第2話――嘘

 

 八郎はちろうは、さっきの責任者の言葉を思い出した。

 

(『車が入れない』って……。まさか、この距離を、?)


 徒歩十五分の距離だ。

 想像してもわかる。

 そんな搬出聞いたこともない。


 まばたきを繰り返しながら、他の黄色メンバーと視線を交わす。


 すると、さきほどの責任者らしき銀色のジャンパーを着た青年が近づいてきて、八郎の予想通りに淀みなく言い放った。


「これから作業に入りますので、中から荷物を


「……まさか、台車とかは使わずに?」


 八郎はたまらず聞き返した。

 すると、あたかもその返しを予測していたかのごとく青年は、


「わかってる。わかってる。向こうにあるから、とりあえず先に行って」


 物腰は柔らかだが、少し面倒くさそうな表情で返答をした。

 その言葉に少し安心した八郎だったが、他の黄色メンバーを見ると、依然として不安は拭い切れていない様子だ。

 

 すると、もう一足早く到着した班なのか。

 城の中から銀色ジャンパーの者達が、タンスを運び出してこちらに近づいてきた。


「どいて。どいて。邪魔邪魔」


 銀色チームの古株なのだろうか。

 顎髭あごひげを生やしたガッチリとした体つきの男性が、少しきつめの口調で八郎達に向かって顔を横に振りながら言った。

 黄色チーム全員は、どうしていいかわからず、茫然ぼうぜんとしていると、


「おい! 何ボーっと突っ立ってるんだよ! 早く中に入って手伝え! 馬鹿野郎ばかやろう!」


 細身で茶髪ちゃぱつがらの悪そうな男が両手で台車を押しながら、近づいて来た。台車には電子レンジと薄型のテレビが載っている。

こちらも同じく銀色のジャンパーだ。


たけえ金もらってて、高見たかみの見物決め込んでんじゃねぇぞ!」


 すると、さすがに我慢できなくなったのか、八郎とバスに同乗していたプードルヘアの男が、前に足を踏み出した。


「口の利き方に気をつけろよ。このクソガキ」


「……! 何だと、コラァ!」


 すぐさま台車をその場に置いて、その茶髪の若者が肩をいからせながら、プードルヘアに近づくと、いきなり胸倉をつかんだ。

 しかし、つかまれた方は臆する様子もなく更に言い放った。


「口がくせえって言ってんだよ。よ」


 その瞬間、若者が胸倉を両手で掴み直し、思い切り上に吊り上げた。


「てめぇ、殺すぞ!」


 それでもプードルヘアは動揺の色一つ見せない。

 八郎はちろうを含め他の黄色ジャンパーは止めることもできず、ただ立ち尽くすだけだ。


「やめろ! 何やってんだ!」


 さっきのリーダーと思える黒髪を下ろした青年が、彼等の間に割って入り強引に引き離した。

 他の黄色、銀色メンバーも倣うように、両者をなだめるように抑え込んだ。その中には、バスの中にいたガッチリとした体型のハンサムボーイもいた。

 銀色チームのリーダーは八郎達の方を向いて、


「指示に従えない人は、全員帰ってもらいます。ただちに建物の中の荷物を全部残らず搬出してください」


 温和な表情を残しつつも、厳しい一言を放つと、屋敷の方を指差した。


「けっ」


 気をがれたのか。

 ハンサムボーイの手を振り払うと、プードルヘアの男は喧嘩けんかあきらめたかのごとく、敷地内の芝生しばふに足を踏み入れた。

 我に返るように、蛍光ジャンパーを着た他の者達も気圧けおされるようにゾロゾロとついて行った。

 八郎が一番最後に続く。

 二十メートル程先に見える玄関扉げんかんとびらまでは、アプローチの様な通路は無く、あまり手入れがなされていないのか、高さがまばらの芝生しばふが続いている。


 八郎は、ふと振り返った。


 怒りをまだしずめ切れない茶髪の若者を、リーダーがなだめるように肩に手を当てて何か声をかけている。


 が、次の瞬間、八郎は見間違えたかのように目を丸くした。


 それまで温和だったリーダーの表情が遠目ながらも険しい顔に一変したかと思うと、次の瞬間、こちらに背を向けていた茶髪の若者の腹に思い切り拳を放ったのがわかった。

 うめき声と同時に、若者が芝生にうずくまったのがわかった。

 リーダーが視線に気づくように顔をあげると、八郎は瞬時に前に向き直り、差が開いた他の黄色メンバーの後を追いかけるようについて行った。


(……なんか……ヤバくないか? ……これ……)


 ようやくまばらに歩いているメンバー達に追いつくと、前を歩いていたスーツ姿の女性が八郎に気づき、マスク越しながら不安の表情を浮かべているのがわかった。


「……ねぇ。これって、……もしかして、じゃない?」


 初めて女性の声を聞いた。

 見た目の想像通り、少し低いが落ち着きのある気丈きじょうな雰囲気の声だった。

 

(……夜逃げ?)


