朝一番

いとま伽

ニワキング

 鶏の声が聞きたい。朝一番の、一際大きな鬨の声が聞きたい。

 誰にも忖度などしない、ご近所様の存在などお構いなしの、世界中に全身で「俺はここにいるぞ」と宣告しているいるような。

 あの声が聞きたい。


 仕事からの帰り道、ふとそんなことを思った。今日も今日とて仕事はストレスの連続だった。上司は理不尽であり、部下はいつものミスを重ね、大事な大事なお客様は謝罪の言葉を聞いて「分かりますよ、お互い大変ですね」とでも言いたげな同情の視線を向けるものの決して要求を曲げようとはしなかった。先月から繰り返される儀式にため息が漏れる。子供の頃に戻りたい。できるだけ小さい頃がいい。自由で無責任で、今この瞬間だけを考えていた。学校が終われば家に帰ってゲームをするか、でなければ外に出て虫やら鳥やらを追いかけ回していればそれでよかった……。と、子供時代を懐古しているうちに、小学生の頃に学校で飼っていた鶏を思い出した。


 私が通っていた小学校にはみっつの飼育小屋があった。ひとつは小鳥たち、ひとつは兎たち、そしてもうひとつは鶏を飼うための小屋だった。鯉や金魚を飼育するための小さな池もあったように思う。その鶏小屋に、他の鶏とは明らかに大きさの違う鶏がいた。他の鶏たちよりひと回りどころか三回りくらい大きな体躯で、立派なトサカとクチバシをもっており、子供ながらになんてふてぶてしい顔をしているのだと思った。当時流行っていたカードゲームに影響され「ニワキング」「キング」などと呼ばれていた。キングは常に偉そうでであり、自分が偉いのは当然だと思っているように見えた。飼育当番が餌を持ってくると一番に餌箱をつついたし、時によっては飼育当番から直接餌を奪っていた。常に飼育小屋の中の一番高い所に留まって小屋中を睥睨していた。前世は圧政を敷くどこかの王様だったに違いないと(かなりの信憑性で)噂され、一部の女子たちからは恐れられていた。

 ある日の授業中のことだった。中庭からとんでもない騒ぎ声が聞こえてきた。クラスのほぼ全員が中庭の方に顔を向け、窓際の席のクラスメイトは立ち上がって中庭を見下ろしていた。先生も最初は授業に集中しなさい、と注意していたが、なかなか騒ぎが収まらないので結局最後には何かぶつぶつ言いながら中庭を見ていた。その頃にはクラスの全員が窓際に集まり、声の出所を凝視していた。偶然窓際の席で、騒ぎが始まる前からぼんやりと中庭を見下ろしていた私は一部始終を見ていた。

 二番目に体の大きな鶏がキングのお気に入りの留まり木に登り、怒ったキングがそれをひどくつついたのが始まりだった。その後は小さい小屋の中で大乱闘。つつく、噛みつく、飛び上がって蹴飛ばすの応酬が繰り広げられ、一緒の小屋にいた二羽の雌も周りでパニックに陥っていた。ゴリセンと呼ばれる先生が止めに入るまで争いは続いたが、早々に戦意喪失した二番目をキングが一方的にリンチしているようにも見えた。キングは止めに入ったゴリセンにも喧嘩を挑もうとしたが、ゴリセンは相手にせず暴れる二番目を持ってきたケージになんとか押し込めて鶏小屋から出て行った。無視されて余計に怒ったキングは、ゴリセンが二番目を確保しようと手を焼く間、その背中を飛び上がっては蹴り飛び上がっては蹴りし続けた。

 後日、体育の授業の時間にゴリセンがキングに蹴られた背中を見せてくれた。うっすらと足跡がついており、夏の薄着の時期だったらもっと大変なことになっていただろうとおどかした。そして、二番目の鶏は別の小学校に移すことになったと言った。以前からキングと二番目の小競り合いが頻発していたため、元々どちらかを別の小学校に移そうという話があったらしい。この騒ぎは「キングの天下統一」として数年語り継がれ、キングを怖がる女子が増える一方で、キング自身は血の気の多い男子から筋骨隆々でコワモテの先生相手にも怯まない勇者として賛美を集めていた。天下統一の後から、キングはしょっちゅう鬨の声を上げるようになった。日中でも、夕方でも。時を問わず、起きている時間はしょっちゅう鳴いていた。私の自宅は小学校から近かったため、休みの日でもキングの声は聞こえた。コケコッコーと高らかに鳴く声は手に入れた自分の王国を自慢しているのか、こんな国では狭すぎると嘆いているのか、判断が難しかった。

 夏休みに入り、ラジオ体操のために普段より早起きするようになった。どうして休みなのに早起きしなきゃならないんだ、もっと寝させろとぶつくさ文句を言いながらも、なんだかんだで毎日ラジオ体操には参加した。ある日、一日中外で遊んで疲れに疲れ、気絶するように早めに眠りについた。翌朝かなり早い時間に目が覚めたが二度寝する気にもなれず、どうせ暇ならアサガオの観察日記でも書いてしまおうと起き上がった。服を着替え、クリップボードに観察ノートを挟み、鉛筆を持って玄関に向かった。サンダルを履いて玄関の扉を開けると外はまだ涼しく、空は明るくなり始めたばかりだった。人の気配もなく、静寂が聞こえるようだった。いつもとは違う雰囲気に無意識に息を潜めた。その時。

 コケコッコー!とキングの声が轟いた。一度で終わりかと思いきや、間髪入れず二度目、三度目のコケコッコーが続いた。シン……と静まり返った朝に、町に、世界に、それはそれはよく響いた。


 いつからあの声が聞こえなくなってしまったのか。中学生までは確かにキングの声が聞こえていたと思うのだが。キングの声だけでなく、隣町から聞こえた小さなコケコッコーもいつの間にか聞こえなくなってしまった。あの鶏たちはどこに行ってしまったのか。もう一度彼らの雄叫びが聞きたい。


 誰にも忖度などしない、ご近所様の存在などお構いなしの、世界中に全身で「俺はここにいるぞ」と宣告しているいるような。

 あの声が聞きたい。


挿絵:https://kakuyomu.jp/users/itomatogi/news/16817330666543073598

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