第34話 息が止まる

「もうちょっとで着きそうだね」

「そうですね」

「もうお別れだなんて…… せっかく付き合ったのにもっと一緒にいたいよ……」

「さすがに無理ですよ。今日これから仕事なんですよね?」

「そうだけどー……」


 お姉さんはほっぺを膨らませてわたしの腕に引っ付いている。


 確かにもうちょっと一緒にいたいって気持ちが分からないわけではないけど、さすがにお姉さんの仕事を邪魔するわけにはいかない。


「あー、茉莉ちゃんの家、見えてきちゃった……」


 もう数十歩くらい歩けば到着。


 お姉さんとはお別れだ。


 今日も含めて二日間、すごく長かったような気がする。


 一日中家族以外の人と一緒にいるなんて久しぶりだった。


「じゃあまたですね」

「うん…… またすぐね! すぐだからね! 仕事さえなければいつでも会えるから!」

「あはは、分かりました」


 付き合ったことによって、お姉さんの好意を完全に受け止めることができるようになった。


 そのことに対しては心地よさを感じているので、やっぱり付き合って正解だったんだろう。


「じゃあ、わたし行くね……」

「はい」


 ただ一つ気になることがある。


 このことを梗に伝えるべきかどうかだ。


 梗に応えてあげることができなかったのに、わたしがお姉さんと付き合ったと伝えると梗を怒らせてしまうのではないのだろうか。


 だからといって、それを怖くて伝えないでいるというのもダメな気がする。


 どうしたものか……


 そんなことを考えながら、わたしはお姉さんを見送っていた。


 ☆


「え、桜來がいるの!?」

「ええ。桜來ちゃんがちょっと前にうちに来てね。リビングで待たせるのは気を使わせるかと思って、茉莉花の部屋に行ってもらってるのよ」


 わたしが家に入ると、見たことのない靴があるのがすぐに分かった。


 誰かお母さんかお父さんの友達でも来てるのかなと思ったら、どうやら桜來が来ているようだ。


「結構待たせちゃった感じ?」

「そうねえ、だいたい三十分前くらいに来たんじゃないかしら」

「めっちゃ待たせてるじゃん!」


 何の用があって来たのかは分からないけど、とにかくわたしはすぐに自分の部屋に向かった。


 三十分も待たせてしまうとは申し訳ない。


「桜來!」


 わたしは勢いよく部屋のドアを開いた。


「……茉莉花」

「待たせてごめん!」

「ううん、わたしも急に来ちゃったから」


 いつもよりも桜來のテンションが低い気がする。


 待たせてしまったことに怒ってはないにしても、待ち疲れてしまったのだろか。


 本当に申し訳ない。


「ほんとごめんね。それでどうしたの?」


 いつもわたしの家に遊びに来るときは必ず先に連絡をくれるのに、今日は違う。


 何か緊急の用事でもあるのだろうか。


「その……さ。この前、茉莉花のお姉さんに会ったじゃん」

「え? あ、ああ、うん……」


 どういう話をしようとしているのかがよく分からない。


 ただ、お姉さんのことをわたしの本当のお姉ちゃんだと偽っていることに胸がズキッとしたのは事実だった。


「それってさ、本当に茉莉花のお姉さんなの?」

「……え?」


(……どういうこと?)


 なんでそのことを知ってるの?


 桜來にはそのことを言っていないはずなのに。


 うっかり口を滑らせてしまったということもなかったと思う。


 なんで…… どうして……


 頭が混乱し始める。


 さらに悪いことに、この混乱はなかなか収まりそうにはない。


 結局わたしはどう答えていいか分からなくなって黙り込むことしかできなかった。


「……やっぱり違うんだね」

「さ、桜來……」


 沈黙が答えになってしまったみたいだ。


(……もう……無理か)


「その、実はね──」


 わたしは本当のことを桜來に話すことにした。


 これ以上嘘はつき通せないし、最初から正直に言っておけば良かったのだ。


 それをわたしが桜來に心配をかけるかもしれないからという理由で、変に嘘ついたりしたのが悪かった。


 正直に謝ろう。


「……そっか。そういうことだったんだね……」

「うん…… 嘘ついててごめんね」

「ううん、わたしも悪かった。茉莉花に気を使わせちゃってたってことだから」

「ほんとごめんね……」


 結局桜來に気を使わせてしまった。


 何してるんだ、わたしは。


 もうこれからはどんなことだとしても、桜來に嘘をつくのはやめよう。


「それでさ。こっちが本題なんだけどね。そのお姉さんと付き合ってるの?」

「え?」

「告白されて断ったって言ったけど、まだ会ってるんでしょ? 今はどういう関係なの?」

「ど、どういう関係って……」


「恋人だよ」と簡単に答えることはできなかった。


 自分の中で理由は思い当たっている。


 まずはこれがわたしだけのプライバシーではないから。


 別の誰かに話していいというお姉さんの許可をもらっていない状態なので、わたしの判断だけで勝手に話していいものか分からなかった。


 だけど一番大きな理由はわたし自身に問題があった。


 それは桜來に本当のことをいうことが怖いということだっだ。


 わたしは女の人と付き合っている。


 それが世間一般の人から見て、普通ではないと認識されることも知っている。


 だから怖いのだ。桜來は大切な友達で、その桜來に否定されてしまうのが。


「茉莉花。ちゃんと話して欲しい」

「桜來……」


 桜來はそんなことを言う人ではないことは分かっている。


(……よしっ)


 それに言われたとしても、わたしが努力すれば友達としてこれからも一緒にいてくれるかもしれない。


 なにより、もう桜來にはこれ以上嘘はつかないとさっき決めたばかりだ。


 わたしは深呼吸をする。


「……うん。付き合ってる。お姉さんと付き合ってるよ」


 わたしは俯きながらそう言った。


 なんて言われるだろうか。怖いけど、何を言われたとしてもいい。


 それが桜來の言うことなら、全部受け入れよう。


 わたしはそう思って、真っ直ぐと桜來の目を見た。


「………………え」


 すると、目の前でとんでもないことが起こっていることに気が付いた。


(どう……なって……)


 桜來の目から涙が流れている。


 声も出さずに、桜來が泣いているのだ。


 わたしはその光景に慌てることもできず、ただただ呼吸ができなくなっていた。





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