第10話 伊の国の謀

 麗夜達の伊の国への到着は、伊の国の王女が出発してからと指定されていた。

 国王の間に通されると国王以下重臣がずらりと揃っていた。麗夜も紅もその様子から何をするつもりなのかを悟った。

「自分の娘だというのに…」

 紅はやや呆れ気味に呟く。

「自分のためなら、娘の命なんぞなんとも思わない親なんていくらでもいる」

 かつての自分の母がそうだったように。

「夜の国とは今後とも末永く良い付き合いを…」

 国王はもう一人の姫を国王である静夜に嫁がせることと今後の計画を意気揚々と話始める。


 まだ上手くいくかもわからないのに「失敗するはずがない」と自信満々に語る伊の国王を見つつ、人差し指の爪を唇にあてながら麗夜は今後の段取りを考える。


 麗夜としては「そんな杜撰な計画が上手くいくはずがない」と思っていた。

 義の国王を殺った連中がいる国だ。国王がどんなにおかしいヤツだとしても、それを取り巻く連中が優秀ならそうそう潰れることもない。

 ましてや。

 この国王の話を聞く限り、今は国王の息子が仕切っているらしい。「瑠の字を継ぐ娘狩り」が急に止んだのはどうやらその息子の力だ。この段階で「優秀」とまでは言えないにしても、多分「普通」という程度の評価は出来るだろう。


 羅の国は意外と手強い。

 麗夜はそう思っていた。


 そんな麗夜の前で、伊の国王は「羅の国の王子を殺す計画」を長々と説明する。麗夜はその半分くらいを聞き流した。

「という訳で、手を煩わせることはないと思うが」

 伊の国王としては「羅の国ごときに負ける訳がない。この間はたまたま上手くいかなかったんだ」と思っているのだろう。

 言いたい事を飲み込むため、麗夜は大きく息を吸う。ふと潮の香りが鼻をついた。

「あぁ。ここは瑠優と過ごした場所に近い」

 そう思った。



 緑羅と伊の国の王女の婚儀は時間通りに始まった。緑羅にとって、婚儀とやらはただただ退屈だった。

 神官の言葉を隣に座る女が神妙な表情で聞いているのを見ながら、それでも緑羅の興味は末席に座る水都にあった。


 出席する人数を極力少なくしたため、末席と言えども距離は近い。

 水都の所作は、元剣闘士だと言われても俄に信じがたい程、美しい。だが。伊の国の者達が水都に気付かないはずがない。流石にこの頃には、緑羅も何がしかの違和感を感じていた。

「水都に興味が無さすぎる」

 勝も心配そうに隣で呟く。


 そう、元剣闘士の同席を快く思うはずがないのに、何故か彼等は全く水都に関心を抱いていない。


 そして、同じ事を末席で剛流も呟いていた。水都は静かにそれに答える。

「多分、この人達は私の事を知らないと思います。それより、あの楽器……」

 静かに音楽を奏でている、その楽隊が持つ楽器は、剛流も確かに見たことすらなかった。

 剣闘士として、大陸中を歩いた剛流も水都も見たことがない楽器。

「何かを企んでいるんでしょうね。剛流、ちょっと……」

 水都が剛流の耳元で何かを囁いた。


 水都か剛流に耳打ちする、その様子を離れて見ていた緑羅は、沸き上がるあの黒い感情を抑えるために天井を見上げた。

 その時。視界の端で何かが動く。


「緑羅!!」


 勝の怒声。何もそこまで怒ることはないだろうと視線を元に戻すと、何故か水都が目の前に立っている。


「緑羅様!」


 そして。必死な声と同時に緑羅に突っ込んできた。その勢いのまま緑羅は後ろへ倒れる。

「水都、何だ?」

「大丈夫…ですか?」

 水都は身体を起こし緑羅の無事を確認し、でも、そのまま崩れ落ちた。

「水都!」

 その背中に矢が深々と刺さり、衣を真っ赤に染め上げていた。


 視界の端で動いたのは楽隊。楽器に仕込んでおいた飛び道具を緑羅に向けた。

 そう、羅の国の王子を殺すために。

 水都の背に刺さる矢を抜きながら、緑羅は状況を把握する。楽隊はすでに剛流が切り捨てていたし、伊の国の客人は何が起こったのかも分からない様子でたたずんでいる。勝はその場にいた他の者に指示を出し伊の国の王女とその客人を捕らえさせている。


 緑羅は周囲が安全であることがわかり、水都にだけ集中する。


 その背の矢を注意深く抜き、そして、その矢を確認する。

「毒矢…か?」

 まずい。


「緑羅、こっちだ」 

 緑羅は勝に言われるまま、水都を抱き上げ別室に向かう。

 緑羅は水都を寝台にうつ伏せに寝かせ、勝に後を任せる。勝は手当を始めるために、その水都の衣を剥ぎ取った。

 その想像以上に細い身体には厚く晒が巻かれていて、勝はその晒をも持っている短刀で切り落とす。


 その様子を見ていた緑羅は思わず息を飲む。現れたのは背中を縦に走る、それを受けた時は生死をさ迷ったであろう傷痕。いや、そんなことより。


「女だったのか…?」


「え?」

 勝は一瞬驚いた表情を浮かべたが、水都の手当てをする手を止めない。

 緑羅はその様子を見ながら、でも、動けずにいた。


 男にしては小さい。男にしては細い。男にしては美しい。そう、思ってはいた。

 それでも「男であること」に疑いを持たなかった。それほどに強かった。だからこそ生死を賭け戦場を駆けることも、それを命じなければならないことも、諦めなければならないとそう思っていた。


 だが、女なら?


