元嫁の復縁メールがアクロバティック

西基央

元嫁からの手紙・前編




「パパー、お手紙きてるよー」

「ああ、ありがとう。望愛」


 日曜日の午後。

 愛娘の望愛(のあ)がポストから手紙を持ってきてくれた。まだ小学生だけど、母親似のしっかりした子だ。

 俺の妻である紬(つむぎ)は部屋で休憩している。

 紬は今妊娠中。待望の第二子を控え、体を休めてもらっていた。


「ごめんね、あなた。お茶まで入れてもらって」

「なにを言ってるんだよ。今の時期は無理をしちゃダメだ」


 申し訳なさそうにしている妻を優しくたしなめる。

 家族と過ごす穏やかな日曜日。こんなに幸せがあるだろうか。

 けれど家事にひと段落をつけて、娘に渡された封筒を見て俺は嫌な気持ちになった。


 手紙の差出人は元嫁だった。


 妻は初婚だが俺は再婚である。

 離婚して気落ちしていた俺を支えてくれたのが今の妻だ。

 俺は、紬を愛している。娘の望愛も目に入れても痛くないくらい可愛い。

 だからこそ元嫁の手紙は今の幸せを壊すものにしか思えなかった。


「あなた、どうしたの?」


 固まった俺を心配して、紬が声をかけてくれた。

 俺は封筒を見せる。隠し事をして余計な負担を強いたくはなかった。


「これ、元奥さん?」

「ああ、なんだろうな今さら……」


 本当に今さらだ。

 別れてもう十年が経っている。もうすぐ二人目の子供が生まれるというのに、なぜ今になって元旦那と係わりを持とうとするのか。


「捨てるべきか?」

「でも……なにか、大事なことが書いてあるんじゃ」

「だとしても俺にとって大切なのは、紬と望愛だよ」


 そう言うと、妻は胸元に頭を押し付けてぐりぐりとしてきた。

 頬は赤く染まっている。彼女からの愛情を、強く感じた。


「ねえ、あなた。一応読みましょう?」

「だけど」

「読まずに何かあったら嫌だもの。ね?」


 優しく促されて、俺は仕方なしに封筒を開けた。

 中から出てきた手紙には、懐かしい女性の文字が綴られていた。





 ◆



【拝啓・春乃宮満重さま。

 お久しぶりです、満重さん。

 あなたと離れてからもうずいぶん経ちます。

 春になって桜を見ていると、よくあなたの笑顔が思い出されます。

 私達の家は隣同士で、両親の仲もよく、思えば兄妹のようにずっといましたね。

 小・中・高、そして大学生の入学式。そして社会人になった時、入社式だって。

 私の人生の節目には、いつもあなたと桜がありました。

 それなのに、この十年。

 季節が廻り桜が芽吹いても、あなたがどこにもいない。

 おかしいですね。

 私はうららかな春の眠りに誘われて、目が覚めても、あなたの笑顔を探す日々を送っています。】


 そう、俺と元嫁……ここあは幼馴染だった。

 小学校の頃からいつも一緒で、結婚の約束だって交わした。

 実際に結ばれ、幸せな日々を送るはずだった。

 だけどそうはならず、僅か三年で夫婦生活は破綻した。


【どうしてこうなったのでしょう。

 私は、ただあなたの傍にいられたらよかったのに。

 ねえ、満重さん。どうして私の傍にいてくれなかったの?】


 うん、まあ……どうしてっていうか、離婚理由お前の浮気だからな?

 傍にいてくれなかったのもお前だからな?

 

【分かっているの。

 あの時、私達の愛を阻むいくつもの試練があった。

 でも、私は満重さんに負けてほしくなかった。

 乗り越えて、真実の愛に辿り着いてほしかった……ぴえん】


 負けるわ。

 だってお前あれだぞ?

 夫婦で同じ会社で働いてたのに、嫁が上司と同僚と後輩と役員とお局様と浮気してたんだぞ?

 なんだよその浮気コンプリート。あ、社長はいなかったか?

 乗り越えた結果得られるのが他人に抱かれたグチャドロ不倫嫁とか辿り着きたくねえんだよ。 

 てか、なんだお局様と浮気って。お前女もイケたの?

 ジェンダーフリーの時代だし偏見はないけどね?

 不倫はいつの時代もナシなんだよ。

 あとこのタイミングでぴえんって頭イカれてんの?


【あなたと結婚していた頃の私は満たされていた。

 でも今は、ぽっかりと財布に穴が空いたかのよう……。

 どうすればこの寂しさは埋められるのでしょうか】


 そりゃあ満たされてたでしょうね。

 俺の貯金使い込んで浮気してたんだから。

 俺の金で食う高級ディナーと高級ホテルでのセックスはそんなに最高でしたか?

