保安官事務所

 声は同じでも新任保安官様はヴィクトール・バンディットでは無い。

 いえ、その声だって私の思い込みの方が近いであろう。

 それでも私は彼の声がもう一度聞きたいからと、自宅に戻るやクローゼットの中を漁って、奥に隠していたものを引っ張り出した。


「さあ出番よ。パーティガールドレスさん」


 私が普段着ているゴシックロリータの黒ドレスは、町の子供服売り場で親に選んで買ってもらった物ではない。通信販売にて、私が自分で選んで購入しているものだ。そして、通信販売を利用して学習した事は、子供が大人の服を買っても怪しまれないという点である。重要なのは、クレジットカードが決済できるか否、それだけだ。

 この点に関しては、ろくでなしデーモン一族ありがとう、の一言だろう。

 限度額に見境が無いクレジットカードを八歳児に与えてくれているのだ。

 それは、人を堕落に貶めて命を奪うのがデーモンであるからして、親として祖父として、私を可愛い子供と思っているからこそ、堕落させる大量の金銭を与えてくるのだろう。

 いいえ、将来のことを考えてないから、甘やかせるだけ甘やかすのね。

 自分を一番愛している人の心臓が一番のご馳走だもの、デーモンでは。

 私が彼らを愛し返したら、その日のうちにディナー皿決定。

 イケナイ、イケナイ、脅えたら思考が止まっちゃう。

 そしたら食べられちゃうのよ。


 さあ、気を取り直して、ええと私が何が言いたかったのかというと、私は二十歳ぐらいの女性が着る服を持っている、という事。

 私は二十歳ぐらいの女性の姿に変身できる。

 だからその姿で保安官に会いに行こうとしているのだ。

 そして私の不在の穴埋めとして、ペットのテンが私に化けて誤魔化してくれる。


「顔はどうしてもパラディンスキ家よね。でも、なんだかんだ言っても、私はこの顔は嫌いじゃないし」


 鏡の中の大人になった私は、きっと誰が見ても振り向くような美人だと思う。

 結局魔物は狩りをするために、人間の警戒心を解くために人間が好む人間が望む美しい姿になるように進化しているのだと思う。

 そこで恐ろしいぐらいに美しい吸血鬼の顔が浮かんだが、あれはきっと無駄に美しいから人間を辞めたに違いないと考える事にした。もしかしたら、生まれついての吸血鬼なのかもしれないけれど。


 私は再びざわざわときた寒気を追い払う様にしてキラキラミニドレスを纏い、私の姿の黒貂のテンにいつものように声をかけた。


「いつものようにお願いね」


 私に化けたテンは私への返事として、にかっと口が裂けたような笑顔を私の顔で作って私に見せた。怖い。


「よし、つぎは、私が見えなくなる魔法!」


 透明人間の遺伝が入っているわけでは無い。

 幽霊を見える私にしか出来ない魔法だ。

 幽霊を使って空間を歪めて、ええと、こうがくめいさい?にしちゃうの。

 私はそうやって家を出て、人込みに紛れたところで姿を現わした。それから、大人の姿の私は誰にも咎められないまま、悠々と、私の想い人と同じ声で喋る男性のいる場所へと向かったのである。


 保安官を探すならば、保安官事務所。


 受付にはスー・レイエンという名の、浅黒い肌に長い黒髪をきゅっと結った化粧っ気のない美人がいた。最近ハワイから移住してきた人だと聞いている。そんな美人の彼女は保安官事務所の受付という職務からか、事務所に入ってくる人間にはにこりとも笑わずに冷たい視線だけを与える、ということも有名だ。

 うん、睨んでますね。

 パラディンスキ家はこの町ではマフィアかギャングな認識ですものね。

 私は無理にでも笑顔を作って、出来る限り友好的にスーに話しかけた。


「ハイ。道に迷っちゃったみたいなの。ううんと、そういう事で、ちょっと、保安官にお話があるの。通してくださる?」


 パラディンスキ家の顔の私では、胡散臭い事この上ないであろう。だからこそ私は、胡散臭い女が何か情報を持ってきたと思わせる作戦で、夜のクラブの女性のような格好をしているのだ。はてさて、スーは私をつま先から頭のてっぺんまでねめつけてから私に吐き捨てた。


「留守です。お帰り下さい」

「あら、まああ。大事なお話が、ええと、あると、お伝えして下さる?」


 ビジューでギラギラなクラッチバッグを胸元にぎゅうっと抱きしめた私は、恐らくいかにも見てはいけないものを見た夜の女のようなはず。また、夜の女という事は昨夜か今朝未明のジョスランによる殺害現場を見たとも受け取れる筈である。

