第23話――救出

 

 目の前は真っ暗だ。


 何も見えない。


 音はない。


 いや……。


 音というより鼓膜こまくに突き刺さるような音波といっていいのだろうか。


 そのおかげで他の物音を全く感知することができない。


 そして、だ。


 暗闇の中で、八郎は自分が異様に細かく震動しているのを感じ取っていた。

 そばには他の者達もいるはずだった。

 でも、音波のせいで、悲鳴や叫び声などは全く聞こえない。

 本来なら絶対にあるはずだ。

 これだけの震動なら。


 八郎は階段にしがみついていた。


「あ」


 が、次の瞬間、自分自身がそこから転がり落ちたのがはっきりとわかった。

 誰かとぶつかったのを感じたが、その悲鳴も自分の呻き声も聞こえない。

 だから、ぶつかったのが男性なのか女性なのかもわからなかった。


 全身が階段の突起にこすれるような痛みを感じたが、思った以上に転がる時間は短く、自身の体がフロアに着地したのを実感した。


(いっつ……)

 

 痛みは収まらないが、徐々に音波が弱まって行くのを感じた。

 と同時に、まるで耳の中に詰まった異物がゆっくりと取り除かれていく様に、周囲にいる人々の声が、徐々に大きくなっていった。


「――起こったの?」


 女性の声だ。

 これは確か、金髪の女性……いや、スーツの方か?

 他の者達のざわめきも。


「耳なりが……」


「頭が痛い」


「……本当に、やりやがった……」


 八郎は最後に聞こえた声に反応した。


(ん? 今のは……白人男性の声?)


 すると、


「ピンポーン、パンポーン」

 

 大広間で最初に聞いた業務用の様な呼び出し音が聞こえると、あちらこちらからランダムにスイッチが入るように明かりが照らされ始めた。

 急な蛍光灯らしき光に思わず目を細める。


 八郎は辺りを見回した。


 今、自分が転がり落ちて来ただろう階段が天井まで続いている。

 三メートルもなさそうだが、打ち所が悪ければ大怪我でもしそうな高さだ。


(……ここは……何だ?)


