番外編1 「広見リオ 語るスレ」

 僕はただの男、でも6年前までは特別な……持っている男だった――。



 ちょうど日付が変わったばかりの午前0時過ぎ、深夜。1人で住むマンションの1部屋。僕はテレビを見ながら、ふと昔のことを思い出した。


 他人に言っても絶対に信じてもらえない、だからそもそも他人に話したことが1度も無い、不思議な不思議な昔話だ。


 僕は何でも検索できるパソコンを持っていた――。


 自分でもつい鼻で笑ってしまうような話だ。でも本当のことだと分かっているから、あの日々を思い出していると、目が輝くような感覚もある。


 何でもない日に突然部屋の机の上に現れて、僕を好きな女子がいるか検索したり、ドラゴンが存在するか検索したり…………本当に色んなことを検索した。


 いつからか相棒と呼べるほど愛着も沸いて、なんと地球を救うのに使ったりもした。たまに毒を吐くけど、どこか憎めない、真っ黒な色をした何でも検索できるパソコン。確かに僕はあの時、あのパソコンを持っていたのだ。


 そして彼女と出会って親しくなれたのも、あのパソコンのおかげだった――。


「――今夜のアーティスト1組目は3回目の登場、広見リオさんです」


 テレビからMCの男の声がする。すぐに画面が切り替わり、見知った女性の顔が映ると、僕は姿勢を正した。


「リズ・リズムをご覧の皆さんこんばんは、広見リオです。私が今晩披露させていただく楽曲は――」


 テレビ画面の向こうで、全国のファンに向かって挨拶をする1人の女性。僕は彼女のことを学生の頃から知っている。


 折原裕実――。今は広見リオという名前でアーティスト活動をしている。人気も人気、大人気の若き歌姫だ。高校2年生の終わりまで僕と同じ高校の同級生で、僕の初恋の相手でもある。


 あと、化粧を覚えてからめちゃくちゃかわいい。


 今でもファンとして追っかけている彼女を見ると、青春時代のことがちらつくし、同時に黒いパソコンも記憶の中からひょっこり出てくる。


「曲名のCherry blossomは英語で言ってるだけで、日本語に直すとただサクラってシンプルな曲名なんですけど、英語にした理由は字面がかわいいからで、そのタイトル通り私の今まで歌った曲の中ではかわいらしい曲になってます――」


 基本的にアーティスト紹介とライブ映像を流すだけの深夜のちょっとした音楽番組で、折原の挨拶が続く。その口調に緊張は感じられず、常に笑顔でカメラを見つめている。


 彼女は地元を飛び出してから半年後にはもうテレビに出るくらいの人になっていた。


 動画サイトで点いた火は一切とどまることなく広がり続け、瞬く間にテレビ業界まで届き、何千人もの人を前にライブもするようにもなった。


 初めは不思議な感じがした。ついこの間まで一緒にいた人がテレビで芸能人と話しているなんて夢でも見ているみたいだった。そんな人とずっと連絡を取り続けていることに、何だか悪いことをしているみたいだと思ったことも記憶にある。


 でも、すぐに慣れた。もしも彼女がカメラの前で俯いていたら心配でしょうがなくなっていただろうけど、初めから彼女は堂々としていた。自信のある人はどんな格好でどんな場所を歩いていても恥ずかしく見えない。


「――それでは聞いてください。どうぞ」


 画面が1度暗転してから、ライブ映像へと切り替わる。下からスタジオの様子を映しながら、曲のタイトルと作詞者作曲者なんかも小さく表示された。


 僕は立ち上がってテレビの真ん前まで移動した。


 折原の毛穴まで見えてしまいそうな距離に座り、ついこの間配信されたばかりだが既にアカペラで歌えるくらい聞き込んでいる新曲を聞いた――――。


「――広見リオさん、ありがとうございました」


 しっかりライブ映像を堪能して、数分後にはテレビを切ってベッドに横になる。折原のライブが終われば、その後のMCの男の話も2組目のアーティストにも興味は無かった。


 仮眠を取ったから眠くないとはいえ、明日も朝が早いので寝なければならないという理由もある。


 随分遠い人になってしまったけれど、今でも彼女は僕の目標だった。


 高校2年生の終わりに別れたあの時からずっとそうだ。23歳として過ごす今日まで僕は、歌手になった彼女とまた会う時に恥じない男になっていようという思いで頑張ることができた。