 八郎は腕時計を見た。

 二十三時二十分。


 確かに……引っ越しする時間にしては遅すぎる。


 てことは、この城は借家なのか?


 確かに金持ち界隈では、なくもなさそうな話だ。

 俺には、全く無縁だが。


 高額な家賃を払い切れず滞納した借主が業者に依頼して、密かに家具全てを搬出。

 確かに納得がいく話だ。


(てか……)

 

 ふと、八郎は思い返した。


(いや……その前に、夜逃げを手伝うって、普通にじゃねぇか?)


「それはないと思う」


 打ち消すような声に反応すると、前方にいたもう一人の女性が、こちらに背を向けたまま言い添えた。


「そんな仕事紹介したら、派遣会社は潰れるどころじゃ済まない」


 バスの中で、八郎はちろうの前方に座っていた小柄な女性だ。

 か細い声で可愛らしい雰囲気だ。


 門扉は既に開けられており、敷地内の外灯に照らされながら、しきりなしに素手で家具を運び出す者達、台車を押してくる者達とすれ違う。


 小柄な女性は足を前に進めながら、時折振り返って言った。

 バスの中でいた時と同様、マスク姿で顔は見えない。


「私は、『搬出入』としか聞いていない。仮に万が一、夜逃げだとしても派遣会社が悪いし、罪には問われないよ。まぁ、まず有りえないと思うけど」


 そう言い切って、躊躇ためらいもなく前に向き直った。

 見た目の、か弱い雰囲気とは違い、きもが据わっている様子を見て、八郎は思わず面食らってしまった。


 一同は屋敷の前に辿り着いた。


 何世紀も前を彷彿させるようなアーチ状の木製扉は両開きで、既に搬出のためか城内側に全開されていた。

 入口の傍には搬出のための手押し台車が数台セットされている。


 一同は中に足を踏み入れた。

 だだっ広い玄関入ってすぐ左側に螺旋状らせんじょうの階段が見え、二階へ吹き抜けになっていた。

 入口付近の右側の壁には、これもまた何世紀も前を彷彿させる等身大の銀色が目につく西洋鎧プレートアーマーが置かれていた。


 間髪入れず、城内から銀色ジャンパーを着たスキンヘッドの強面こわもて男性がダンボールを抱えながら出てきた。

 

派遣はけんは、一階の物を運んでくれ。くつは脱げよ」


 大理石でしきつめられたタタキの部分には、薄汚れた作業員達の靴が、綺麗きれいそろえて置かれてあった。

 

 それを見たさっきの小柄なマスク姿の女性が、八郎とスーツ姿の女性の方を振り返って言った。


「犯罪をする人達には見えなさそうだけど」


 少しからかうような素振りの女性の言葉を聞いて、靴を脱ごうとしていたプードルヘアの男が振り返った。

 バスの中にいたブロンドヘア白人青年も少し驚いたように、動揺の色を見せた。

 日本語がわかるのだろうか。


「犯罪? 何の話だ?」


 プードルヘアの男が問い掛けると、


「喋ってねぇで、早く運べよ」


 会話を打ち消すかのように、さらに中から、ロン毛を後ろでまとめた銀色メンバーの男性が骨董品と思われる壺を抱えながら、すれ違い様に言い捨てて出て行った。


「いちいち鼻につく奴らだな」


 プードルヘアは舌打ちをすると、準備運動をするように両肩をゆっくりと回しながら部屋の奥へと入って行った。

 八郎を含む他のメンバー全員も靴を脱ぎ、中へと入って行く。

 

(……あれ?)


 八郎は、ふと、気づいた。


(確か……いたよな?)


 バスの中で自分の方をじっと見ていた不気味な男。

 そう言えば、バスを降りてから一度も見ていない。


(もしかして、……逃げた?)


