10
「あなた、何をしたの?」
「えっ。」
てっきり褒められるか危ないでしょと怒られることを想像していた僕は拍子抜けして間抜けな声を出してしまった。アネモスの目は何か不吉なものを見てしまった時のように存在を疑うようなものだった。ああ、この感覚知っている。人って自分が理解できないものに直面した時ってこういう表情とか態度をとるんだった。この世界に来てからはこんなことなかったから忘れかけていた。
「えっと、僕ね。お母さんを驚かしたいから大きい風を出したいと思って。頑張ったの。そうしたらこれが出ちゃって‥。ごめんなさい。もうしません。」
伏せ目で語尾が消え入りそうに答える。地面が涙で滲んでよく見えない。この涙や言葉は演技じゃない。僕の本心だった。ごめんなさい、僕を嫌いにならないで、見捨てないで、いなくならないで。
「‥。」
ダメか。僕はそう思った。そりゃ、一歳の息子がいきなりこんな大技を出したのだから。それも無詠唱で。ああ、もうこの家から出て行かなくちゃいけなくなるのかな。そうなったら生きていけないだろうな。フレユールが助けてくれるとは思えないから、最悪野垂れ死か。せっかく転生したのにな‥、今回は上手に生きれると思ったのに。
「すごいじゃない!」
「え。」
僕は顔を上げる。そこには笑顔のアネモスがいて、僕を抱きしめてくれた。強く。
彼女の腕の中は暖かくて優しかった。何が起こったのかわからない。情報が溢れて処理できず頭がパンクしてしまいそうだ。
「こんな魔法、風属性の私でも出せないわよ。これって、暴風雨(デッドストリーム)クラスよ。本当にあなたは天才だわ!あなたは風属性の素質があるかもしれないわね。」
僕は彼女の腕の中で問う。
「怒らないの?」
アネモスが腕をほどき、僕の目線にまで体を屈めて答える。
「どうして怒らないといけないの?むしろこんな息子の母親であることをみんなに自慢したいくらいよ。しかも少し雨混じりでしょ。ということは水属性の魔法も使っていたということだわ。二属性を同時に操るなんて高等魔法、できる人なんて本当に少数よ。これは、一大事だわ。」
言われて気づいた。僕とアネモスの体が濡れていることに。いや、この付近全体がまるで大雨の後のように水たまりができていたりり草木から雫が垂れている。そうか、台風を想像したから雨まじりの風柱が出たのか。
(ふふ。君は本当に素晴らしいね。火、水、風全てに特性があり、どれも同じようにそこそこのレベル、しかも二属性使いとは。これは他の属性にも期待できそうだ。今日はもう休んでいいよ。彼女とよく話しなさい。彼女は君が思っているほど残念でもつまらない人間でもないよ。)
(ああ。知っているよ。)
家に戻り、風呂に入って服を着替えてアネモスが用意してくれたホットミルクを飲んだ。少し砂糖が入っているのか甘味を感じる。アネモスが向かいに座る。風呂から出て濡れている彼女は幼児から見ても艶やかだった。いや、僕の中身は女子中学生なのだが。
「あなた、他にも魔法が使えるんでしょ。」
見透かされている。誤魔化しても仕方がないと思い正直に答える。
「うん。火と水を少し。勝手にしてごめんなさい。」
「この前、庭が水浸しだったのもあなたのせいでしょ。あの時はてっきり蛇口にいたずらしたものだと思っていたけど、あなたが出したのね。」
「はい。」
「そう。他の土、光もしくは闇は試したの?」
「ううん。まだ。」
「そう。」
アネモスは少し考えていた。それから何か決心したように頷く。
「土属性はザハルに教えてもらいなさい。土属性の魔法はその属性に適性のある人に教えてもらうのが一番だから。でも、困ったわ。」
「?」
「光と闇よ。これは人によってどっちかわからないわ。もし、光属性でも私たちが教えるのでは不十分だし、闇属性なら尚更。全く手が出せない。そうね、最後の一つはあの人に教えてもらいましょう。」
あの人?誰のことだろうと考えていると玄関のドアが開いた。
「ただいまー!お、二人ともお揃いで。エルヴィス、いい子にしてたかー?」
何も知らないザハルが呑気に帰ってきた。
「お帰りなさい。ちょうとよかったわ。あなたにお願いがあるの。ザハル、明日おやすみでしょ。エルヴィスに土属性の魔法を教えてくれない?」