 お前弁当作ってくれなかったし、俺は一日の小遣い200円で質素な昼飯で耐えていたんだぞ。

 てかな、なんだ“財布に穴”って!? 空くなら心だろうが!?

 せめて金目当ては隠せや!?


【私は、あなたに与えられた傷がまだ癒えていません】


 傷っていうか慰謝料と貯金使い込み分の返還請求な。

 あと自宅でもヤッてたからそれも買い取らせたし。

 間男・間女多すぎて慰謝料だけで一財産築けたわ。

 それ持ってるのも嫌だったから投資したらそこでも儲けた。

 お前と別れた結果、財産増えてそれを元手に今や会社の経営者だぞ。


【ところで風の噂で聞きましたが、あなたは今会社を経営しているとか。

 あなたの成功を嬉しく思っています。年収はどれくらいなのでしょうか?】


 今頃手紙が届いた理由、発覚しました。


【でも、本当は分かっているのです。

 私があなたに傷つけられたように、私もあなたを傷つけた。

 人生はハーフアンドハーフですね】


 たぶんフィフティ・フィフティと言いたいんだろうけど、そもそもフィフティ・フィフティじゃねえよ。


【最近、とみにあなたのことを思い出します。

 本当に大切なモノは失くして初めて気付くというのは真実です。

 あなたの傍にいられなかったこの十年が、あなたへの愛しさを教えてくれた。

 それはきっと満重さんも同じことでしょう。

 幼馴染として恋人として、ずっと二人一緒だった。

 互いに互いが、掛け替えのない阪神だった。

 きっと遠くなった温もりが……あなたの心を凍えさせてしまっている。

 自分のことのなんてどうでもいい。

 瞼を閉じれば見えてしまう、寒さに震えるあなたの姿がただ悲しい】


 いえ、全然寒くないです。

 だって「パパぁ、遊ぼうよぉ」って今も娘の望愛が抱き着いてきているので。子供って体温高いんだよ。

 あと半身だろうが、絶対間違えちゃダメなタイミングで誤字んな。


【私も、寂しい。

 今は上司とも同僚とも後輩とも役員ともお局様とも関係を断っています。

 うち四人が既婚者だったため、その配偶者から慰謝料を請求されてしまいました。

 夜の仕事をしながら、汚いアパートで、貧しい食事をしながら暮らしています。】


 ざまぁ。

 

【そして、夜眠り。朝目覚めると存在しないあなたの温もりに枕を濡らします】


 そもそもね、結婚三か月ぐらいで俺らレスだったから温もりなんて欠片もなかったよ。


【あれから十年。私は罪を償い、あなたも冷静になったことでしょう。

 どうでしょうか。そろそろ復縁するタイミングだと思います。

 私は幼馴染として、社長夫人として、あなたを支えたい。

 触れ合えなかった十年という歳月が、二人の愛を真実に昇華したのです】


 なんだ冷静になったって。

 上から目線すぎない? 

 つーか既に社長夫人はいる。


【今度二人で会いませんか?

 ホテルの一階にあるレストランで、お食事でもしながら。

 決して眠り薬を仕込んで既成事実を作るような真似はしません。

 本当です。ただ、もしも常用している薬があるようなら事前に教えてください。 

 飲み合わせによっては重篤な事態に陥る可能性があるので。

 三日後の夜十時。駅前の春乃宮プリンセスホテルのレストラン“つむぎ”で待っています。


 このホテルもあなたが経営しているそうですね。

 安心してください。あなたの気持ちは伝わっています、とっても嬉しいです。

 では、楽しい夜にしましょう。


 あなたのお姫様・春乃宮ここあより】


 俺は全てを読み終えて、手紙をびりびりに破った。


「あ、あなた、どうしたの?」

「いや、手紙っていうか怪文書だった」


 そのまま俺はゴミをゴミ箱にシュート、エキサイティング。

 そうして娘の望愛を抱っこする。


「よーし、望愛。ちょっと散歩しながら桜を見に行こうか」

「わぁい、ほんとパパ!?」

「お団子でも買ってちょっとしたお花見でもする?」

「んー、それはいい! あのね、ちゃんとしたお花見はまたママが元気になって、弟か妹が生まれてから!」


 もう、本当にいい子だなぁ!

 俺は望愛をぎゅーっと抱きしめる。そんな俺に「もう、親バカなんだから」と紬は微笑む。

 平和の肖像とは、こういうことを言うのだろう。



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