第肆譚

生きる許可1

────────かみさま。


おねがいです。


おにいが、もうくるしまないですみますように。


どうか、らくになりますように。







─────ガシャーン!


派手な音が響いて、酒瓶は砕けた。机の角にぶつかり、破片と少量の中身が所々に飛び散る。


それを避ける為に屈んだノビルニオは、そのまま這うように母から遠ざかった。その後ろ姿を、母はゆらゆらと身体を揺らしながら追う。左手にもった酒瓶は、割れた所が歪なギザギザとなり、鋭い刃物のようになっていた。


ノビルニオは立ち上がって、出入口である扉へと駆けた。背後から、母の呟きが聞こえてくる。


「どうして私の言う事が聞けないの、ノビルニオ…? いつもいつもいつもいつも。言う事が聞けない子は要らないわ。死になさい、死んで、死になさい!」


ノビルニオは廊下へ出て、隣の部屋のドアノブの掴んで乱暴に扉を開いた。すぐさま中に入って扉を閉めると、開かないようにドアノブを堅く握り絞める。


この部屋は、書斎のようだった。


カーテンで閉ざされ、光をある程度遮り、埃が目に見える所から、長年誰も入っていないのが伺える。整頓された棚や机は、五年前まで父が使っていたものだと直感で悟った。


すると、ガチャガチャとドアノブを動かす音が鳴り出した。母が扉を開けようとしていて、ノビルニオはっと目を揺らす。それに抵抗して、ノビルニオは扉が開かないよう、全体重を掛けて扉を押さえた。


開けなさい、と母がヒステリックに叫ぶ。


抵抗を続けたものの、母の力は想像以上に強く、いとも簡単に扉を抉じ開けられた。扉に押されてバランスを崩したノビルニオは、数歩下がると床に手を付く。




「ノビルニオ……ノビルニオノビルニオノビルニオノビルニオ」




狂ったように、母は彼女の名前を呼ぶ。ゆらゆらと揺れるギザギザな酒瓶が、不気味にギラリと光る。


「…………い、や……」


ノビルニオは、床に座り込んだまま後退った。じりじりと距離を縮めてくる母同様、その分彼女が遠ざかる。


やがて、ノビルニオの背中が父の机にぶつかった。拍子にこつんと、机の上にあったらしい箱が落ちる。


もう、逃げられない。


彼女は咄嗟に、机に落ちたそれに手を伸ばした。


それは長方形の箱だった。


震えた手で蓋を開けると、その中には指揮棒が入っていた。父が死ぬ前まで使っていた物、父の形見だ。


こんな物では、太刀打ち出来ない。


絶望的な未来の想像に、顔が冷めていくのを感じた。しかし、何故か指揮棒を手放す事はしなかった。


そんな間にも、母は近付いてくる。


酒瓶を揺らし、ノビルニオとしきりに名前を呼んで。


そして母は彼女の目の前まで来ると、酒瓶を振り上げた。


「嫌──────ッ!」


ノビルニオは頭を守るように、両腕を頭上に翳した。


その時、彼女の左手の中指に嵌まった銀の指輪が、小さく瞬いた気がした。




「──────」




目を堅く閉じ、歯を食い縛っても、ノビルニオの身には何も起こらなかった。


そっと目を開くと、彼女の目の前に黒紫の球体が浮かんでいた。それはふよふよと不規則に上下していたが、彼女が握り締めていた指揮棒を動かすと、まるで操られているかのように移動した。突然現れた非現実な"異物"を、訳が判らず眺めていたノビルニオは、母の叫ぶ声で我に返った。


「ノビルニオ……ッ! あんた、よくも…………!」


母はふらふらと揺れながら、額を押さえいた。割ったのか、額を押さえる手の隙間から、赤い液体が滴り落ちている。ノビルニオは再び、その浮遊した球体と指揮棒を、呆然と見つめた。