 勤務の途中で、職務を放棄して、

 派遣のスポットバイトでは、ありがちな話だ。

 バスの中でしか見てないが、見た感じ雰囲気的にヤバそうな奴だから不思議ではなさそう。


 そう思い、前に向き直ったその時だった。


 ふと、視線を感じ、思わず上を見上げた。

 

 心臓が止まるかと思った。


 螺旋状らせんじょうの階段。


 その手摺の隙間から、姿が見えた。


 じっと立ったまま、八郎の方を見下ろしている。

 まるで


 八郎は、気づいた。


 だ。


 息をするのも忘れるくらい呆気に取られたまま、数秒の時が流れた後だった。


 男は、ゆっくりと視線をらしたかと思うと、階段を緩慢かんまんな動作で上がって行った。


(え……? え? ちょ……ちょっと……何……?)


 まばたきを何度繰り返し、我に返った八郎は、男性を目で追った。

 まるで亡霊のように表情も変えずにあがって行く姿に、彼は寒気を覚えながらも、咄嗟に他のメンバーの方を振り返った。

 しかし、彼等はもうすでに中の方に入り込んでいて、その姿は見えなくなっていた。

 八郎はすぐに階段に視線を戻した。


 男は二階に辿り着くと、そのまま奥へと姿を消して行った。


(……一階って言われたのに、勝手に何をやっているんだ?)


 怪訝けげんに思った八郎は、一瞬迷ったが、恐る恐る階段に足を踏み入れた。

 唾を呑み込みながら、一歩一歩上って行く。


 二階に辿り着くと、木製の廊下が奥までずっとのびていた。


 左右の壁には、床と同じ色の閉じられた木製のドアが、数メートルの間隔を空けて並んでいる。


 (……何処どこに行った?)


 不審に思いながら、足を進めると、突き当たりの方から、音が聞こえてきた。

 だ。

 

 そう気づいたのと、同時だった。


 その突き当りのドアが開き、中から人が出てきた。

 動きが完全に固まった八郎と、思い切り目が合った。


 さっきの男だ。


 よく見ると、両手でチャックを上げてベルトを締めている。


 八郎は思った。


(……トイレかよ)


 男は尚も表情を変えないまま、八郎の方にゆっくりと近づいていた。

 その異様な光景に、思わず後じさりをする。


 男は八郎の目の前で、足を止めた。


 凝視ぎょうしは依然として、続けたままだ。


「……な……何ですか?」


 恐怖を覚えながら、こらえ切れないように、声を絞り出した。

 すると、男はさらに顔を近づけてきた。

 思わず仰け反ったが、男は気にする様子もなく、八郎はちろうの顔をマジマジと見つめると、耳元でささやくように言った。


「感じません?」


(……は……?)


「感じませんか?」


 呆気に取られた八郎は仰け反ったまま、声を震わせて問いかけた。


「……感じる? って……何を?」


 突然、男は右腕を上げた。

 反射的に八郎は、思い切り両手を上げて身構えた。

 しかし、男の片腕は空中で止まったままだ。


 数秒の間が流れると、男はようやく右腕をゆっくりと下ろして、八郎の右背後みぎはいごを指差した。


 しばらく意味がわからなかった八郎は、気づいたようにその視線の先を追いかけた。


 ドアが見えた。


 まだ訳が分からず、再び男の方を向く。

 すると、彼は何かをうながすかのように、そのドアの方にあごを突き出した。


(……開けろって、言うのか?)


 心の中でつぶやくと、まるで聞こえているかのように、男が深くうなずいた。


 八郎は戸惑いながらも、男に促されるまま、そのドアノブに向かって、震えた手を伸ばした。

 金色が少しげた丸い形状のノブだ。


 唾を呑み込んだ後、八郎はゆっくりとドアを手前に引いた。

 ギギギっときしむ音とともに、中の様子が明らかにされていく。


 開いた口がふさがらないままだった。


 物置部屋ものおきべやだろうか。


 その狭い領域に、所狭しと言わんばかりに、口と体を縛られた白髪の老夫婦とおぼしき二人と、同じように拘束されたエプロン姿の中年女性の姿があった。


 八郎は、あらためて思った。


(……思い切り、犯罪はんざいじゃねぇか……)

(……見ていないことにすれば……)


 ふと、逃げる事だけを考えている自分に気が付き、八郎はハッと我に返った。


(……何考えてる……! 最低じゃねぇか! 早く助けろよ!)