 まるで、まだ借り手がついてないテナントの一室のごとく、何も置かれていない無機質なグレーのリノリウムの地面が四方に広がっている。

 その床の上に、避難したばかりの数十名の者達が身を寄せ合う様に、頭を低くしていた。


 一番最初に目があったのは、数メートル先で膝をついていたマスク姿で黄色ジャンパーの下にグレーパーカーを着たあの女性だった。

 痛そうに腕を押さえている所を見ると、さっきぶつかったのは彼女なのだろうか。

 大広間にいた時のような澄ました雰囲気ではなく、大きく目を見開いている姿はマスクをしていても明らかに動揺しているとわかった。


『無事に避難された皆さん。お疲れ様です』


 どこにあるのかわからないスピーカーから、また穏やかな音楽が流れてきた。


 弥玻荃やはうえのかしこまった啓示の声が頭上から響いてきた。


『そして、避難できなかった方々の、


 その場に佇む全員が茫然とする。


「何……冥福って?」


 目を大きく見開いたままのスーツ姿の恵梨香えりかが零すように呟いた。

 すると、あたかもその疑問に答えるかのごとく、は言った。


『某国がミサイルを発射し、


 それまで、ちらばるように聞こえていた動揺の声が一気に消え失せ、フロア全体が静まりかえる。


 優しく、かつ無情な弥玻荃やはうえの声がさらに聞き取りやすくなった。


『最初に私は申し上げました。世紀末はと。今まさに、つい先ほどが実行されたのです』


 その場にいた全員が、まだ話を受け止められていない様子で、口を開けたままの者もいれば、しきりにまばたきを繰り返すだけの者もいる。


『もう時間に猶予はありません。いち早くこの中から救世主メシアを選出し、世界を救わなければ』


「……ふっ」


 その微声で多く者が振り返る。

 視線の先にいた長髪の銀ジャンパーの男が口を開いた。


「ヒトガタとかいう化け物の次は、核戦争? どこまで、人をコケにすれば気が済むんだ?」


 すると、彼のすぐ傍にいたネイビー色のジャンパー男が無表情のまま、あたかも弥玻荃やはうえのナレーションの補足をするように言った。


「ヒトガタが地上に現れる意味には、があります」


 話に割り込まれた長髪の表情が険しくなる。しかし、ネイビージャンパーの男は気にもしない様子で解説を続けた。


「さっきも言いましたが、彼らが優れているのは第六感、人間の潜在意識レベルまでのを察知し、素早くその海底から脱出し、自身の身を守ることができる。つまり、さっき私達の目の前に現れたのは、だったということです」


「黙れ!」


 堪えきれないように、長髪の男が激昂してネイビージャンパーの胸倉を掴んだ。


「最初から胡散臭い奴だと思ってた! そもそも、あんたは何でいろいろと知ってる? あの鍵の件だってそうだ! 奴らとグルなんじゃないのか? そして、お前もだ!」


 そう言うと、白人男性の方を向いた。不意に非難の目を向けられたキャップ姿の彼は大きく目を見開いた。


「そうそう。俺達を避難させたのも、ゲームに強制的に参加させるためなんだろ?」


 長髪とともにいたパンチパーマの大柄な男が追随するように声を上げた。


「……違う」


 その声で全員が振り返ると、八郎はちろうが地上にいた時と同じように項垂れたまま地面に両手をついていた。


「何が違うんだ?」


 長髪男の眉間の皺がさらに深くなる。

 八郎は呼吸を整えるようにを置くと、言った。


「……俺は見た……」


「見たって何を?」


 まだ耳鳴りが残っているのか。長髪男の前で両膝をついたままの恵梨香えりかも訝しげに問いかける。

 八郎は深く目を瞑ると、唾を呑み込み、ゆっくりと恵梨香の方を向いた。

 そして、その肩越しに長髪男の方に視線を送った。


「……外へ逃げた銀ジャンパー……二人の体が……


 その言い回しに、全員の動きが止まる。


「……崩れる?」


 パンチパーマの大男が意味がわからないように問い返す。


「……ああ。崩れた。まるで、砂の像が吹き飛ばされるかのごとく……」


「……何だと?」


 八郎はもう一度唾を呑み込んで、言った。


「避難しなかったら、間違いなく全員死んでた。


「そんなわけねぇだろ! てめぇもグルか!」


 長髪男がネイビージャンパーを突き放すと、両膝をついている八郎の元へ近づこうとした。

 すると、


『まだ、お気づきになられないご様子ですね。あなた達は監禁されたのではなく、されたのです。


 頭上から天の声が彼を制止した。


『後ろを振り返ってください』


 思わず全員がいざなわれるように背後に顔を向けた。

 突き当たりに真っ白なスクリーンが目に入った。


『今から流す映像は、日本です』


 何かの映像が投影された。


『まずは東京、ここにスカイツリーがありました』


 見ている全員が目を丸くしたままだ。


 無理もない。


 今、目にしているのは真っ白になっただけなのだから。


 抑揚はそのままで弥玻荃やはうえのナレーションは続く。

 

『そして、これは大阪。今映っているのは道頓堀どうとんぼりで、よく阪神ファンが飛び込んでいた川がはありました。現在は、が』


 案内通り、川らしきものは全く見当たらない。さきほどの映像と違う点は、わずかに地面が凹んでいる箇所が見られた点だろうか。それを指して川の跡と言っているのだろうか。


『これは、古都、京都。清水の寺です。毎年、年間五百万人を越える外国人旅行者が訪れていました。は』


 寺? さきほどの更地と、一体何がどう違うのか?