おそらく"これ"が、ノビルニオが、何かやったのだ。


すると呻いていた母は怯まず、再度ノビルニオへと近付いてくる。正気を失った暗いがぎらついた瞳は、何故か悲しんでいるように見えた。




そして、酒瓶を振るう母の後ろから、黒い何かが踊り出た。







アリエッタ達は急いで都市を出て、以前通り過ぎた墓地へと向かった。まだ日が高いからか、昨日の墓地とは雰囲気が違う。其処に、黒い身体の魔物が姿を現していた。




『ムカエニキタ……』


『アタラシイナカマ……ムカエニキタ……』




それ等は数えると数十体おり、そして皆似たような姿をしていた。全身の肌は黒く、手と足だった場所は毛に覆われ、かぎ爪がある。口は裂けて中は異様に赤く、鋭い牙がその口から覗いていた。髪の色や長さはそれぞれで、大きさも大人や子供と様々だ。


"それ等"は全て、ユーニと同じ元人間のようだった。


その魔物達が、しきりにムカエニキタとざらついた声で唸っている。アクアは泡の粒子で銀槍を出現させると、魔物の群れに向かって構えた。そして冷静な、冷たいとも思える声で言う。


「アリエッタ、行くわよ。アストロは援護をお願い」


「…………本当に、やるの?」


「──────どうして?」


アリエッタが呟いた問いに、アクアは問い返す。アリエッタは躊躇うように、表情を陰らした。


「だってこいつらは皆、人間だったんだろ? なのに、殺すなんて……」


アクアは顔だけを動かして、アリエッタに気遣うような視線を投げ掛けた。


「悩んでいる暇は、ないわ。このままでは都市がこの魔物に襲われてしまう。だから倒すの。それでも嫌だと言うのなら、私だけで片付けるわ」


どうする? とその瑠璃色の瞳が問い掛ける。その美しい瞳を見つめ、アリエッタは暫く黙っていたが、両手に短剣を出現させた。


まだ迷いはある。けれど立ち止まる事の方が、アクアの為の事が出来ない方が、遥かに嫌だった。


「────やる。僕だって、やるよ」


それが合図だったかのように、魔物達が一斉に飛び掛かってきた。大きく口を開いて突っ込んできた一体を交し、爪で切り裂こうとした一体の爪を短剣で受け止める。その隙にもう片方の短剣でそれを切り裂くと、生々しい血が散った。


アクアは既に、数体の魔物を切り倒したようだ。血に塗れ動かない魔物は、まるで靄になったように透けて見えなくなる。次の瞬間、正面の一体と対峙しているアクアの背後から、もう一体の魔物が襲い掛かった。


「! アクア!」


思わず叫んでしまい、隙の出来たアリエッタにも、別の魔物が襲い掛かる。


しかしその魔物は、まるで何かにぶつかったかのように、弾き返された。


「何余所見してるのよ、バカアリエッタ!」


アストロが両手を前に突き出し、不可視の壁を作ったようだった。


「私は平気よ、アリエッタ」


水の障壁で周りの魔物を吹き飛ばし、アクアがこの場に似合わない笑顔を向ける。


「ほらっ、戦えないあたしの分まで、やっちゃいなさい!」


「────ごめんっ。ありがとう、アストロ!」


アストロの怒号に苦笑いして直ぐに引っ込め、アリエッタは対峙している魔物の首元を狙って短剣を振るった。魔物の首が切り裂かれ、鮮血が噴き出す。悲鳴を上げる事もなく、魔物は透けて消えていった。


その場に残ったのは、"D"の形をしたチャームだった。


アリエッタがそれに触れると、彼の指輪が小さく光り、チャームは消えてなくなる。




あっという間に、魔物は数を減らしていった。殆どアクアが片付けたのだろう、赤いペンキをぶちまけたような地面の中心に、彼女は立っていた。息を乱しもせず、身体を血で汚す事もなく悠然と立つアクアの姿は、違和感に包まれているようであり、不気味であり、美しかった。


残り最後となった魔物は、アリエッタ達に攻撃を仕掛けてこなかった。女性だったのだろうか、痩せっぽちの魔物は、アリエッタ達に頭を垂れた。


まるで、止めを刺せと言わんばかりに。


アクアは静かに"彼女"に近付いて行き、槍を凪いだ。透けるように消えた所に残ったのは、"X"の形のチャームだけだった。


アリエッタは何処か虚しさを覚え、形容の出来ない表情でアクアがチャームを拾うのを見つめていた。







突然の侵入者は、ノビルニオの母に飛び掛かった。


その喉笛に喰い付く。


「ぎゃあっ!」


短い悲鳴と共に、濡れた音が鳴った。母は首から血を噴き出し、その場にばたんと倒れ伏した。


その光景を、ノビルニオは唖然として見つめていた。倒れた母を中心に、床に血が広がっていく。彼女は暫く身体を痙攣させていたが、ふいに動かなくなった。その首元に顔を埋めていた侵入者は、ゆっくりと頭を持ち上げる。