 必死に自身に言い聞かせるように、首を横に振りながら部屋に一歩踏み出した。

 その瞬間、縛られている三人の目が見開き、声にならないうめき声が聞こえた。

 よく見ると、老夫婦と見られるうちの白髪の男性の頭からは血が流れている。

 反射的に、八郎は両手を前に出し、


「……い、いや! 違うんです! 私は……その、何も知らなくて……その!」


 彼の必死な弁解も虚しく、三人は恐怖に震え、表情を歪ませているのがわかった。


「私は、味方です! ……助けにきました!」


 ようやく伝えたい事を言葉にできると、三人の表情が明白あからさまに一変したのがわかった。すると、今度は必死に助けを懇願こんがんするように、首を必死にたてに振り悲痛さをあらわにした。。


 完全に我に返った八郎は、しゃがみ込み、まず三人の中央に座っていた白髪の老夫人の体を縛っているロープに手を伸ばした。

 その痩せた体にしっかりと食い込むように、縛り方にぬかりがない。


(……これ……。どうやって結んでいるんだ? えっと……結び目は……! ど、ど、どうしよう……!)


 ふと、気づいて八郎は、


「ちょっと……! 一緒に手伝ってくださ――」


 さっきの男に助けを求めようと振り返った。


「……?」


 ドア付近に、姿は見えず、八郎は怪訝に思い、立ち上がってドアから顔を出した。


「……あれ……?」


 左右を見渡しても、誰の姿も見えない。

 

(……おいおい……何なんだよ! 一体?)


 押しつけて、一人とんずらしたのか?

 

(つーか。あんたが見つけたんだろ! ……何て野郎だ!)


「クソ!」


 ぼやくように吐き捨てると、八郎は再び部屋に戻って、また三人の前にしゃがみ込んだ。


(――結び目、結び目!)


 必死に老婦人の体に綺麗に巻き付いたロープのを探そうと、体の裏側に回った。


(……あった!)


 すぐさま八郎は、それを解こうと、素手で太めの結び目に両手をかけた。

 しかし、頑強にわれていて、ピクリともしない。


(クソ! 早くしないと、見つかる――)


 そう思った瞬間だった。

 前方の視界に何かが映っている事に気づき、ふと、顔を上げた。


 視線の先、開いたドアの向こう。


 スキンヘッドの銀ジャンパーを着たいかつい男が、目を見開いて立っていた。

 さっき玄関口ですれ違った男だ。


 互いに唖然あぜんとしたような数秒のの後、男は我に返ったように、左右を確認するように見渡すと、ゆっくりと部屋に足を踏み入れて、音が鳴らないようにドアを静かに閉めた。


 こちらに背を向けて立ったままだ。

 背中の筋肉の動きで、深く深呼吸をしたのがわかった。

 八郎の表情がさらに強張る。


 ようやく男は、ゆっくりとこちらを振り返ると、ジャンパーのポケットから何かを取り出した。


 八郎の目が丸くなる。


 これは……。

 映画とかでしか、見たことない。


 雷紋らいもんの様な青い筋が、バチバチと音を立てている。


 スタンガンだ。


 縛られている三人のうめき声が大きくなり、八郎は咄嗟に起き上がろうとした。


「動くな」


 強面こわもての男の一声で、八郎は再び、強引にしゃがみ込まされた。

 

「ゆっくりと手を上げろ」


 そう指示され、額に汗を滲ませながら、やり過ぎと思えるくらい緩慢な動作で八郎は両手を上げた。


「こっちへ来い」


 男が片手で手招きをすると、八郎は慌てて立ち上がった。


「ゆっくりだ!」


 苛立ちを抑え切れないように、スキンヘッドの男は声を荒げた。

 その罵声ばせいに、八郎だけでなく、縛られている三人も押し殺した悲鳴を上げる。 


 手を上げたまま、八郎は必死に自分に言い聞かせた。


(大丈夫だ……。大丈夫……。彼も人間だ。決して鬼じゃない。大人しくすれば、きっと……手を出さないはず……)


 指示通り、必要以上にゆっくりとした動きで八郎は息を殺しながら男の方に近づいていった。


 残り一メートルほどの所で、逆にスキンヘッドの方が我慢できないように、


「早く来い!」


 と、胸倉を掴んで、引き寄せた。


(いや……ゆっくりって言ったじゃ――)

 

 そう心で反論したのと同時だった。


 電撃殺虫器のようなバチバチバチという音と共に、八郎の全身に強めの刺激が走り、立ったまま痙攣けいれんを繰り返した後、麻痺まひ状態のまま、全てを失ったように彼は地面に崩れた。


 朦朧もうろうとした意識の中、彼はまた心の中であらがうようにつぶやいた。


(……結局、使うのかよ……)

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