【超短編】子供証明証
茄子色ミヤビ
【超短編】子供証明証
結婚三年目にして小林フジヒコの家庭は崩壊していた。
幸いというか子供はいなかったのだが、フジヒコは離婚という選択を頑なに選ばない。その理由は後で語るとして先に不仲の理由を挙げておこう。
それはフジヒコの性格だった。
フジヒコは母を早くに亡くしたという背景もあり、交際相手に母性を求める傾向が強かったのだが…結婚後それは悪化した。しっかり者の妻は辟易として「もっとしっかりして」と態度だけでなく、最近ではハッキリと言うようになってしまい…つまり、甘えることでしか愛情表現が出来ないフジヒコはヘソを曲げたのだ。
そんなある日。
父から実家の大掃除を頼まれたフジヒコは、未開封の古ぼけた封筒を見つけた。
宛名は両親。差出人はなんと『文部省』と書かれていた。もう30年以上も前のものであり今更開けたところで…という気持ちもあったが、念のためにとフジヒコは封を切った。
「…子供証明証?」
それは運転免許証サイズのプラスチック板の上部に【子供証明証】と大きく書かれ、フジヒコの名前と生年月日、そして生まれた直後の猿のような自分の顔写真が貼り付けられていた。
なんだこれは?とフジヒコは首を傾げていると、休憩の提案をしに部屋に入ってきた父親が目を丸くし「それをよこせ!」とフジヒコに走り寄ったが…足元の掃除機にけつまずき転んでしまった。
その拍子にテーブルに頭をぶつけ血を流す父を見て、フジヒコはすぐに救急車を呼び綺麗なタオルで傷口を直接抑え到着を待つ。この対処法は何かの本で読んだもので、自信はなかったが何かをせずにはいられなかったのだ。幸いすぐに到着した救急隊員たちによって父は救急車へと運ばれ…最後に残った救急隊員にフジヒコは声を掛けられた。
「ちゃんと手当してくれて本当に賢い子だ!お父さんの事は任せて!誰か大人の人帰ってきたらコレ渡してね!」
同行しようとしたフジヒコに病院の連絡先が書かれた紙が渡され、救急隊員たちはそのままサイレンを鳴らして家から離れて行った。
呆気に取られたフジヒコだったが、間もなく帰ってきた祖母に一応先程の紙を渡し事情を伝え、一緒に車で向かおうと車のキーを取り出したところ「なにを考えている!」と、祖母に烈火の如く叱られ、タクシーで病院へと向かうことになった。そのタクシーの車内や病院に着いてからも、事あるごとに祖母はフジヒコの手を握ってきた。
婆ちゃんも不安なのかなとそれを受け入れ、処置を終えた担当医からは「命に別条はなく間もなく意識も取り戻しますよ」と言われ、ひと先ず安心したフジヒコだったが…ふとポケットの中が気になった。
それは例の「子供証明証」だった。
そして帰りも祖母がタクシーで家まで送ると言い張ったので、無碍にするのもなんだと乗り込んだタクシーの車内でフジヒコの携帯が鳴った。
それは滅多にない妻からの電話だった。
「遅くなるなら連絡しなきゃダメでしょ!」
などと言われフジヒコは顔をしかめたが、揉めるのも面倒と端的に一連の事情を話す。
その姿を見た祖母は「ちゃんと落ち着いて説明できるのね~偉いわ」なんて言い出し、運転手もバックミラーで覗きながら「立派なお孫さんだぁ」なんて言ってくる始末。
さらには帰宅した際に妻に抱きしめられ「たいへんだったね」と頭を撫でられた。
そこからおかしくなことになった。
妻は極端にフジヒコを甘やかすようになり、職場からは「こちらの手違いですまない」と会社都合での退職を言い渡され、国からは「子育て支援金」が振り込まれた。
さらに公共機関は全て無料になり、飲酒やアダルトな店が利用できなくなっ事だけは本当に残念がったフジヒコであったが、誰と何処に行っても周りの「大人たち」がお金を払ってくれることは幸運だと思っていた。
そして今日フジヒコは不倫相手と食事に来ている。
関係を開始して半年記念ということで、自分がこうなる前に予約してあった店だ(ちなみにフジヒコは「どうせ自分が払うわけではない」と、コースを最上のものに昨日切り替えた)
彼女との時間は毎回充実していた。
初恋の人に似ている顔立ちや若さゆえの無遠慮さ、そして若い肉体と体を重ねる時間はとても楽しいものだった。
しかし妻と別れるともなれば、約束された次期社長の椅子もなくなってしまう。
フジヒコだって、いずれこの妙なカードの有効期限がくることは薄々気付いているのだ。
だからこれはあくまで「遊び」だ。
そして彼女とは、この関係を始めた頃にその辺りの話し合いは充分に済んでいる。
だからフジヒコは安心して、この食事の後の予定をどう提案しようかと考えていると…
「あのね、私妊娠したの」
そんな彼女の発言に頭が凍り付いた。
そんなフジヒコの横に「お会計です」と伝票が挟まれたバインダーが置かれた。
【超短編】子供証明証 茄子色ミヤビ @aosun
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