肌は全身真っ黒で、両手足はまるで獣のそれのよう。痩せ細った四肢に、ぼさぼさの黒灰の髪。


そして理性を失った、碧色の瞳。




「………………ユーニ?」




墨色の目を見開いて、ノビルニオは問い掛けるように呟いた。侵入者が、それに応えるかのように、こちらを向く。


「……………………ゆびわ」


侵入者、魔物と化したユーニは、ノイズ掛かった掠れた声で言った。動けないでいる彼女に一歩、近づく。


「…………ゆびわを、よこせ!」


次の瞬間、ユーニは吠えながらノビルニオに飛び掛かった。彼女ははっとして、咄嗟に身体を捻り床に転がる。父の机が大破する音が鳴り響いた。ノビルニオは次に立ち上がり、その表情を歪ませた。


「ユーニ! わたしよ、ノビルニオよ! ユーニ、万能薬があるの、これで治るから────」


ユーニは彼女の声が聞こえていないのか、再び彼女に飛び掛かった。棚が壊れる音が響く。


「ユーニ!」


今にも泣きそうな、痛そうな表情で、ノビルニオは言う。




そこに。




「─────────おにい?」




震える、少年の声が重なった。ノビルニオの視線の先、部屋の開きっぱなしの扉の前に、白灰の髪の幼い少年の姿がある。


「ムート!?」


ノビルニオがぎょっとして叫ぶ。


何故彼が此処にいるのか。


しかしそんな疑問は直ぐに、消え去った。


ユーニがムートの声に反応し、扉の方へ顔を向けたからだ。そして標的を変えたようで、少年の方へ駆けていってしまう。


ムートを、殺すつもりなのか。


彼女の、母のように。


「───ッ!? 駄目っ!」


この後からは、無意識に身体が動いた。まるでノビルニオの感情を表すかのように、黒紫の球体は鋭い杭の形に変化した。それがいくつも空中に現れ、彼女の周りに浮遊する。


そして、彼女は指揮棒を振るった。ムートを襲おうとしている魔物に、ユーニに、向かって。


黒紫の杭はユーニを狙い、矢のように飛んでいった。杭はユーニの腕や足、背中に突き刺さり、ユーニは短い悲鳴を上げる。それでも尚身体を動かすユーニのうなじを、最後の杭が貫いた。


その反動で、ユーニは床に叩き付けられるように転がった。音にすらならない声が、血と一緒にその口から漏れる。


「おにい…………!」


立ち尽くしていたムートは、倒れたユーニの元へ駆け寄った。顔色を真っ青にし、小さく身体を震わせながら、それでもムートは兄の隣へ来てしゃがみ込む。すると、呼吸も儘ならない、魔物のユーニは、自分の弟の方へ首を動かした。


その瞳から、黒い血の涙を流しながら。




「─────ありが……とう…………」




最期に、聞こえるか聞こえないかという小さな声で、ユーニは呟いた。そして、身体が靄のように霞んで消えていく。其処に残ったのは、"A"の形をした銀色の小さなチャームだけだった。







「…………………………」


沈黙が、辺りを包んだ。


何が起きたのか、ノビルニオは未だに理解出来ないでいた。自らの手に持った指揮棒を眺めると、次に床に転がる母の死体を眺める。漸く理解した事は、たった5年の間に自分は家族を全員失った、という事だった。


