第2話


「それでね、先生、さっき待合室におかしな人がいて……」


 高田光さん、43歳、男性。

 前任の医師が書いたカルテによると、この患者は、自分を30代の主婦だと思い込んでいる。

 初めは性同一性障害を疑っていたのだが、高田さんが自分を夫が単身赴任中の主婦だと言い始めたのは半年前だ。

 初診の時は、心配した母親に付き添われて来ていたらしいが、いつからか一人で来るようになった。

 高田さんの隣の家に住む田沼さんという婦人会の会長の話によると、島の北側にある山に心の病に効くキノコが生えているという伝説があるとかで、息子の為に一人で山に入り、そのまま帰らぬ人となったらしい。

 詳しい死因までは知らないが、捜索隊に発見された時にはもう息をしていなかったそうだ。


 高田さんは自分を30代の主婦だと思い込んでいる以外は、特になんの問題もない。

 本島の病院で色々と検査をしたがどこにも異常は見当たらないし、健康そのものだった。

 それでもこうして律儀に毎月通うのは、ここがこの島で唯一の診療所だから。

 本人的には、生理不順のため薬を処方して欲しいとのこと。

 高田さんのいう夫が、月末に一度帰ってくるそうで、二人目が欲しいのにと焦っている。

 二人目どころか、一人目だって産んでもいないのに。


 43歳の男性に、ピルの処方はできない。

 この患者は、おそらく解離性同一症————所謂、多重人格。

 高田さんの中に、30代の主婦の人格があるのだ。


「ずっとしか言わないんだって、そこにいもしない夫について話すんです。怖くないですか?」

「そうですね……」


 残念ながら、診療所の医師とはいえ、私は派遣だ。

 前任の先生が体調を崩され、それを機に医者をすっぱりやめてしまった為、半ば医院長に騙されてやってきた。

 専門は外科だ。

 それも、美容整形の。

 精神科でも心療内科でもない。


 専門医ではない為、軽い怪我や風邪などならこの小さな診療所でなんとかなるが、多重人格者の治療はできない。

 前任の先生も、何度か本島の精神科に行くよう紹介状を出しているのだが、実際に通院しているかどうかは不明である。


 今の高田さんの話が本当なら、高田さん以外にも精神科の治療が必要な患者が待合室にいるということ……

 見た目が20代と若いのに、話している内容が中年女性となると、同じく解離性同一症の可能性が高い。


「いつも通りお薬出しておきますね」


 なんとか高田さんの話を聞き流し、薬の処方箋を出すと言ってお帰りいただいた。

 もちろん、この43歳男性にピルは処方できないので、カルテに書かれている通りビタミン剤。

 肌荒れに効く。

 高田さんはそれが生理不順に効くと思い込んでいるが、彼に生理は絶対に来ない。


「次の方、どうぞ」


 そうして、高田さんの次に診察したのが、先ほど高田さんが言っていた通りのどう見ても20代、若くて10代の女性だった。

 田沼幸子さちこ

 若いのに古風な名前だと思い、年齢を欄を見て衝撃を受ける。

 50歳となっていた。

 そんなわけない。

 こんなに若い50歳がいるわけない。


「少々、お待ちくださいね……」


 慌てて、受付の滝沢さんに何かの間違いじゃないかと確認するが、本人がそう言ったそうだ。

 保険証もなく、身分を証明するものは何も持っていないのだが、とにかくお父さんの様子がおかしいから診て欲しいと、問診票に旦那の名前を書いて、本人との関係性は妻と書かれていた。

 もちろん、本人なんていない。

 旦那なんてそこにいない。

 しかし、彼女はそこに30年連れ添った夫がいるかのように振る舞い、今朝からしか言わなくなってしまったという。


 高田さんという解離性同一症の患者を何度も見ている為、きっと同じ病気だろうと、滝沢さんはカルテに仮名として書いたそうだ。

 患者本人の氏名欄に書かれた、おそらく夫であろう田沼たかしさんではなく、記入者の氏名欄に書かれた田沼幸子と。

 年齢は、本人が50歳だというので、そのまま書いたらしい。


 滝沢さんは生まれも育ちもこの島の住民だが、この女性を見たことは一度もなく、どこの誰かはわからないと言った。

 島唯一の看護師である多田さんも、同じだ。

 なぜか婦人会の会長と同じ名前なのが気になるとは言っていたが……

 幸子という名前は全国にごまんといる。

 ただの偶然だろうか?


「すみませーん、まだですかねぇ? 先生」


 診察室から、田沼幸子(仮)さんが呼んでいる。

 どうしたらいい、どうしたらいいかわからない。


「もう、お父さんがしか言わないから、先生困ってるじゃないの? しっかりしてくださいよ、お父さん」


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