ。お前、まさか神だの魔女なんて信じてんのか?」
「いいや」
まさか、と。禿頭の男は肩をすくめる。
魔女。それは邪教の使徒、災厄の象徴として人々に恐れられる存在である。
曰く、魔女は妖術を用いては作物を腐らせ、人や家畜に病を振り撒くという。
曰く、魔女の身体の何処かには悪魔と契約を交わした証である刻印があるという。
ある異端審問官が筆を執り、教会が頒布した『魔女の鎚』という書物にはそういった魔女の様々な特徴や逸話が書き記されており、凶作、飢饉に異常気象に流行り病、果ては夫婦の不仲に至るまで、ありとあらゆる災厄がこの魔女という存在に関連付けられていた。
「全く世も末だぜ。あんな突拍子もない話を信じる奴が世の中ごまんと居るってんだからなァ。お前もそう思うだろ? 可愛い魔女ちゃんよぉ」
「っひ、っ……」
幼さが残る端正な顔立ち。繊細で艶のある黒髪。いずれは引く手数多の美女として花咲くであろう少女の瞳は今は昏く、底知れぬ恐怖に身を悶えさせる。
「あァ、そういやァ、あの鈍間はどこ行きやがった?」
「さあな。流石にそろそろ来るかと思うが」
「お、おーい。おーい」
突然に、間の抜けた声が響く。男達が夕陽の方角に視線を投げると、熊の毛皮を被った巨漢が走ってくるのが見えた。一瞬、弓を構える男達だったが、見知ったその阿呆面に肩の力を緩める。
「やっと来やがったか。あの野郎、……」
にわかに笑みを浮かべながら悪態をつく頭目の表情が、不意に凍り付いた。
何か、――おかしい。
刺すような夕陽の光に目を窄める。一歩、二歩。巨漢がこちらへ近づくにつれ下っ腹の底から嫌な怖気が立ち上る。七歩、八歩。禿頭の男が生唾を呑み、小男が愕然と両の目を見開く。
「みんなぁ、みんなぁ」
遠くから自らの居場所を知らせるため、宙高く掲げられた巨漢の右腕。
その、手首から先が無い。
何故まず先にそんな所が目に留まったのか、小男には分からない。戦利品を担いでいたはずの左腕などはもはや、肩口から丸ごと消え失せていたのに。
「だす、げ、でェ」
殴られ続けて、倍に膨れ上がった顔の下に、大蛇のような鉄鎖が巻き付く。
そして膝をつく巨漢の脳天が、腐った果実のように弾け飛んだ。
「――なん、だ?」
この場に居る全員が、その異常な光景に目を凝らした。
誰が居るはずもない日も暮れかかった山間の道。煌煌と輝く朱い夕陽の光の中。
そこに、異装の男が立っている。
「何だ、あいつ。ガキ……か?」
目深に被ったフードとマスク、全身をすっぽりと覆う外套――そこまではいい。だが目を疑うほどに、その男は小柄な体躯をしていた。しかし、その佇まいに弱々しい印象はまるでない。むしろ夕陽を背にして、不遜なほどの威容を誇っている。
「ふざけた野郎だ――、おい!」
頭目が合図すると、狩人達は一斉に弓を構え、矢筒の中から羽根を緑に塗ったものを選び取る。それは手に負えない獣や人間を死に至らしめるための、猛毒の矢。
異装の男に狙いをつけ、全員が弓弦を引き絞る。距離にして約四十歩。風の無い一本道。半生を狩りに費やしてきた彼らにとって、目の前の獲物に当てる事など造作もないことだった。
しかし。
「――な、」
一閃。異装の男は片腕を払うと、平然とそれを防ぐ。
見ればその手には、抜き身の直刀が握られている。
誰もが愕然とするその間に、異装の男は獣のような俊敏さで地を蹴る。
そこから先は、一方的な殺戮だった。
まず、いち早く我に返った禿頭の男の顔面がぶっ潰れる。飛来したのは、鎖に繋がれた無骨な鉄塊。頭目が気づいたその直後には、横にいる小男の首が撥ね飛んでいた。引き戻っていく鎖分銅は続けざまに、起き上がろうとしていた禿頭の後頭部を完全に破壊して、異装の男の手元に翻る。
「糞、が――!」
長年連れ添った仲間たちの死を前に、頭目は激情を抑えきれなかった。少女を盾にする心算も、毒の弓矢も放り捨て、腰に提げていた鉈を振りかぶり猛然と肉薄する。