その事実に、彼女は怒りも悲しみもしなかった。


ただただ、虚しかった。


虚しさだけが、彼女の胸を覆い尽した。


今までの努力や感情、思い出全てが滑り落ち、崩れていくような感覚はしかし、暫くすると治まっていった。


5年間で家族を全員失ったのは、目の前のムートも同じだ。




ユーニは、死んだ。


ノビルニオが、殺した。




「………………ムー、ト……」


ノビルニオはふらふらと、しゃがみ込んだまま動かないムートに近付いた。幼い少年の碧の瞳は何処も映しておらず、宙を彷徨っている。


「ムートも、わたしも、独りになっちゃった、ね…………」


ノビルニオは、無理矢理に口元を歪めた。精一杯笑顔を作ろうとしても、それは叶わなかった。


視界が涙で滲む。


ノビルニオは少年の元に辿り着くと、その小さな身体を腕で包んだ。


「わたしが……っ! わたしが、殺したの! あなたの兄を! 救えなかった……ごめんね、ごめんねえ……!」


頬に涙を溢しながら、ノビルニオは叫んだ。きつく抱き締めても、ムートは抵抗せず、されるがままになっていた。その感情の全てを、言葉にする事など出来なかった。いくら勉学に励もうと、それを表す為には自分の声は軽すぎた。


何もかも、足りなかった。


何もかも、遅かった。




何もかもが駄目だった。




「───────おにいは」


するとぽつりと、ムートは呟いた。ずっと握り締めていた金の指輪を見つめながら、虚ろな瞳に僅かな涙を浮かべて。


「おにいは……ありがとうって、いった…………」


ノビルニオは、赤くなった目を見開いて、ムートを見つめた。ムートはしゃくりをあげながら、涙を次々に落下させていく。


「ありがとうって……。おにいはもう、くるしまないですむんだ。らくになったんだ。おれの、おれのねがいは、かなったんだ…………!」


そしてムートは、ノビルニオを見上げて、泣きながらも、くしゃりと笑った。


その顔は、何故か晴れ晴れとして見えた。


「ねえちゃん、おにいをすくってくれて、ありがとう……! ありがとう…………!」


そして大声で泣き出したムートをノビルニオは暫く呆然と見つめていた。暫くして彼女は泣き腫らした目を閉じて、ムートの背中を優しく撫で始めた。


仄かな光に照らされている部屋の中。


少年の言葉は、彼女の空っぽになった心をじんわりと満たすように、温かく染み渡った。







「…………どうして最後の魔物は、アクアに大人しく倒されたんだろう」


都市に戻る途中、ぽつりと洩らしたアリエッタの疑問に、アクアは瑠璃の目を伏せて答えた。


「本当の姿は人間だったのだもの。人にとって魔物の暮らしや思考は、とても苦しくて辛かったんだわ。だから、早く楽になりたかった。少しだけ残った理性が、そう思ったのよ」


暴れて人を襲うより、停止を望んだ。


生より、死を望んだ。


「────死が人を救うって事?」


アストロがやるせないような、理解不能だという表情で呟いた。アリエッタは勿論、アクアも口を開かない。それはまるで肯定を表しているようだったが、アストロは未だに顔をしかめている。


重い沈黙が、三人の間に流れた。


暫くして、アリエッタが思い出したかのようにはっと顔を上げた。


「そういえば、ユーニはどうなった!?」


それまで忘れていたというように、アクアとアストロも表情を堅くする。


三人は駆け足でシュタットへ向かった。


墓地から都市へ行く道は、それ程長くはない。入り口を入り、すぐ傍にある商店街を走っていると、見覚えのある二人を見つける。


「ムート、ノビルニオ!」


アリエッタが呼べば、手を繋いでいる二人の少年て女性はこちらに気付き、歩み寄って来た。二人共泣き腫らしたのか、目が充血している。


「貴方達、ユーニは見ていない?」


アクアが問えば女性、ノビルニオは「見たわ」と答えると、淡く微笑んだ。見たと言って冷静でいる意図や微笑の意味が判らず、三人はきょとんと呆ける。するとノビルニオと手を離したムートがアリエッタに近付き、もう片方の手に握っていた金の指輪を、見せ付けるように持ち上げた。


