第20話――到来


庸子ようこは見ていた。

すぐ鼻先のアクリル板に何かが挟まって切れていたのを。


まだ何が起こったのか、わかっていない。


あれは……。


金色の……


だ。


ふと自分の前髪が半分くらい、なくなっていることに気づく。


俯せになったまま顔を上げると、アクリル板の向こう側にある入口の扉を開けたまま自分達のリーダーがこちらを見ていることに気づいた。


健吾けんご!」


 目が合った事に気づいた殿は、気まずさから逃れるように前に向き直ると、そそくさと闇の中へと消えて行った。


 扉が乱暴に閉じられる音と共に、庸子は目を瞬かせた。


 茫然としながら顔を床に向かって項垂れる。


(……あの野郎……。絶対にゆるさない……)


 急激に湧き上がってくるような虚しさが、庸子ようこの全身に襲い掛かってきた。


 知らず知らずのうちに両目尻から涙が溢れ、顔を密着させていた床に溜まり、両頬を濡らす。


(私だけは見捨てないと思っていたのに……)


 同じバンドだった頃からの仲だった。

 この中で一番付き合いの長いのは自分だ。


 確かに女癖は酷いが、誰よりも彼の事をわかっているつもりだったし、向こうも、なんだかんだ言って自分の事を心の奥底では一番信頼している。

 芯の部分では互いに繋がっている。


 そうしていた。


 しかし、それは単なる自分の一人よがりだったことに今気づき、まるで重力で縛り付けられたように、この地面から離れることができない。


 この地面……


 から……?


(……!)


 まともに床にむせび泣きをしている自分に気づき、ハッと我に返った。


(というか――)


 いつの間にか自分にようやく気づく。

 脚部にを感じ、咄嗟に頭だけを起こし振り返ってギョッとする。


 ネイビー色のジャンパーを着たが、自分の両脚にしがみついていた。


「ヒッ……!」


 思わずもがき、自分のひじが男の顔面に直撃すると、その両手が離れ、庸子は拘束が逃れて即座に立ち上がった。


 露骨に気持ち悪がるようにアクリル板を背にその身を張り付かせる。


(……キモっ! 何、何……?)


 見ると、男は両手で鼻を押さえながら床でうずくまっている。

 その背後で、大広間にいる全員が一斉にこちらに視線を送っている事に気づいた。

 よく見ると、溜息交じりに肩を落とし、安堵している様子がうかがえる。

 もう一度、アクリル板に挟まった自分の金髪をマジマジと眺める。


(……まさか……)


 ふと、すぐそばで仰向けの姿勢から身を起こそうとしているメイドから解放されたばかりの少女と目があった。

 途端に庸子の表情が険しくなった。

 少女の顔もたちまち緊張で引き攣り、一触即発の空気が漂ったその時だった。


「キューイーン、キューイーン」


というサイレンとともに、


『緊急事態発生。緊急事態発生。今すぐ全員地下に避難せよ』


 ここでは初めて聞く事務的な男性のこもったような声に、全員が頭上を見回して呆然とする。


「地下だって……?」


 それまでの状況に圧倒されて黙り込んでいたプードルヘアの男が声を漏らした。

 すると、大広間の後方から、何やらが聞こえてきて、全員がそちらを振り返った。

 ウィ――ンという機械音を鳴らしながら、最奥の床が動いているのが、はっきりとわかった。

 大理石だった地面が両側へと開き、中から暗闇が顔を覗かせる――。


 よく見ると、その手前に下り階段が目に映った。


『全員、今すぐ避難してください。有事ゆうじが発生いたしました。今すぐ避難してください』


「……有事って……何?」


 階段の向こうに見える暗闇を、戸惑った様子で見つめながら恵梨香えりかが呟いた。


「どうせ、罠に決まってんだろ。あんなとこに入ったら、それこそ永遠にこっから出られないぞ」


 ゲート近くにいたリーゼント頭の銀ジャンパーが鼻で笑いながら一蹴した。


『緊急事態発生。残り、34秒で、


 全員の動きが一斉に止まる。


 アクリル壁の近くで項垂うなだれていた八郎はちろうが思わず顔を上げた。


(……やって……きます……?)

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