 雨の日も風の日は、いつだって彼女のことを思った。くじけそうな時は、「いつかまた会う為に」と頭の中で唱えた。 


 大学生になって自由な時間と軽いフットワークを手にしてからも1度も彼女と会っていない。ここ数年はいちいち連絡を取ることも無くなった。


 それでもまたいつか会う時はきっと訪れると思う。


 ただなんとなく、何の約束がある訳でもないけど確信している。僕たちの道はきっとどこかで再び交わるのだと。


 黒いパソコンも同じだ。もうどこに行ってしまったのかさっぱり分からない。今誰が持っているかなんて分かりっこない。それでもまたいつか、死ぬまでにはもう1度使えることがある気がする。


 あのパソコンのことだから……日常の中の突拍子もないタイミングで現れる。家に帰ったら床に転がっていたり、洗濯しようとしたら洗濯カゴに入っていたり、そんな風にもう1度何でも検索できる夢のパソコンを手にするのだ。


 もしかすると、今も収納を開けばそこに入っている気もする。僕が願いながら取っ手を引けば一瞬でやって来てくれるんじゃないかと思う。


 収納のほうを見ると、かつて毎日収納を開けるのが楽しみだった日々が思い出されて、自然と頬が上がった。


 でも、そんなことはしない。ただ何となく会いたいから、楽したいからという理由では会わない。


 心身ともに、立派な男になって会いたい。今度会う時には、大人になった僕の姿を見せたい。別れてからこれまでの事を話したい。そして、お礼を言うのだ。「ありがとう、おかげで成長できた」と。世話になった恩師に会いたいという気持ちと同じである。


 もしも、また僕のところにずっと居てくれるのだとしても、世界から争いを無くす。そんな平和的な、世の為人の為を目的として使用するだろう。


 僕はもう間違いを犯したあの時のように、子供ではないのだから――。


 僕は目覚ましがセットされていることを確認して、消灯した。布団の中で足をぐっと伸ばすと程よく力が抜けて、眠りに向かうのに良いコンディションになれた。


 暗い部屋で枕を好きな形にセットする。寝相の1番手は最もシンプルな形、手だけを布団の外に出す仰向けに決めた。あとは目を閉じるだけ。


 けれど、僕はスマホを起動した。


 最後に先ほどの折原のテレビ出演の感想だけチェックしておきたくなった。10分ほど経っただろうから、もう十分にネットに転がっているはずだ。


「広見リオ 語るスレ」


 僕は検索して、日常的に覗いている匿名掲示板を表示する。有名人によって最も機能しているスレタイはまちまちだが、折原の場合は「語るスレ」という名前のものがそうだった。


 現在進行しているものはpart211である。


「新曲良かったね」

「興奮しすぎて目が覚めたわ」

「何であんなに上手いんだろう、生歌であれはすげえよ」

「やっぱリオたん最高や!愛してるで❤」


 ライブ映像が終わった頃の辺りから書き込みを遡ってざっと見ていった。称賛の書き込みばかりで、それを求めていた僕は頬を緩ませた。共感は人間の栄養の1つである。


 自分も何か書き込もうかと考えながら、スマホを指でなぞる作業は続いた。しかし、僕はある1つの書き込みを見つけて手を止めた。


「今日もくっそ下手くそだったドブみたいな声、ブスだし」


 いつもならいちいち気にしない。人気な分、アンチと呼ばれる人間も多いからだ。相手をしていたらキリがない。


 けれど今夜は攻撃したくなった。何を書き込むかの答えが決まった。


「>>723 お前の100倍歌上手くて可愛いよ、いやすまんそれはないか……1億倍くらいかw比べるのも悪いくらいだったわw」


 素早い手つきで指をスライドさせて文章を打ち込んだ。


 長々と相手をするつもりはない。僕は大人だから、こんな誹謗中傷をしているしょうもない人間とまともにやり合わない。軽く煽ってやってストレス解消の道具にするだけだ。この1回のレスで終わり。


 そう思っていたのだけど…………。


「>>742 出た出た頭悪い広見信者、1億倍って(笑)文字見ただけで程度が知れる」


「>>748 他人のアンチしてる人間が程度とか草、お前のほうがどう考えても程度が低いだろ」


「>>763 はいはい、ちょっと煽られただけですーぐピキって私が正しい私が正しいってブス姫と一緒だね」


「>>767 どうせお前も若くして成功してる子に嫉妬してるおばさんなんだろうな、ババアで23歳の子のアンチしてるとか終わってるな」


 僕と憎たらしいアンチの激しいレスバは始まってしまった。


 ああー、腹が立つ。こいつからの返信を確認する為の更新ボタン連打が止まらない。どうにかして負かしてやりたい。あー今すぐ黒いパソコンを使ってこいつを痛い目に合わす方法を検索したい。特定してどんなしょうもない奴か見てやりたいっ。