 しかし、事務所を守ることだけに熱意を持っているらしきスーは、つまらなそうに鼻を鳴らしただけだった。


「お帰り下さい」

「あら、でも、あの可哀想な女性の……」


 スーの顔はぐにゃっと変化して、吸血鬼の使い魔のグールへと変貌させた。


「余計なことを言うと喰っちまうよ」


 私は彼女ににやりと笑って返した。

 人外の者達だけに通じるデーモンの笑顔だ。

 スーはひぃっと小声で脅え声を出し、私は彼女の方へと身を屈めた。


「小物が。私は新しい保安官に挨拶に来ただけよ。通しな」

「あ、あの、留守です。ほ、本当に留守なんです。そ、外回りで。でも、!あ!」

「どうしたの?」


 振り向きかけた私は、背中に硬いものがぶつかってよろめいた。


「おおっと」

「ああ、おおっと、だわ」


 よろめいたはずの私は、丁度外回りから戻って来たらしい保安官の腕の中にいた。

 密着した事で知った彼は、ああ、私のヴィクトールだった。

 だって、匂いが一緒なのだもの!


 あなたが私のヴィクトール!!


 私は嬉しさばかりで彼を見上げていた。

 彼はそんな私に対して、黄色にも緑色にも見える瞳で見つめ、それから私の心をとろけさせる笑みを顔に浮かべたのである。


 前世の私は目が見えなかったけれど、彼の瞳はこんなに素敵に輝いて、そして、こんなにも素敵な目で私を見つめていたのね。

 私はほうっと溜息を吐いて目を瞑った。


 ヴィクトールは私を後ろから抱き締めるのが大好きだった。あなたは私の首筋に顔を埋めては、夢や希望、そして、失われた家業について語ってくれた、わね。


 私の左耳に彼の吐息が掛かった。

 びくりとして目を開けると、彼の顔は私の顔にキスできる程に間近にあり、彼は目を開けた私に、私に気が付いているよ、という風な目線を寄こした。

 いや、それは私が勝手に考えたことだが、でも彼は私の耳に囁いたのだ。


「ついて来て」


 彼は私の腰に腕を回した。

 私はその力強い腕によって彼にしなだれかかり、勿論だわ、と言った。

 そうよ、魔物と戦うバンディット一族だってあなたは私に語ったわ。

 私があなたの恋人だったブランだって、あなたは気が付いてくれたのね。


 私があなたをヴィクトールだって確信できたのと同じように!


「あの、保安官、どちらへ?」

「ああ、ちょっとこの方と現場検証だ。目撃者として呼んでいた方でね。そして、公にしたくない証人だから、頼んだよ」


 スーは上司の言葉を聞くと受付机の書類仕事に戻った。

 それはもう、私と保安官などこの場に存在していないのかのように、きっぱりと。

 だが、彼女から保安官が背を向けた途端、彼女は私にだけ聞こえる音量でぼそりと呟いたのである。


「ざまあみろ」


 ざまあみろ?

 私は首を傾げながらも保安官の後をついて外に出た。すると彼は上着を脱いで、なんと私に被せてきたのだ。肩にじゃなく頭から。私から視界を奪ったまま私を事務所の駐車場へと連れて行くっていうの?


「まるで連行される売春婦ね」

「そう見えないと後が大変だ。車に乗って」


 私はヴィクトールに言われるまま車の後部座席に乗り込んだ。

 SUV車の車高が高いため、彼が私の腰に手を当てて持ち上げてくれなければ目隠し状態の私には無理だったが、彼のエスコートはとても上手で私の身体は羽が生えたかのようにしてすっと車内に乗り込む事が出来た。


 ああ、あなたはこんな素敵な扱いを女性にできるようになったのね。

 あの頃のあなたは、私に手を貸すなんて考えもしてくれなかったのに。

 過去を思いながらヴィクトールの上着を頭から外した。


「あ、私は連行されている!」


 私が乗った車は、運転席と後部座液の間に仕切りが付いているというものだった。


「支給車の方ですいませんね。君が連行されていると知り合いに思われたくなければその上着で顔を隠していた方が良いと思いますよ」


 私は運転席のヴィクトールの言うがまま彼の上着を被り直した。

 上着には彼の懐かしい匂いと、あの頃の彼には考えられなかったコロンの香りまで上着には残っていた。

 ウッディな香りの後にゼラニウムやムスクが香る。

 彼はもう十代の子供では無いのね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る