「みどりあたま」


「アリエッタ、ね。何?」


「ゆびわにねがったこと、かなった。おまえのおかげだ」


その科白に、アリエッタは顔を輝かせた。


「じゃあ、ユーニは助かったんだね!」


「おにいは、しんだ」


「は…………?」


アストロが、意味が判らず眉を寄せる。対するムートは清々しく、赤くなった目を細めて笑った。


「でも、これでよかったんだ」


どういう意味なのかと難しい顔をする三人に、ムートとノビルニオは再び笑い掛けた。


────死が人を救う


先程の言葉を思い出し、アリエッタは段々と、何となく、自分なりの理解をする事が出来た。


ユーニは、救われたのだ。


その事は確かだと、ムートの笑顔を見て思った。







そして、次の日の朝。


「おまえらが異端者だってことは、だれにも、くちがまっぷたつになったっていわないぞ! はかばまでいっしょにもってくんだ!」


そんなムートの元気な声と共に、アリエッタ達はムートの家を後にした。ユーニによって壁に穴が空いた少年の家は、住めるだろうが危険だと指摘したが、ムートは頑固としてこの家を出るとは言わなかった。


この家が全てだと、宝物なのだとムートは笑った。


しかし、昨日の騒ぎで心配したらしい老夫婦が、家が直るまでムートを引き取る事となり、全ては解決したようだ。


馬車の前で荷物を纏めながら、アクアは柔らかく苦笑した。


何故ならば、


「さあ、アリエッタ、アストロ? わたしの事は気軽に"お姉ちゃん"って呼んで構わないのよ! てか呼んで! さあ、さあさあさあ!」


としきりに二人の少年少女に言い聞かせているノビルニオの姿があるからだ。アストロがげんなりとした朱い目で、にこにこと笑っている彼女を見つめる。


「喋ってないで準備手伝いなさいよ、ノビルニオ」


アリエッタはどういう反応をすれば良いのか、困っている様子だ。ノビルニオは、わざとらしく傷付いたような顔をした。


「酷い! ちゃんと手伝ってるのに! それとお姉ちゃんって呼んで!」


「あんた、しつこいわね……」


よよよと泣き真似をするノビルニオの腰には、細く短い剣を刺す鞘のような物がある。その中に収まっている物に気付いて、アリエッタは彼女に訊ねた。


「ノビルニオ、それ、剣?」


するとノビルニオは顔を上ると、鞘からそれを取り出した。それは何の飾りもなく、鍔もない、ただの細い棒だった。棒を見つめ、彼女は甘い声で答える。


「これはね、指揮棒なの。わたしの武器よ」


「武器?」


「そう」


ノビルニオは微笑み、指揮をするように腕を振ってみせる。その姿は音楽とは無縁のアリエッタにも、様になっているように見えた。


アリエッタは感心すると、アクアの方へ視線を移した。


「アクア、次は何処に行く予定?」


「そうね…………」


しかしアクアの声は、突然の騒ぎ声に掻き消される。


「何よ、いきなり…………?」


アストロが辺りを見回す。此処周辺の空気が張り詰めているのが判り、緊張が走る。周りの人々の好奇と緊張の混ざった視線は、ある一点に集まっていた。其処には、黒いフードを被った人の集団が広場の前に立っている。


「あれは────グレイプニル……!」


アクアが険しい顔で、アリエッタ達の目を諭すように見回した。


逃げるわよ、と。


「…………まって、ちょっとまって」


するとノビルニオが、震える声で言った。目を見開いて、フードの集団を見つめている。


そして突然、集団の方へ駆け出した。


「ノビルニオ!」


アクアの静止の声も聞かない。


そしてアリエッタ達も漸く気付いた。


黒いフードの集団の中心。


其処に、見知った白灰の頭がある事に。


「ムート!」


ノビルニオが叫ぶと、白灰の髪の小さな少年は、驚いたようにこちらを振り返った。ノビルニオと、彼女の後を追って来たアリエッタ達に気付くと、慌てた声で言う。


「おまえら!? こっちにくるな!」


その声に反応したかのように、黒いフードの人々がアリエッタ達を取り囲んだ。フードの人は個人でライフルや剣を手にしており、それを彼等に構えている。


すると、くつくつと控え目な笑い声が聞こえてきた。


ムートの隣に一人だけ、アリエッタ達意外にフードを被っていない人物がいる。




長身の男だった。


バーテンダーのような服に身を包み、癖のある黒髪を一つに纏め、肩に垂らしている。


その左腕には、黒い腕章が付いている。


十字のもように、"G"の文字。


厳しい表情をするアクアと、僅かに焦りの表情を浮かべるアリエッタとアストロとノビルニオを、男は見つめている。


「────やあ、異端者の君達?」


そして男はその深緑の瞳を細めると、にやりと不敵に笑った。

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