『名古屋。バン〇リンドームがあった場所です。今はもう選手も球場も存在しません』


 無意味で空虚な、且つ、どれも似通った画像つきの解説は尚も続く。


『伊勢。日本の最結界の一つである伊勢神宮が突破されてしまいました』


「ふ……ふははは!」


 アナウンスを途中で遮るように、突然、長髪男が高らかな哄笑を上げた。


「やっぱりな! どこもかしこも同じ風景じゃねェか! ただの使い回しの映像に決まってる――」


 即座に話に蓋をするような弥玻荃やはうえの声が覆い被さる。


『ええ。どこもかしこもです。今回使われたのは、を上回るさらにそのの威力を誇る水素爆弾なのですから』


(ツアーリボンバ……)


 床に佇んでいた恵梨香えりかは思わず息を呑む。


 世界で最も破壊力があるといわれる核爆弾の名称だ。


「なぜ、日本が攻撃されたの?」


 その声で、恵梨香えりかは我に返るように横を向いた。

 すぐ隣で同じく膝をついていたマスク姿のグレーパーカーの女性が問い掛けるような表情で頭上を見つめている。

 彼女は尚も目に見えないに問いかけた。


「何の前触れもなしに、そんな終末兵器を、何処の国も使うはずがない」


 少しのの後、弥玻荃やはうえは答えを返してきた。


『問題は日本国にあるのではありません』


「……どういうこと?」


『あなたたちもご覧になったはずです。を。彼らが、緊急措置として某国が核を放ったのです』


 あまりに想定外過ぎるの答えだったのか。

 何を言っているのかわかっていないだけなのか。

 他の者はまだ言葉を発せない。


 パーカー女性は眉をひそめながら、全員の気持ちを代弁するように言葉を投げかけた。

 

「……わかるように一から説明を」


 隣りにいた恵梨香えりかの視線が、冷静に質問を繰り出す彼女と頭上との双方で行き来する。

 恵梨香とは反対側の隣にいたプードルヘアの男も、急に喋り始めたマスク姿の女性の横顔をマジマジと眺めている。


『ヒトガタが上陸すれば、世界はいずれ淘汰されます。人類は彼らの足元には到底及びません。AIが人類を越えるなどと議論されていますが、その事に比べれば取るに足らない事案です』


 じっとパーカー女性の顔を見つめていたプードルヘアが、ようやくその視線を頭上へと逸らし、今度は彼が質問をした。


「……何が脅威なんだ?」


『さっきもおっしゃられていましたが、彼らの優れた点は第六感です。遠く離れた人間の感情を読み取り、常に先手に動きます。それが意味する点は、人類の防御が全く剥がされ、無防備になるということです』


「防御が剥がされる? だったら、守らず攻めて攻めて、ぶっ殺せばいいだけの話だろうが」


 あまりに安易で幼稚なプードルヘアの意見に吃驚するように、今度はマスク姿の女性が彼の顔をマジマジと見つめ返した。

 その短絡的な提案に対しても、全く同じ抑揚で弥玻荃やはうえは返答した。


『それは幻想に近いでしょう。なぜなら、元々この惑星はのものだからです』


「……一体、何の話をしている?」


 会話から追い出された事に苛立つように、長髪男が再び割り込んできた。

 弥玻荃やはうえは言った。


『この地球は、元々人類のものではありません。だけのこと』


 収拾がつかないぐらい話が壮大なスケールへと移行し始め、多くの者達が打ちひしがれたように口をポカンと開けている。


によって、数十億年前にヒトガタかれらは海底へと封じ込められました。以来、ずっと世界はそれらによって守られてきたのです』


 途方もないストーリーに対し、そこにいる誰もがどう反論すればいいかわからない。話はまだ続く。


寺社仏閣じしゃぶっかくが日本には無数に存在しています。これらには、れっきとしたが存在します。どちらかが重要というわけでなく、どちらも大切な存在でした。神を讃え、敬うやしろ。仏の力を敬う寺。しかし、近代に入って商業化の波に呑まれ、廃業する神社や寺が立て続けに増え、建物自体も撤去するケースも。しかし、それらは古来から存在するもので決して動かしてはいけないものだったのです。その結界は、ヒトガタの活動を制御し、目に見えない境界線を張っていたのです』


