第7話――殿下

 ゆかいつくばりながら、恵梨香えりかはあらためて思った。


(泣いている母親の姿さえも、もう見れないかもしれない)


 恐る恐るふるえながら顔を上げる。


 そばには、マスクをした灰白色グレーのスウェットパーカーを着た小柄な女の子が、自分と同じように頭を抑えながらゆかに伏せている。

 その顔がちらっと見えた。

 マスクで隠れてわからないが、その表情はさっきと変わらず感情の欠片かけらを見つけることはできない。


(だから、私は怪しいって言ったのに)


 心の中で、その子に対して怒りをぶちまけそうになったが、思い直す。


(いや……自分も、まさか強盗ごうとうだとは思いもしなかった……)


 こうなった責任せきにんを全て、その子のせいにしようとしている自分のつたなさに気づき、再びゆかに視線を戻した。

 

 なんでこんなことになったのか?


 それは、他でもない。


 に失敗した、からだ。


 仕事場オフィスには、普段と何も変わらず出勤しゅっきんしていた。

 周りの誰も、自分のには気づいていない。


 しかし、電子でんしマネーも底を尽き、とうとう明日には、自宅マンションの電気でんきが止まろうとしていた。

 

 いや……。


 ふと、恵梨香えりかいつくばりながらも、左手首につけてある腕時計に目をった。

 赤革のベルト、縦に細長いクオーツ。スイス製で有名な長い歴史を持つブランドのものだ。

 まだ、自分がの駆け出しだった頃、周りにめられないように、当時の給与きゅうよの手取り額にしては、とかなり無理をして買った腕時計。


 は、れい十五じゅうご分を差していた。


 それを見て、彼女はあらためて思った。


電気でんきが止まるんだ)


 今の恵梨香えりかにとって、将来の数百万、数千万円より、が何よりも価値あるものだった。


 でも、この時計を売ることだけは躊躇ためらわれた。

 自分にとって人生の転機てんきともなった頃の思い出だ。

 それをたったを払うためだけに売るのは、あまりに安易あんいだと。


 そんな時に求人バイトサイトで目にしたのが、この搬入はんにゅうの仕事だ。

 初めての経験だった。

 しかし、求人欄には、

。現地で勤務終了後に、』とあった。

 しかも、時間は深夜しんや

『面接後、すぐにマイクロバスに乗って直行』とも。


 いつもより早く仕事を終えた自分は、十七時にオフィスを後にし、急いで面接会場へと向かった――


 その結果が、これだ。


 慣れない事に安易あんいに足を踏み込んでしまったことに対し、恵梨香えりかは心の奥底から後悔の念に駆られた。


電気でんきが止まった部屋へや十分じゅうぶんだった。


 そう思ったのと同時に、またホール全体に銃声じゅうせいが鳴り響き、あちらこちらから男女の悲鳴ひめいが飛び交った。


「少しでも、変な動きをした者は撃つ」


 小柄とも大柄も言えない、言うならばという表現が一番しっくりくる、その黒髪を下ろした青年は銃をかかげたままだ。


(こんな事をして、逃げられるとでも思っているのだろうか?)


 ふと、恵梨香えりかの脳裏に、が思い浮かんだ。


(もし、さくが何もないのなら、彼はここにいる全員をにするつもりなのか?)


 彼女はふるえながらバレないように、少しだけそっと顔を上げた。


 大勢が身を伏せている最前さいぜんに、が立っている。

 その周りにも、銀色のジャンパー複数の者達が立ったままだ。全部で、十数名ほどだろうか。

 今、ホールで伏せている銀ジャンパーの人数と同等くらいだ。

 立っている者の中には、女性じょせいも混じっているのがわかった。

 目をらして見ると、その内の何名かの手にも同じようなにぎられているのがちらっと見えた。


(最悪だ)


 一人ならまだしも……。


(いや……待て)


 恵梨香えりかは、すぐ目前のゆかに視線を落としながら、ふと気づく。


(……銃なんて、そんなに簡単に手に入る物なのか? 実は……で、残りはなんてこともあり得る――)


 そう思った次の瞬間、また轟音ごうおんが鳴り響いたかと思うと、恵梨香えりかの背後にあった搬入はんにゅう途中で置きっぱなしにされていた白い西洋風のつぼに乗っかった白孔雀 ピーコックの彫刻像が、粉々に砕け散ったのがわかった。


「そこのお前! 頭をもっと下げろ!」


 金髪きんぱつの坊主頭の男が銃をこちらに向けるや否や、恵梨香えりかは反射的に顔をゆかに押しつけた。


(……思い切り、本物ほんものじゃん……)


「えー皆さん。大変、お手間てまをとらせてすいません」


 さきほどの柔和にゅうわな表情に戻った最前さいぜんにいるリーダーが、再び穏やかな口調で言った。


「緊急事態が発生し、今日の勤務きんむは、これで終了とさせていただきます。引き続き、皆さんには全員が気持ちよく帰途きとにつけるよう、重ね重ねご協力をお願い申し上げます」