 女ならこの想いを我慢する必要があるのだろうか?


 一通りの手当てが終わったのか、勝がこちらを見る。丁度の頃合いで剛流が部屋に入ってくる。

「手当ては終わった。あとは水都次第だ」

 水都は苦し気に浅い呼吸を繰り返していた。緑羅は水都の額に手を置き、その熱さに驚く。


 その様子を勝と剛流は黙って見ていた。

 そう。剛流も勝も「水都が女であること」には驚いていない。

「知っていたのか」

 勝はやや呆れ気味に言う。

「男と思っていたとは気づかなかったよ。あれだけ惚れ込んで、それを隠してもいなかったというのに」


 勝曰く。最初に会った時にすぐにわかったそうだ。

「そもそも、骨格が女のそれだ。本人がその扱いを望んでいなかったから敢えて言わなかったが」

 確かに。

 その扱いを望むのなら、そもそも剣闘士なんぞなってはいない。


「そんなことより。緑羅、これからどうする?伊の国を放っておくわけにもいくまい」

 勝の物言いは静かだが、かなりの怒気を孕んでいる。緑羅にしてもこのまま黙っておくつもりは毛頭無かった。

「剛流、皆に知らせろ。明日、伊の国に向かう。今度こそ叩き潰してやる」

 それを受けて剛流は居室を出て行った。

 緑羅は水都の髪を撫でる。

「お前をこんな目に合わせた奴等を絶対に許さない」

 その苦し気な表情に緑羅は強く思う。

「勝、悪いが水都に付いていてやってくれ」

 付いていたい気持ちは山々だが、明日の出陣のこともある。戻ってきたらいくらでもこの想いを伝える時間はあるだろう。

 勝が頷いたのを見て緑羅も部屋を出た。



「やはり、失敗しましたね」

 紅は夜遅くに戻り、そう麗夜に報告した。

「自分の娘との婚儀中に、羅の国の王子を殺す」

 なんて計画が上手くいくなんぞ、当人以外の誰も思っていないだろう。

 麗夜は溜息を吐く。

「羅はいつ攻めて来る?」

 ここまで馬鹿にされて黙っているほど、羅の国は大人しくはない。

「明日には」

 紅のその言葉に雄毅は答える。

「俺はいつでも出られる。どうせ、手を引くつもりはないんだろう」

「引いてしまいたいところですけどね」

 そうは言いつつも、紅自身、麗夜の羅の国への思いはわかっていた。

 それは「憎しみ」に近い。


 しかし。

 義の国での戦いの時は、先手を打てたから楽だったが、今度はそうはいかない。

 ついこの間、伊の国は羅の国と戦ったようだが、その時活躍した者はすでにこの国にはいないらしい。そいつがいなければこの国はすでに存在しない。伊の国の兵士達は決して強くない。そして、この地で麗夜が手配できる兵士の数は驚くほど少ない。


 これほど「負け戦」の要素が揃った戦も久しぶりだ。


 だからこそ。麗夜は紅に言う。

「お前はいいぞ。紅、ここまでよく付き合ってくれた」

 麗夜も紅の素性はよく知らない。まだ、西が落ち着いていない頃、戦場を駆けていた麗夜の前にふらりと現れた。

「麗夜様のお力になりたい」

 そう言った紅を、麗夜は当初全く信用していなかった。国王の兄である麗夜に、ここで上手く取り入れば夜の国でそこそこの地位に付ける。そんな魂胆で近づき、そして、去っていく者があまりに多すぎた。

 そんな者の一人だと、そう思っていた。


 しかし、紅はそんな麗夜の思いを良い意味で裏切った。

 明らかに戦場慣れしていない風に見えて、隠密としての能力に長ける。冷静に戦況を把握し、それに対する戦略を練る。この能力で明らかな不利な状況を何度も抜け出すことが出来た。


 そして今、紅は麗夜達が置かれている状況を多分誰よりも冷静に把握している。だからこそ。本気で手を引きたいはずだ。

 そんな麗夜の言葉に紅は笑顔で答える。

「もう少し付き合いますよ。意外となんとかなるような気もしますし。雄毅もいますしね」

 急に名前を出された雄毅は豪快に笑う。

「やっとわかってきたじゃねえか。おう、任せとけ」

 二人の様子を見て麗夜も笑う。

「では、明日。二人ともよろしく頼む」

 瑠優が生きているとわかった以上、こんなところで死ぬわけにもいかない。

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