10話 演技の極意

 私の気持ちとは裏腹に、演劇部の新入部員の仮入部期間は日々進んでいく。58人いた入部希望部員は30人になり、役者だけではなく音響や照明、道具を希望する人数もぽつぽつと表れ、役者志望は男子8人女子10人の、合計18人となっていた。


 白川さん曰く、男女比はかなり重要だそうで、男女の比率が極端に傾きすぎると脚本の幅も狭まってしまうらしい。確かに登場人物が男子だけとか女子だけでは、舞台の種類も減ってしまいそうであることは想像に難くない。何はともあれ、部活が成り立っていきそうな程度で人が散らばったのはいい事だと思う。

 白川さんは、俳優志望の部員たちの前に立って、何やら話をしていた。昨日言っていたお芝居の内容について話しているのだろうか。


 一方で私はというと……


「……機材や工作道具はここに、ある程度の小道具はここにあります」


 役者志望の生徒以外の子たちを連れて、部室の隣にある、備品等の置き場を案内していた。私も入部した日に軽く説明を受けただけなのでうろ覚えの箇所もあったが、なんとか説明していた。

 総勢12人、全員が1年生だという。私なんかの説明に真剣に耳を傾けてくれる、素直な子ばかりだった。私もどこか得意げになりながら説明していた。


 その後も、それぞれの希望を聞き、やることも無くなったので部室で解散となった。ありがとうございましたー、とバラバラと口にしながら部室を去っていく生徒達。白川さんの方針で、名前を聞くようなことはしていない。いつでも他に行けるようにとのことだったが、人の名前を覚えるのが苦手な私にとってもありがたい計らいだった。

 と言っても、あの中の何人かは入部して、実際に私も彼らの名前を覚えないといけない訳で……結局やることは変わらない訳です。


 生徒達をある程度見送ってから、私はふと白川さん達の方へと目をやった。部室の前方の黒板の前に白川さんは立ち、それを囲むようにして10人ほどが座って話を聞いている。

 最初は18人のはずだったが、椅子に座って白川さんの話を聞いている人数が合わない。まさかもう何人かは逃げ出したのか……


「発音練習は―――、実際に舞台でも―――」


 どうやら、舞台演技の基礎を教えているらしい。私も聞いて見たくて一歩踏み出したが、踏みとどまった。


(私が裏方がいいって言ったんだから……)


「あれ、行かなかった」

「……っ!!」


 後ろから急に声がして、びっくりしてそのままの勢いで振り返ってしまった。後ろにいたのは、私よりも頭一つ小さい女の子だった。


「聞きたいなら行けばいいのにー。なんで今躊躇ったの?」

「あ、いやー……急に入っていくと迷惑かなって思ってね」

「そうなんだー……」


 この女の子は、確かさっき私の話を聞いていた一年生の子だ。艶のある黒髪が腰のあたりまで伸びていて、どこかのお嬢様かと思わせるくらいに上品だった。

 ただ、さっきから私の行動や気持ちを鋭く見抜いてきているような気がして、どこか不気味さを感じさせる子だった。


「……まあ私は聞きたいから行くけどね!」

「え、えぇちょっと!」


 女の子は私から目線を外すと、跳ねるようにプチ講演会に方へと歩いていった。声をかける暇もなく行ってしまったため、私もふとついていってしまった。


「今回やる一幕では―――あら、あなたも聞きたいの?」

「はーい、役者志望じゃないけど私も聞きたいですー。あ、ちなみに夢月さんも聞きたいそうです」

「あら叶夢も?」

「え、あ、はい」

「ふふっ、それなら早く言ってよ―――叶夢にも聞いて欲しいわ」


 そう言って顔を綻ばせると、白川さんは解説を続けた。


「私が今回指定した場面は、初対面の二人が話していくうちに、心を許していくシーン―――でも、ただセリフだけを追って、会話を続けているだけでは音読と変わらないわ」


 なるほど、演技とは何か、みたいなことについて話しているのか……私はさっきの発声の話とか、歌う時に必要になりそうな話を聞きたかったが、芸能人の演技の話なんてそうそう聞ける話じゃない。


「だからと言って、セリフを誇張して発声すればいいってわけでもない―――心を許した人と話すときの話し方ってあるでしょ?家族や、親しい友達と話すときは、感情的になったり、ちょっとした言葉や仕草で傷ついたりする。そんな心の状態を何百何千の目の前で表現して、作者の言葉を通して観客を感動させる。これが私にとって、演技すると言うことよ」