 を置くと、念を押すように言った。



 そう告げたリーダーの至近距離で、完全にゆかにへばりついていた八郎はちろうは目線だけを上げた。


 リーダーが、そばに立っていた銀ジャンパーの部下二人に耳打ちをしたのが見えた。


 一人は茶髪に近い金髪の男。

 屋敷やしきに入る前にプードルヘアの男と喧嘩けんかになりそうだった細身の青年せいねんだ。


 もう一人は、女性じょせいだった。

 その背中まで垂れ下がった綺麗きれいで長い髪は染められておらず、まだ十代? とも思わせるような化粧っ気のないあどけない顔つきだ。


 彼等二人は自身の不安を悟られまいとするような強張った表情で、銃を持ったニット帽姿の屈強な銀ジャンパーに付きわれながら、を手に持って、床に伏せている者達に近づいて行った。


 八郎はちろうの目にそれは、しっかりとうつった。

 あれは、確か……。

 百均ひゃっきんとかで売っている――

 

 


 通常は電気工事などで配線をまとめるために使われるようなものだが、一昔前のハードボイルド系アクション海外ドラマなどでは……。


 八郎はちろうが想像した通り、は、銃を突き付けられて床にうつぶせになっている者の両手首と両足首をそれでしばり始めた。


 よく見ると、あどけない男女二人の表情は、緊張きんちょうで今にも崩れそうだ。

 素人の八郎はちろうの目から見ても、明らかにしただとわかる。

 

「ぐずぐずするな。早くしろ」


 ニット帽の男が、いら立ちを抑え切れないように、二人をき立てた。

 そう言われた少女しょうじょの方が、余計に焦ったのか。インシュロックを穴になかなか通せないでいると、


「ちっ……! もう! 何やってんだよ! グズ! あたしがやるよ! 引っ込んでな!」


 近くに立っていた同じ銀ジャンパーを着たボーイッシュな金髪きんぱつショートの女が、少女の手からインシュロックを奪い取り、邪魔じゃまがるように彼女の体を押しのけた。


 少女とは対照的に、そのおんなは、まるで物でも縛るように手際てぎわよく、伏せている男性の手首を縛りつけた。

 とても初めての手捌てさばきには見えない。

 

 仕事を強引に奪われた少女が何もできず茫然ぼうぜんと突っ立ったままでいると、その背後から黒髪くろかみを下ろしたリーダーが近づいて来た。

 それに気づき、振り返ると、少女はおびえるように身をふるわせた。


「すっ! すいません……殿下でんか


 すると、リーダーはその少女の体をそっと抱き寄せたかと思うと、髪の毛を優しくで、頭に軽く口づけをすると、なぐさめるように背中を叩いた。


「大丈夫だ。そのうちれる」


 そう言って彼女の肩に手を回しながら、背の高いアーチ状のゲートの方に歩き始めた。

 二人の背後からその光景を見ていた金髪ショート女の表情に、憎悪ぞうおが浮かび上がった。

 女が舌打ちをし、こらえきれない怒りをぶつけるように、床に同じく伏せている別の男性の手首をさっきよりきつめに縛ると、相手がうめき声を上げた。


 白いコンクリートのゲート前をふさぐように立っていた男達の前まで来たリーダーは、少女を抱き寄せたまま彼らに告げた。


「見張っておけ。すぐ戻る」


 彼等は戸惑いを抑えるように、すぐに道を空けた。

 だだっ広い玄関の方へゆっくりと歩いて行くその背中を見ながら、金髪坊主きんぱつぼうずの男がそばにいたリーゼント頭の男に顔を近づけて声を殺すようにあきれ加減に言った。


「こんな時に、よく気になるな」


 すると、リーゼント頭も声を潜めながら返した。


が、興奮こうふんするんだろう。マジでぶっ飛んでる」


 少女を連れたリーダーは、多くの靴が並べられた玄関のタタキの前で足を止めた。


 その地面にうずくまって、男二人に抑えられている老婦人ろうふじん

 その両目はうるんでいて、両頬りょうほほにはなみだつたった跡が見える。

 口には、あらためて声が出せないように布が巻き付けられていた。


 すると、リーダーは、ました表情のまま口を開いた。


御主人ごしゅじんなぐり過ぎてすいません」


 全く感情を込めず、まるで他愛たあいもない日常事のごとくさらっと流すように言うと、老婦人ろうふじんの顔に明らかな殺意さついき出しになって浮かび上がった。

 再び暴れようとして、スキンヘッドと顎鬚あごひげが抑えつけた。

 

 リーダーは少女を連れたまま、すぐそばにある螺旋らせん階段をゆっくりと上がって行った。


 さるぐつわをつけられのろうような目つきで尚ももがき続けている老婦人ろうふじんの顔を、ほくそ笑みを浮かべたまま見下ろしながら。

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