「か、――?」
突然手にした得物が軽くなり、頭目は顔を顰めた。見れば、五歩は先に居たはずの男の姿が掻き消えていて、振り降ろした自分の右手の手首もまた、消えている。
キン、と冷たい鉄の音が響く。
頭目が後ろを振り向くと、鉈を掴んだままの右手首が目の前に降ってきた。それから止まった時が動き出したように、肉の断面からどろりと血が零れる。
異装の男が手にしているのは、鞘に収まった、風変わりな造りの直刀。
「あ、あ……」
頭目は悟った。目の前に居る男は、化け物だ。あまりにも出鱈目な存在だ。何を以ってしても勝てはしない。逃げられはしない。思った瞬間、膝から力が抜け、尻餅をついて後ずさる。
「手前、一体何だ、……何なんだ! ッ、連中の、教会の手先か!?」
「教会? 違う違う。そいつはそんなんじゃあないんだな」
その声の主はぬるりと、予想外の位置から湧いて出た。
本当に、夕闇の暗がりから忽然と湧いて出たとしか言いようがない。
「むしろもっと質が悪い。そうだな、まあお前らみたいな悪党にとっちゃ、一種の通り魔みてえなもんだ」
「……!?」
何度見ても見間違いではなかった。三本の足でひょこひょこと歩きながら、その鴉は流暢に人の言葉を喋っている。
「そいつは〈妖刀使い〉――ご存じ、ヴァン・ディ・エールの人斬り鬼さ」
芝居がかった鴉の台詞に、少女は背筋を強張らせた。
ヴァン・ディ・エールの妖刀使い。
それは、世に斬れぬものなしと謳われた伝説的な〈探索者〉の通り名であると同時に、王殺しの逆臣、聖人殺しの冒涜者、あるいは無差別に人を斬る殺人者を意味する言葉である。無法者の間では悪逆の雄として崇められ、都市や街道で刃傷沙汰があれば妖刀使いが出た、などと冗談めかして囁かれる、伝説的な存在だ。
「――グエン」
掠れた声が不服そうに響く。今度こそ頭目は目を見張った。目深に被った頭巾の下から聞こえてきたのは、――まだあどけのない、声変わり前の少年の声だったから。
「へいへい。呼んだか大将。――ああ分かってるって。余計な事は言うなってんだろ? 了解、了解」
肩に乗ってきた鴉を払い、異装の少年は尻もちをつく頭目の目の前に立つ。
「ま、……待て! 金はやる! そこの女だって好きにしていい! だから、」
少年は喚く頭目の顔面を片手で掴むと、凄まじい腕力で持ちあげた。
大の男の身体が宙に浮かび、成す術もなく、じたばたと藻掻き続ける。
瞬間。少年の手の平から火炎が迸り、掴まれた頭目の全身が燃え上がった。
「ひっ、ぎっ、が、あああああああああああ!!!!」
凄まじい断末魔の叫びが山中に木霊する。やがて、黒焦げになった頭目がぴくりとも動かなくなると、少年は男達の死体を乱雑にひっくり返し、躊躇なく金品を剥ぎ取っていく。それが済むと、少年は一人残された少女に鋭い視線を投げた。
「ひっ……!」
足音が近づき、少女は目を瞑る。せめてなるべく苦しまずに――そんな事を祈る。
だが恐れていた痛みは訪れず。代わりに、ガシャリと何かが落ちる音が聞こえた。
「……え?」
恐る恐る目を開けた少女の視界には、外れた鉄枷と、差し伸べられた手が映る。
「……もう少し降りた先に村がある。そこまでなら、連れていける」
たどたどしい言葉遣いで少年は続ける。
「俺は、醜い人殺しだ。毎日こんなことをして生きてる。……だから信用しろなんて言わない。だけど、もう夜が近い。一人で行くよりは安全なはずだ。だから――」
ついて来てほしい、と言う前に。
少女は、少年の震える手を握って、笑った。
「……君が人殺しなら、私は魔女だよ」
陽はすっかり山向こうに沈んでいた。
双月が昇る紫紺の空の下、二つの影が薄れてゆく。
そうして峠には、物言わぬ屍と、血の朱色だけが残された。
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