「……それが破られたおかげで、ヒトガタが浮上し始めた? だから、某国がそれを阻止するために日本全土を丸焼きにしたと?」


 マスク姿の女性は、一旦、頭の中で話を整理するように問い返した。さっきは目を見開いていたが、聞いているうちに平常心を取り戻して来たのか。元の冷静な雰囲気に戻っている。


『権力者達は、皆、ヒトガタの存在に気づいています。彼らの力がどれだけ大きく、そして危険であるかを。そして、どれだけ人類を敵視し、心から憎んでいるのかも』


「さっきはエレベーターで逃げていたけど。


 彼女が少し皮肉めいて言い返すと、弥玻荃やはうえは尚も穏やかな口調で言葉を返した。


『さすがの彼等でも核兵器には勝てません。第六感で危機がすぐ近くまで迫っていると察知したのでしょう。まずを身を守ることを優先させたわけです』


「で? 肝心な事を言い忘れてるけど、の前に立つと、私達はどうなるの?」


 鋭い彼女の指摘に、プードルヘアが観察するようにその横顔を見つめ返す。


『一言で申し上げます。


「呑まれる?」


 聞いている者全員が完全に置いてけぼりを食らっていたが、さすがに我慢の限界がきたのか、プードルヘアが口を挟んだ。


「もうちっとましな解説ねぇのかよ? 実際、そんな化け物存在しねぇから、詳しく言えねぇんだろが? さっきのも、やっぱり中に普通の人間が入ってんだろ?」


『詳しく説明することもできますが、おそらく、今言ったところで、すぐに忘れるでしょう。すぐ先に


 その警告に、少しだけ緩みかけていた全員の緊張が再び舞い戻った。


『今一番重要なのは、ここから脱出することです。を見つけ出してから』


 するとスクリーンの画面が切り替わり、文章が表示された。

 『はじめに』という表題がついたその内容を解説するように弥玻荃やはうえは言った。


『ルールを説明します。皆さんが今いるこの部屋がエントランス、すなわちスタート地点です。スクリーンの反対側の突き当りを見てください』

 

 言われるがまま全員が反対側に顔を向けた。

 動揺していて、皆に気づくどころではなかったのだろう。

 床と同じ濃いグレー色の壁に、場違いのような……赤、黄、青……あれは……。


『ええ。ドアが並んでいます。その向こうで、が皆さんをお出迎えいたします。各々の判断で自分が進むべき部屋を選択してください。ただし、一つの部屋につき定員は。それに達するとドアは自動で施錠されます。つまり、早い者勝ちということになります』


 全員がドアに目を向ける中、プードルヘアだけが首をだるそうに横に振りながら、


「ふっ……。やってらんねぇよ、全く。ずっと緊張しっぱなしだったんだ。少しは休ませてくれよ」


 立ち上がってズボンのポケットの中から煙草を取り出して、火をつけようとした。


「やめろ! 安易に火をつけるな!」


 突然、白人青年がプードルヘアが持っていたライターを取り上げた。咥えていた煙草も素早く引っ手繰る。

 あまりに突然の恫喝に、呆気にとられたようにプードルヘアがその場に立ち尽くした。

 その光景を間近で見ていた恵梨香えりかも戦々恐々とし、一触即発の空気を肌で感じ取り、またあいだに入ろうとした。

 すると、予想に反してプードルヘアは落ち着き払った表情で、口元に笑みを浮かべて言った。

 

「ふっ、出たな。仕切りたがりが。ああ。ロン毛の言う通りだ。


「……なんだと?」


 白人青年の表情がさらに険しくなる。傍から見ると、感情的になっているのは彼の方にも見えた。

 すると、双方の好戦的な態度に冷や水をぶっかけるような弥玻荃やはうえの衝撃的なアナウンスがだだっ広い一室に響きわたった。


『仲間割れをしている場合ではありません。残り、でこの部屋の。早急な決断を』

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