 白川さんがそう言い切ったあと、彼女を囲む人たちからは感嘆の声やため息が零れていた。私もほぉっとため息交じりに感心してしまった。


「なるほど……演技というものはただ単純にキャラクターになりきるわけではないのか……」


 隣に居座る女の子も、何やら関した様子で、ぶつぶつと何かを呟きながらメモ帳に何やら書き込んでいた。かなり真面目な性格なのだろうか、それにしては別に役者を目指している訳ではないようだが……


「白川さん、一つ質問してもいいですかー?」

「もちろん、けど、あなたは確か役者志望ではないわよね?」

「はい、脚本志望の中瀬古なかせこれなです。演技をする人にちょっと興味がありまして」

「何かしら?」

「今の理論で言ったら、要するに自分の1番脆い部分を晒して大勢の人の前に立つってことですよね?そんなのって、心が鋼鉄くらい硬くないとできないことじゃないですか?それとも、それらに耐えるためのコツってあったりするんですかね?」


 中瀬古さんは、言葉に詰まることなくスラスラと質問した。質問の内容も、白川さんの心の傷に触れかねない鋭利なものだった。

 先の白川さんの言葉を聞いていると、白川さんがこれまでにどれだけ傷ついたかなんて、想像もつかない。ましてやそれを掘り返そうとするなんて、私には絶対にできない。


 中瀬古さんの質問を受けた白川さんの顔は、悲しみとも苦しみとも取れる表情を浮かべていた。過去を懐かしんでいるようにも見えた。少し考えた後、白川さんはこちらをじっと見て言い放つ。


「……そうね、コツはないわ」

「じゃあ、心がカチカチなんですか?」

「いいえ、人並みよ」

「じゃあ、受けた傷はどうなるんですか?」

「どうにもならないわね」


 白川さんは淡々と答えた。聞いている側の勢いもだんだんとなくなって、ついには完全に口を閉ざしてしまう。


「……俳優という仕事は、みんなが想像している数倍は精神的に参る仕事だと思うわ」


 中瀬古さんを含めた誰もが、白川さんの次の言葉を待っていた。


「観客が舞台や物語を面白いと思うのは、決して自分は傷付かずに物語を体験できるところにあると思っている。安全圏から見るドラマほど、面白いものはないでしょう?」

「気取った台詞や大袈裟な動作で自分自身を守ることも出来るけど、観客は感動しない。自分の1番見せたくない部分を曝け出して演技をするから、観客も物語を体験できて、感動する。役者が傷つくのは、多くの人から讃えられ、注目される代償なのよ」


 ドラマのワンシーンを見ているみたいだった。今まで白川さんが受けてきた傷が、傷ついてきた過去が容易に想像できた。でも、こんなこと言われたら役者になりたいなんて軽い気持ちでは言えない……

 長台詞を言い終えた白川さんは息ひとつ切らさず、中瀬古さんの方をじっと見た。


「……グスっ」

「え、ええ!中瀬古さん!?」


 急に慌てる白川さんを不思議に思い、私は隣を見る。私以外の全員も後方に座ってる中瀬古さんの方を見た。彼女は両目から玉の涙をポロポロ流しながら、何かのメモを取っていた。

 白川さんも、中瀬古さんの方へと駆け寄り、ハンカチを中瀬古さんの目元へと押し当てた。


「急にどうしたの?酷いこと言っちゃったかしら?」

「ごべん……なざい、全然酷くないです。すっごく感動しちゃって……」

「嬉しいけれど、とりあえずメモやめて涙を拭きなさい……」


 一度もメモ帳を離さなかった中瀬古さんだったが、ようやく机にメモ帳を投げ置き、白川さんが差し出してくれたハンカチで涙を拭く。

 心の中を読んだように見えたら、次の瞬間泣き出して、不思議な子だ……

 白川さんはポンポンと中瀬古さんの艶のある黒髪をなでると、元の位置まで戻ってから改めて言った。


「まあ、さっきのは私の極論みたいなものよ。役者を始めようと思う理由なんて、注目されたいとか、ちやほやされたいとか、そんなんでいいんだから。私がみんなに教えられるのは、大体この辺りよ」


……やっぱり、すごいなぁ


 私は遠くで彼女たちを見つめるだけだった。

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