アンナ・レイング(3)


アンナはその足で雑貨屋へ向かった。

日は暮れていたが、店の窓からは明るい光が漏れている。


いつものように雑貨屋の扉を開けるとカランと来店を知らせる鈴が鳴る。


カウンターへ目をやると珍しくケイトとドミニクが会話をしていた。


「あ、アンナさん!」


ケイトが気づいて声を上げる。

ドミニクは微笑んでみせた。


「ジョシュア君は?」


「二階よ」


ケイトが表情を暗くして答える。

その顔を見たアンナは何かあったのだとすぐに察した。


「病気か何かですか?」


「ええ。新しい流行病だそうで。熱が下がらなくてね」


そのままドミニクが続ける。


「薬を頼もうにも、この町の診療所では取り扱っていないものだと。自然に治癒するしかないみたいで」


「そんな……」


「医療品は領主に頼むしかないが、まぁ無理だろう」


「え?どうしてですか?」


「オーレル卿はこの店に無くなってほしいと思ってるからね。わざわざ、そこの住民を助けるようなマネはしないだろう」


「……」


この内容はオーレル卿から軽く聞いていた話と同じだろうと思った。

だが、出来事は重大なものだ。

アンナは次の日にオーレル卿に、この件を話すことを2人に約束して店を出た。


____________________



オーレル卿の書斎。

早朝でも、この男はソファにふんぞり返って酒を飲む。

どこまでもだらしがないことにアンナは眉を顰める。


「流行病?新型の?それは大変だな」


「ええ」


「だが、雑貨屋の息子なら……まぁどうなってもいいだろう」


「なんですって?」


「前にも言ったが、あそこには無くなってもらわないと困るからな」


「なぜですか?」


怪訝な表情のアンナ。

オーレル卿はその突き刺すような目を見て、ため息を漏らす。


「あそこに新しく宿を立てるんだよ。だから権利書が欲しいが、いつまで経っても譲ってもらえないのさ」


「なぜ、そんなことを」


「あそこは立地がいいだろ?あんな貧乏家族には勿体無い。……ああ、そうだ!その流行病の薬と権利書を交換ってのはどうだろう?」


「何を仰るのです……そんな非道な……」


「非道?それこそ何を言う。私の力を借りなければ薬は手に入らんだろうに」


「……失礼します」


アンナは振り向きドアノブに手をかけた。

そうでなければ、この男の首に手を回して締め殺してしまいそうな感情に駆られていたのだ。


「いつでも来るといい。君と話しているだけで、私は気分がいい」


「……」


すぐにアンナは書斎を出た。

オーレル卿の発言の意味は理解できた。

小さい存在が目の前にいるだけで、自分の力、大きさを再認識できる。

そういうシンプルな理由だろうと。

だから自分の妻に選んだのも"低波動の小娘"なのだろうと察しはついた。


その後、アンナは約束を守れなかったという気持ちから、雑貨屋から自然と足が遠のいた。


_________________



いつも通りの朝、いつも通りの調査、そして帰りもいつも通り。


部隊は先に帰っていた。

アンナは遅れて町へと戻る。


そして、この日に町で事件は起こっていた。


町が魔物に襲われたのだ。

アンナ達が帰ってくる少し前のことだそうだ。

被害はそこまで大きくなかったようだが、どうやら死人が出たと、先に帰っていた部隊のメンバーから報告を受けた。


"町の入り口に子供がいて、その魔物に近づくと、すぐに襲われて死んだ"


アンナは震え始めていた。

まさかと思った。

ジョシュアは流行病が長引いて体調を崩していると噂で聞いていた。

外に出るはずがない。


夜、アンナはすぐに雑貨屋に走ると店の扉を開ける。

カウンターには2人の姿があった。

ケイトは無表情で、ドミニクはそんなケイトの肩を摩る。


「まさか……」


2人はアンナに気づいた。

アンナを見る表情は暗い。


「ジョシュアは……?」


「……二階よ」


ケイトが力なく答える。

それだけで十分なほど状況が伝わった。

襲われて死んだのはジョシュアだったのだ。


ドミニクが続けて口を開く。


「君がここに来なくなったのを心配して、無理して出て行ったのだろう」


「そんな……」


アンナの目には涙があった。

一体、どうしてこうなってしまったのか、思考が全く追いつかない。


「あなたさえ来なければ……あなたさえ来なければこんなことになってないのよ!!」


「ケイトやめなさい」


「私は……すまない……」


アンナはそれだけ言って店を出る。

すっかり夜になっていた。

名残惜しそうに、アンナは振り向き店を見る。


店の窓からは光が漏れていたが、すぐにケイトが現れカーテンを閉める。

その時のケイトの視線はアンナを睨んでいるようだった。



とぼとぼと肩を落として町の暗がりを歩くアンナ。

まさか、この町自体が魔物に襲われるなど思ってもみなかった。

ずっと平和な毎日が続くと思っていたが、それを壊したのは自分がずっと調査していた魔物ではなかった。


"女性のような見た目の魔物"


町の入り口にいた住民が口を揃えて言っていたのだ。

人間のような見た目の魔物など聞いたことがない。


アンナは歩きながらも頭を押さえる。

頭痛が酷くなっていた。


そしてアンナは目の前に気配を感じた。

顔を上げて見ると、前から少女が歩いて来る。


どんな姿をしているのか目を細めて見るが、はっきりしない。

少女はアンナを見ることなく通り過ぎる。

その際、か細い声がした。


「やり直したいなら、いつでも声を掛けて」


ハッとして振り向く。

だが、そこには誰もいない。

アンナは幽霊でも見たのかと思った。


"あれが魔物かもしれない"そんな簡単な考えすらできないほど、アンナは追い詰められていたのだ。


__________________



次の日、オーレル卿の一声でギルドに魔物討伐の依頼が貼り出される。

そしてアンナは毎日のようにオーレル卿の元へ訪れては防衛の件の話をした。


しかし進展は無く、いつものように肩を落として街道を歩く。

すると夜にまた、あの少女の幽霊に出会った。


「どう?やり直したいと思わない?」


「……」


アンナは静かに頷く。

もう、この頃には彼女の心は限界だった。

この少女が何者なのかはわからない。

だが、今の状況が少しでもよくなるなら……そんな淡い期待から自然と頷いていた。


「ダメよ、ちゃんと声に出して言わなきゃ。伝わらないわ」


「……やり直したい」


「そう。それはよかった」


姿が見えづらい少女は笑ったように見える。

すると、貴族街の方から火の手が上がった。


騎士であるならばすぐに走ってでも向かわなければならない出来事だが、そんなものはどうでもよくなっていた。


「綺麗……あの時の夜みたい……」


アンナが発した言葉は、その一言だけ。

ただ、じっと瞬きもせずにその炎上を凝視する。


「そうでしょう。私もこの瞬間が一番好きなのよ」


また少女は笑った。

なぜだかはわからないがアンナはこの時の少女の声に"聞き覚え"があった。

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