第12話 剛流の回想

 水都と初めて会ったのは五年前。

 その頃、剛流は、当時まだ現役の剣闘士だった「師匠」である呉覇に付いて大陸中を旅していた。


 ある日。

「なんだあれは」

 夕暮れ時、はるか遠くにそれは見えた。

「喧嘩か?」

 というよりは。多勢に無勢。

「ちっこいのが頑張ってるな。あっ」

「ちっこいの」は誰かを背に庇いながら、剣を振るっていたのだが、庇われていた奴が逃げた。


「ダメだ!」


 剛流は叫んだ。案の定逃げた奴に剣が向けられる。「ちっこいの」はその剣から逃げた奴を庇う。


「あっ」


 思わず剛流は走り出した。

 確かに斬られた。

 でも、斬られながらもまだ庇おうとする「ちっこいの」を助けなければ。

 そう思ったのは呉覇も同じだったらしく。


「この人数で……大人気ないねぇ」


 斬られたのは、小柄な少女だった。ひどく出血し真っ青になりながらも、まだ剣を構えていた。

「姉ちゃん、もう大丈夫だ…」

 呉覇はその少女が持っていた剣に目を止め、その途端に目付きを変えた。

「こんな女の子におっさん達がよってたかって」

 ひどく血を流しながら、それでも立っていたその少女に剛流は声をかける。

「大丈夫か?」

 その瞬間、少女は倒れた。

「師匠!」

 呉覇は一つ頷き「少し待ってろ」と言うと剣を抜いた。


「悪いが……死んでもらう」


 その雰囲気に気圧けおされてか、賊は、恐怖に駆られた様で師匠に襲いかかった。

 だが、敵ではなかった。

 剣闘士としてではなく、人を殺すために剣を振るった呉覇をその時初めて剛流は見た。

 全てがほんの一瞬で片づいた。

「出血がすごいな……どこかで手当てしないと」

 呉覇は少女を抱き上げる。


「私が……手当てします」


 この子が庇っていた者は紗知さちと名乗った。紗知だって、まだ幼い。

「医術は父に教わって……だから」

 こんな事があったばかりだからか。

 小さく震えながら、それでもはっきりと紗知は言った。

 呉覇は頷き、近くの馴染みの宿屋に入った。


 紗知の「医術の心得」は相当訓練されたものらしく、あんなに震えて、顔色も悪かったのに手早く傷を縫い合わせた。

「出血が多く、傷も深い……助かるかどうかは……」

 紗知は少女の額に吹き出した汗を拭きながら……泣きそうな声だった。

 呉覇は紗知の頭を撫で。

「大丈夫だ。この子は死なないよ」

 力強く言い切った。


 荒く浅い呼吸を続ける少女を守るように見つめながら、呉覇は紗知に問いかけた。


「瑠の字を継ぐ娘狩りか?」


 紗知は頷く。

「さっきの人達が急に家に入ってきて……家族は皆……」

 瑠の字を継ぐ娘なんて本当にいるかどうかもわからないのに、この頃巷では「その年頃の娘」を拐い、羅の国に売り払う事が流行っていた。


「連れて行かれていたら、この子が助けてくれて……でも、怖くて……でも、私が逃げなければ……」

「ま、仕方ないさ。じゃ、この子のことは知らないんだな」

 師匠の言葉に、もう一度、紗知は頷く。

 では、この少女は、知らない人のために、こんな怪我を負ったのか?


 剛流は、生死の境をさ迷っている少女を見つめる。綺麗な顔立ちをしているが、ひどく痩せていて、とても剣が振るえるようには見えない。

「この子が回復するまではここで待機だな」

 師匠の様子に、剛流は軽い違和感を覚える。

「知らない人のために身を呈する」ことに呉覇は疑問を感じていないように見える。そして。

「師匠、この子を知ってる?」

 剛流の問いかけに、呉覇は一つ溜息を吐く。

「いや。この子は……知らない」


 数日後、少女は目を覚ました。

 熱はまだ高く、傷も痛むようだが、山場は越えた様子だ。

「大丈夫か?」

 見知らぬ人からの言葉に、明らかな警戒の表情を浮かべる。

 そんな表情を気にも留めないのか、呉覇は少女の額の汗を拭う。


「ま、ゆっくり休むといい。しばらくはここにいる。安心しろ、裏切ったりはしない」


 少女は何かを言いたげに呉覇を見つめるが、言葉は出てこない。そんな様子を見ながら呉覇は低い声で問いかけた。


「その剣の前の持ち主はどうした?」


 少女は一度目を見開き、その後ゆっくりと目を逸らした。そして……小さく首を振る。

 呉覇は少女の頭を撫でる。

「そうか……お前はよく頑張ったな」

 少女は表情を変えなかったが、流れる涙を止めることが出来ず、ただ、泣き続けた。


 傷が良くなり、動くことが出来るようになっても、少女は決して名乗らなかったし、呉覇も名を聞くことはしなかった。ただ、呼び掛けるのに不便だからと「水都みなと」と呼ぶようになる。

「帰るところがないから」と紗知も一緒だった。


 一月ほどたった頃、そろそろ旅に出ることにしたのだが、そこで初めて水都の声を聞いた。

「一緒に行っても良いですか?」

 恐る恐る、遠慮がちに。

「始めからそのつもりだが」

 呉覇の言葉に、水都は驚いた様子だったが呟くように

「良かった……」

 と、その時、初めて笑顔を見せた。


 その後、水都は呉覇に剣の稽古をして欲しいと何度も頼み込んだ。


「私は、自分で自分の身を守らなければいけないのです。誰かが私のせいで傷付くのはもう嫌なんです」


 呉覇は、乗り気ではなかったが、あまりの熱心さに稽古をつけるようになった。しかし、呉覇はそのうち水都との打ち合いを楽しむようになっていった。

 水都の剣は明らかな自己流だったが、かなり強かった。長く呉覇に付いて修行を続けてい剛流は、悔しいと思うよりも感動する気持ちの方が強かった。


「これが本当の天才って奴だ」


 だから、水都が剣闘士として戦うことにも違和感を感じることもなかった。

 このご時世、女の姿をしていると色々危ないことも多かったから、男の姿をするようになったのも自然な流れにしか見えなかった。


「そこから水都が伊の国に売られるまで、一緒にいました。自分が話せるのはこれだけです」


 話終えた剛流自身も、緑羅が知りたいと思うようなことは何もわからないことを自覚しているようだ。


「申し訳ありませんが。水都が何故一人でいたのかも、何故紗知を助けたのかも、何より……本当の名前もわかりません」


 呉覇は何かを知っているとわかってはいたが、不思議なほど「聞こうと思わなかった」と剛流は続けた。

「いや。十分だ」

 そう。十分。

 水都が自分のことを一切話さないのは、何か理由があるのだろう。

 確かに「知りたい」気持ちも強いが、多分あまり幸せではなかったであろう日々を、本人に語らせたいとも思わなかった。



 緑羅が出て行った後、勝は大きく溜息を吐いた。

「今まで気づかなかった方がどうかしてる。こんなに似ているのに…」

 溜息とともに思わず呟く。

 一晩、水都に付き添いやっと気づくとは、俺も緑羅のことを笑えない。

「元剣闘士」

 それに騙されたのか。

 それとも。


 まさか、生きていると思っていなかったのか。 


 苦し気に浅い呼吸を繰り返していた水都が漏らしたある男の名。その名を聞くまで思いつきもしなかった。

貴都たかとか……」

 勝は昔のことを少し思い出しながら、水都の額に浮く汗を拭いた。

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