ザハルはいきなり言われて面食らったらしく目を見開いた。
「なんだって急にそういうことに?第一、エルヴィスはまだ一歳だろう。魔法を使うにはまだ早すぎる。もう少し大きくなってからだなあ‥。」
「この子、今日デッドストリーム級の高等魔法を使ったのよ。」
アネモスがザハルの言葉を遮った。
「嘘だろう。まさか。あれは君でも無理だろう。」
「ええ。でもエルヴィスはできた。この子は天才よ。そして本人が一番魔法を使いたいと願っている。しない理由はないわ。」
「他にも使えるのか?」
ザハルが真剣な表情になった。アネモスの態度から冗談でないと分かったのだろう。
「本人が言うには水と火も使えるそうよ。水と風は二属性同時に使うことができたわ。」
「まさか。それって帝従軍レベルの高等魔法だぞ。」
「そうなの。だから土属性はあなたにお願いするわ。でも光と闇は私たちでは無理。そこで光属性の魔法はあの人に‥。」
「それって‥。」
「かつて帝従軍に所属し光属性。講師として不足はないはず。そしてあの人なら闇属性も少しなら教えてくれるかもしれない。」
「そうだな。それなら分かった。エルヴィスのためだ。明日、聞いてみるよ。」
「お願いね。」
どうやらとんとん拍子で決まったらしい。僕が口をだす暇さえ与えられなかった。それから両親がゆっくりと僕の方を見る。
「エルヴィス。君はまだ幼い。魔法以外にも学ぶことはたくさんあるし、いっぱい遊んで食べて大きくならなくちゃならない。それはわかるね?」
ザハルが僕に語りかける。幼児である僕でも理解できるように言葉を慎重に選んでくれているのが分かった。
「はい。お父さん。」
「いい子だ。そこでだ、他の楽しいことがあっても、君は今魔法がしたいのかい。」
「はい。僕、魔法を使っている時が一番楽しいです。色々な魔法を使うのは面白いし、段々強くなるのもワクワクします。あと、魔法を使っている時はまるで自分が別人みたいに感じるんです。」
「別人?それはどういうことなの。」
アネモスが不思議そうな顔で僕の顔を覗き込む。しまった、そりゃ転生前の記憶があるんだから中身は別人だ。
「ええと‥。多分熱中していているからだと思います。周りが見えなくなるというか‥。はは、ちょっと表現が難しいな。」
「そう。それなら良いけれど。もし何かおかしなことがあったらすぐに教えてね。ただでさえあなたは他の子達と違うんだから。」
「おい、アネモス。それは言い過ぎだ。この子は普通だ。少し頭が良くて、成長がその辺の子達よりも少し早くて、魔法が少し使えるだけのただの子供だよ。それと俺たちの大切な子供なんだからな。」
「ええ。そうね。私たちがこの子のことを信じてあげないと。」
「分かってくれたら良いんだ。エルヴィス。」
「はい。」
「明日は土属性の魔法を教える。不安だろうが大丈夫。君ならできる。俺は信じている。それから光属性はある人から教えてもらう。またその時がくれば会わせる、いいね。」
「はい。頑張ります。」
ザハルは少し恥ずかしそうに頭を掻きながら下を向く。
「その敬語、なんか、こうむず痒くなるな。もういつもの話し方でいいよ。」
「うん。分かった。ありがとう、お父さん。」
「ああ。よし!ご飯にしようか!アネモス、夕食はなんだい?」
ザハルは切り替えるように明るい声でアネモスに話しかけた。
「まだ用意できてないわよ。あなたも手伝ってくれたら早く食べられるわよ。」
「エルヴィス!お父さんと一緒にお母さんを手伝おう。俺、もう腹が減って死にそうなんだ。」
「もちろん。お父さんが死んじゃったら嫌だからね。お母さん、何をすればいいの?」
「じゃあね‥。」
その日、僕は初めてスープを飲んだ。多分、離乳食というものなんだろう。僕はあの日のスープの味を一生忘れないだろう。家族三人、仲良く食卓を囲んで同じスープを飲んだ。具材を全て潰してドロドロで味も薄いものだったけれど、僕にとってはとてもご馳走だった。最後の晩餐を選べと言われたら、多分僕はあのスープと答えるだろう。
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