お師匠様に嫁ぎたい!

黒木メイ

お師匠様に嫁ぎたい!前編

 日の出頃、自然と目が覚めた。お布団の誘惑と闘い、何とか勝ってベッドを出る。少し肌寒さを感じて、腕を擦りながらリビングへ向かう。

 食卓の上には一人分の料理が昨晩のまま置いてあった。

 冷めてカチコチに固まっている料理は片付けて、新たに食事の支度を始める。

 お師匠様は少食だから、一品で沢山の栄養が取れるようにと具沢山のスープを作る。一応もう少し食べれそうな時用にパンとチーズも用意しておいた。


 時計を見ると食事の用意を始めてから半刻は経っている。さて、お師匠様はどこにいるのだろう。まずは、寝室をノックする。返事は無い。次に、調剤室をノックする。こちらも返事は無い。

 となると研究室に籠っているのか。諦めて先に朝食を済ませることにした。

 お師匠様には悪い癖がある。研究中はキリが良いところまで終わらないと部屋からでてはこないし、声をかけても気がつかない。

 だからいつもアリスはお師匠様が好きなタイミングで食べられるように食事の準備をしているのだ。


 まだ温かいスープをこくりと飲み込む。冷えていた身体が少しあったまった気がする。


「うん。今日も上出来」


 いつもと代わり映えしない味だが、お師匠様はこの味を気に入っているから問題無い。


 食べ終わるとアリスは洗濯物を持って外に出た。物干し竿に手際よくかけていく。

 今日は天気がいいからすぐに乾きそうだ。


 干し終わった洗濯物を見て、アリスはにんまりと笑って家の中へと戻った。

 次は掃除だ。お師匠様の部屋には入れないから、それ以外の部屋を掃除する。

 お師匠様が快適に暮らせるように綺麗にしなければ。


 一心不乱に床磨きをしていると玄関から声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に慌てて手を洗い、玄関へ向かう。

 見覚えのある短髪黒髪の長身男が勝手に玄関を開けて入ってきた。魔術師の中でも『賢者』の称号を持つ者のみに贈られる白いローブと銀のバッチをつけている。その姿を見て、思わず呆けてしまった。手紙で『賢者』になったことは知っていたけれど、実際にローブを身に纏っているところを見るのは初めてだ。

 ————意外と似合っている。きっと、お師匠様が見たら喜ぶだろうな。

 そんなことをぼんやりと考えていると黒髪の男ツヴァイが目の前に立った。


「よぉアリス! 相変わらずちっさいなお前」


 ポンポンと頭を叩かれ、ムッとしたアリスはその手を叩き落とした。


「久しぶりに会う妹弟子に失礼すぎじゃない? 何歳だと思ってるの。そっちこそ、また老けたんじゃない?」

「お前は永遠の十代だろ。そして俺はまだ三十代だ!」

「えーでもさー、なんかチラホラ白髪が……」


 これ言っていいのかな~とチロリと頭部へと視線を向けるとツヴァイが目を見開いて慌て始めた。


「はぁ?! 嘘だろおい?!」


 己の髪を引っ張ってどうにか確認しようとしているが、短髪なので見えるわけが無い。

 アリスがケラケラと笑っているのを見て、ツヴァイは自分がからかわれたのだと気がついた。こめかみの血管がピクピク動いている。


「おまえ……よくも嘘ついたなぁ?」

「べ、別に嘘じゃないよー」

「棒読みなんだよ!」


 追いかけるツヴァイと逃げ回るアリス。しばらくして満足したのかアリスは立ち止まった。ツヴァイは走り回ったせいで息を切らしている。アリスは可哀相なものを見る目でツヴァイを見た。


「やっぱり老化……」

「うるせー。こう見えて、俺は魔術師なの。肉体派じゃないの! 第一、お前だってもう二十八になるってぇのに何でそんなに体力あんだよ」

「それはまぁ……山育ちだから?」


 悪びれもなく首を傾げニヒヒと笑うアリスには未だ少女らしさが残っている。懐かしい表情に胸の奥がツキリと痛んだ。しかし、すぐにそれはただの古傷のようなものだと首を横に振る。


「というか、ツヴァイがここにくるなんて本当に久しぶりじゃん。いいの? 妊娠中の奥さん放っておいてこんなところに来て」

「仕方がないだろ。これも仕事なんだよ」

「仕事?」


 野良の薬師である自分に会いに来る仕事?


