1‐10 ルージュとギャルとサイボーグと騎士

「この程度で! わたしは絶対に屈服しない!」


 声を荒げ、〈彼女〉は跳ねるように身を起こした。


「あれ?」


 だが、眼前には彼女の想定していた〈怪人〉の姿はなかった。それどころか、ナノマシン培養槽や思考電流モニター、流体金属タンク、生体プリンターなどの装置もなく、セラミックの床の上を流れる観測水の音も、微粒子チップや極小金属、あるいはプラスチック、野良ナノマシンを遮断するエア・コレクターの音もしない。四方はカーテンに遮られており、おおよそ彼女の記憶に合致しなかった。


 そして、自分をグルグル巻きにして固定していたはずの各種〈バイパス〉が存在しない。無意識のうちに頭の真横へ手をやるが、頭に取り付けられた〈カウンター〉もない。


「何がどうなっているんだ……」


 服装も、スカウタージャケットではなく随分と簡素な衣服……まるで病院着のようなものに着替えさせられていた。病院?


 そこで漸く、エージェント・アメノは自分が置かれている状況に気付いた。ここは、病院だ。スプリングのきついベッドに薄い布団。間違いない。だが、いったい誰がなんの目的でこんな場所に連れてきたのかは不明だ。そもそも、セカンド・ハウスにこんな施設があったとは記憶していない。


 アメノは、ほぼ直感でその場の空気を大いに口に含み、すう、と肺へ落とし込む。セカンド・ハウス特有のしびれが一切なかった。余程、ホームタワーのオペレーションルームの空気に近い。だが、あの部屋特有の冷たさは感じなかった。


「アブロカ。状況がわからない。アブロカ?」


 彼女が着用していたスカウタージャケットに搭載された人工思考電流に呼びかける。だが返事はなかった。慌て始める気持ちを抑え、まずは周辺に探りを入れる。目を閉じ、耳を澄ます。するとすぐに、自分の隣に人がいることに気が付いた。


 そっとカーテンをめくって隣を見ると、ひとりの少女がぐっすりと眠っていた。細く美しい金髪で、ぞっとするほど白く透明な肌をした少女だった。頬は健康的な赤みが十二分に差している。心音も呼吸も安定しており、おそらくぐっすり寝ているだけだろう。


 余程、階層の深いエリアなのだろうか。エア・コレクターなしで極めて澄んだ空気が維持されている。この少女も、病院にいる以上なんらかのナノマシン症に苦しんでいるはずだが、それを観察するのに必要なモニターの類は一切なかった。


 少女のことはひとまず置いて、アメノは歩いてあたりを探ることにした。本当は声を出して人を呼びたかったが、少女を起こしてしまうのはよくない。こんなにおとなしく眠っている人間を、アメノは久しぶりに見たからだろう。


 だが、その時、目の前の少女は唐突にかっと目を開いて上体を起こした。


「やめろ! この下郎め!」


「すまない、起こすつもりはなかったんだが……」


「なんだ! 貴様もケドドム卿の仲間か? ならばこの場で斬って、や、る……」


 ついに布団を跳ねのけベッドの上に立った時、始めて少女の顔に怒りではなく混乱の色が差した。


「なんだ、なにがどうなっている……?」


 そのぽかんとした表情に、アメノは何と声を掛けたらいいかと思案し、


「とりあえず落ち着きなさい。わたしも今目が覚めたところだからよくはわからないが、多分セカンド・ハウスのエリアだろう。人を探すから大人しくして」


「なぜ急に目が覚めた? そうか。これは、姫の危機なのか?」


 少女はベッドから飛び降り、壁際のカーテンをさっと引いた。その途端、まばゆいばかりの夕日が差し込み、ついアメノは顔をそらした。


「否、クゼハラ・ルージュの危機だ。このままでは彼女の命に係わるだろう。わたしは、彼女のために戦わなければならない」


 その言葉に、アメノは脳髄に電撃の走る感覚があった。


 クゼハラ・ルージュ。わたしは彼女を知っている!


「待て、お前は何をする気だ?」


 アメノの問いに答えるより先に、彼女はそのまま病院へ、空の手を振りかぶった。


「助けに行く。それがわたしの真理だ」


 瞬間、夕日よりまばゆい光がその右手に集まり、一振りの剣となる。


「待て、危機とはなんだ?」


 アメノは訊ねた。


「すまない。あとであなたにも聞きたいことがある。だが、その前に私はいかなくてはならないのだ」

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