「>>781 残念ながらまだ10代ですよ、嫉妬ではなく単純に歌が下手で言動も気持ち悪いからメディアに出ないでほしいだけです」


 引いてほしいのだけど素早くレスを飛ばしてくる。こうは言っているけどたぶん女だ。書いた文を見ただけでもなんとなく性別は分かる。SNSでも広見リオについて批判的な投稿をしている奴は女ばかりだ。


 歌が下手なんて言われているのを見ると、そうじゃないことを1番知っている身としては本当に腹が立つ。あの日あの時の響きを知ってからは折原以外とカラオケに行っても満足できない体になったくらいだというのに。


 別にまだ異性として好きな訳ではない。折原に彼氏ができたというニュースを聞いても相手が悪そうな奴でなければ素直に応援する自信がある。


 今は凄く純粋なファンで、ひたすら彼女の幸せを願っている。僕には妹はいないけれど、感覚的にはそれを見守っているのに近いと思う。


「>>787 10代ならもっと終わってるわwガキの頃から匿名掲示板とか碌な人間に育たないんだろうな可哀想にw」


「>>803 そうだね、でもブス姫のナイト様してるおじさんよりはマシなんじゃないかな、ブヒブヒ鼻息荒げないで」


「>>810 何でおじさんだと思ったのw20代だけどww勝手に頭悪い妄想するのやめてくれ」


「>>821 先におばさんとか言ったのがそっちだよね、20代ってもうおじさんだし年齢でしか煽れない時点でね…」


 深夜の暗い部屋の中で、スマホをしきりにタップする音がしばらく続いた。流石に寝なければと感じる時間を過ぎても止まらず…………相手の返信を待つ間、目を閉じてしまうようになった僕は…………気づけば眠りに落ちた…………。



 ――翌日、目を覚ました僕の手にはまだスマホが握られていた。なぜここにスマホがあるのかすぐには分からなかった。けれど目覚まし時計を止めても消えていかない不快感で、寝る前に何をしていたかは思い出された。


 ああ、そうだった。僕は折原のアンチとレスバしていたんだ……。


 スマホに映ったスレを更新しようと思ったけどやめた。既に書き込みできなくなる1000レス目まで到達していたのだ。よく覚えてないけど、寝る前に僕は最後まで見ていたらしい。


 終わりからスレを遡ると、徐々にレスバのやり取りが思い出される。僕とアンチの戦いは1つのスレが消化されるまでみっちり続いていた。


 最後に攻撃をしていたのは相手の方だった。でも僕は表情を変えずに、スマホの電源を切って充電ケーブルを差し込んだ。


 一夜明けてみればどうということもない。怒っていたという記憶はあるけど、不自然なほど怒りの感情は無い。何て無駄な時間だったのだろう。代わりに、恥ずかしさと大人げなさを感じた。


 僕としたことが本当に情けない……。


 顔を洗ってから窓際に立って、眠気覚ましに太陽光を浴びた。少しじゃ足りなかったから網戸まで開けた。そうすると、自然と大きくため息が出た。


「はあ……」


 別に上手く疲れが取れずに目覚めた朝が辛いのではない。このまま仕事に行かなければならないのも嫌じゃない。だからといって、朝日の美しさに感動した訳でもない。ただなんとなく、それ以上でもそれ以下でもないため息だった。


 僕は今、幸せだった。折原と付き合う未来を無くす選択をした時は、心底不幸になったと思ったけれど、あの出来事があったからこそ人生を精一杯生きることができるようになった。確実に人生全体で見ればプラスだった。


 ここまであの黒いパソコンが分かっていて、僕の為を思って出した答えなんだとすると感心する。


 それなりの大学を出ることができたし、それなりの企業に就職することもできた。自己評価だからそれなりと謙遜しているが、他人からすれば結構良いとこの企業だ。


 勤務時間は平均以上に長いけれど、やりがいを感じられる仕事だし、職場の人間も良い人ばかりだ。特に1人、面白い先輩がいる――。


「よし」


 小さく言うと朝の支度に取り掛かった。朝食は朝からキムチ春雨スープ。気づけば激辛にはまって抜け出せなくってしまった僕が昨夜作った、ちょっと辛めの1杯だ。


「ごほっごほっ」


 そんなスープを咳き込みながら飲んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る