「今度城で第五王子の誕生会が開かれるんだ。それに俺のパートナーとして出て欲しい」

「え……なんで私が?!」

「いや、だって嫁さんは今臨月だから出れねぇし。今回はパートナー必須で俺は絶対に出ろって上から言われてんだよ。嫁さんもおまえならって言ってたし……」

「えぇー」

「美味いもんいっぱい食えるし。会場にはイケメンもいるかもしれねぇぞ?」

「いやいや、一介の薬師が貴族の方とどうこうなるわけないでしょ。……食べ物は魅力的だけど」

「一介の薬師っていうけど、おまえ王宮薬師の資格も持ってるじゃん」

「それは……お師匠様が取っておけって言ったから」

「……おまえ、いつまでこの家にいるつもりなんだよ」

「いつまでって……ずっとに決まってるじゃん」


 何馬鹿なこと言ってんのよと言外に匂わせれば、険しい顔をしたツヴァイに両肩を掴まれた。突然の痛みに顔を顰める。


「いい加減にしろよ」

「何がよ。痛いから放して」

「いつまで師匠の影を追ってんだよ。現実を見ろ! 師匠はもう十年も前に死んでんだよ!」


 放すどころか激しく揺さぶられ、アリスはたまらず振りほどいて距離をとった。


「わかってるわよ」

「わかってない! わかってないから、いつまでもこうやってここで暮らしてるんだろう?」


 お師匠様がいた時と同じように、食事を作って、洗濯をして、掃除をして……

 もしかしたらひょっこりと帰ってくるんじゃないかと毎日期待して……


「そんなことわかってるわよ! わかってるけど……私はここにいたいのよ。お願いだから私からお師匠様を奪わないでよ」


 込み上げた感情が涙になって零れ落ちていく。

 お師匠様がいなくなってから十年。

 減ることの無い料理。

 物音すら聞こえない研究室。

 いくら繕っても着てくれる人がいない衣類。

 お師匠様がいない現実を目の当たりにして何度も泣いた。

 それでもこの家を離れることができない。


「ごめん」


 ツヴァイの腕が背中に回る。慰めようとしてくれるのが温かい掌から伝わってきた。けれど、アリスはその手を拒んで離れた。

 いつか見たのと同じ、愁いを帯びた瞳とぶつかる。


「王子様の誕生会には行ってあげる。……だから、今日はもう帰ってくれる?」

「わかった……ごめん。また、改めて連絡する」

「うん」


 ツヴァイは気まずげに視線を逸らすと帰って行った。遠い記憶に残っているまだ半人前だった頃の兄弟子の背中と重なって見えた。




 ――――――――――




「え? おまえそれで行くの?」

「え? ダメ?」


 いつもの茶色のローブを着てクルリと回る。王宮薬師の資格を表すバッチは忘れずに胸元につけてある。


「いや、ダメだろ。今日は誕生祭だぞ?」

「でも、ドレスなんて持ってないし」

「はぁー……コレ持ってきて正解だったな」

「何コレ」


 ずい、と押し付けられた箱。ツヴァイに開けるように言われ、戸惑いながら開く。箱の中には淡いブルーのドレス。


「どうしたのコレ……」

「お前と参加することを伝えたら。陛下から渡された」

「え……色々ツッコみどころあるけど……とりあえずコレ着るしかないね」

「だろ……時間も無いし早く着替えてこいよ」

「うん」


 ドレスを持って浮かれた足取りで自室に向かうアリスの背中をツヴァイは苦笑しながら見送った。

 脳裏にいつかの記憶が蘇る。


『ねぇねぇお師匠様! お師匠様と私の目の色って似てるよね。というより一緒だよね!』

『そうだねぇ』

『はっ、似てるのは目の色だけだろうが』

『あー、ツヴァイが一人だけ仲間外れだからって拗ねてるー』

『ち、ちげぇよ! つーか、おまえ俺よりも五歳も年下のくせに生意気だぞ!』

『わー! 五歳も年上なのに大人気なーい』

『なんだと?! まてごるぁあ!』

『二人とも仲が良いねぇ』


『『良くない!』』



 ――――――――――



「ツヴァーイ! どう、これ……イケてる?」


 急に視界に入ってきたアリスに驚いて後ずさる。初めて見るアリスのドレス姿は抜けきれていなかった幼さを上手に隠して、一気に大人の女性へと変貌させていた。年相応になったアリスは知らない女性のようで戸惑う。


「お、おぅ。いいんじゃねぇの」

「ほんとに~? まぁ、いいか。よし、遅刻するわけにはいかないし早速行こう!」

「あ、あぁ」


 どんどん進んでいくアリスの腕を慌てて捕まえた。


「わ、と危なっ! もー何?」

「わりぃ。ていうか、どこに行くつもりだよ」

「どこって……馬に乗って城まで……て、あ」

「その格好じゃ無理だろ。アレ使うぞ」

「アレ……って。ツヴァイ使えるの?」

「俺を誰だと思ってんだ。現役賢者様だぞ」


 えっへんと踏ん反りかえるツヴァイ。昔からこういうとこあったよなーと白けた目を向ける。咳払いをして歩き出したツヴァイの後をついて研究室へと向かった。

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