クロス・リトライ

新木稟陽

消えた人生


 屋上へ続く階段、その一番上。つまり屋上へはあと数歩で届くのだが、扉にかけられた鍵によってそれを阻まれている、ここ。

 誰も居ず、薄暗く、遠くから微かにクラスの喧騒が聞こえるこの階段に一人腰掛け、膝の上で弁当をひろげる男。

 澤登快。毎日、ここで母の愛情と自分の惨めさを噛み締める高校生活。

 いつからこうなったのか。自分でわかっている。



 11年前から、だろう。



 遡ること──と言ってもこれは快にとってだが──11年ほど前。彼は一度留年を経験した大学三年生だった。

 夏休みのある日。現実に目を背けて昼夜逆転のゲーム三昧。単純に味が好きなエナジードリンクを日に何本も飲み、食事はファストフードや即席麺。

 その日は気分で多量のアルコールを摂取し、沈むように溶けていくように眠りに落ちた……翌朝。

 体が縮んでいた!

 しかし目が覚めたのは遊園地ではない。謎の組織に目をつけられた覚えもない。自宅──というより、実家。


「快ー! もう準備するから起きなー!」


 階下から響く母の声。最新の記憶よりいくらか若い。

 頬をつねった。

 痛い。

 思えば、夢の中で頬をつねったことがない。

 若い両親。買い換える前の電子レンジ。販売終了した菓子。パックの麦茶。テレビにはフリーに転身したはずのアナウンサー。家を出れば、後に家が建つ空き地。まだガタガタの道路。潰れたコンビニ。

 紛れもない現実。そこは、小学校入学式当日の実家だった。

 そこからは神にでもなった気分だ。記憶と人格を引き継いでのやり直し。強くてニューゲーム……のようなもの。

 本来この歳の頃の快は明るく、年相応のバカだったから友人も多かった。

 しかし、今回は少し違う。

 なにせ成人済みの精神だ。周りからはそうとう大人びてみえただろう。彼自身にとっても意外だったこととしては、それによって更に友人……というか取り巻きが増えた。元々仲の深くなかった者まで、彼を気に入るようになった。

 勉学だって無双状態だ。小学校の勉強なんて、半分寝ながらでも満点が取れる。多少忘れていた社会科だって、小学生で学ぶ範囲なんて大した量じゃない。

 そうして悦に入り。

 歳を追うごとに。

 苦しくなっていった。

 周りの精神年齢も本来の自分に近づく。

 "神童"だなんて軽く噂されていた学力も、次第に追いつかなくなってくる。

 メッキは剥がれ、大人の快に対する評価は『早熟の低キャパシティ』となった。

 友人までも離れていったわけではない。しかし、快の精神的にはかつての友人達との──所謂『対等』な関係ではなくなってしまっていた。周りは彼を『精神年齢の高い、落ち着いた友人』と捉え、快も無理にそれを演じる。

 格好つけなければいけなくなっていた。


「はぁ……」


 その結果がこれだ。自ら少しずつ友人を遠ざけ、昼を一人で過ごす。


 本当に、いつから──どうしてこうなったのやら。このままだと本来の人生より酷い。前だって、友人は多かったのに。


「ぼっち」

「?」


 突然声をかけられて驚く、そんな新鮮な心もない。顔を上げた先に居たのは──


「ぴょん」

「やーい、ぼっち」


 里中える。通称ぴょん。さとなかえる、さとな"カエル"でぴょん。茶髪のショートで、なんというか『ザ・一軍』という見た目の女。

 小中高と同じ学校で、小学生の頃からよく快についてきた。彼女こそ、このニ周目から話す仲になった人だ。

 とどのつまり、この女は偽物の快しか知らない。


「ねぇ」


 しかし、彼女の印象は以前とかなり変わっている。小中高と同じ学校だったことは前から変わらない。しかし、かつてはかなり内向的で殆ど話した事もなかった。それが今ではクラスの中心レベルの社交性。


「ちょっと〜」


 これは自分の性格が大きく変わったせいなのだろうか、と快は首をひねる。その自分に影響されたからなのだろうか、と。

 ならば何だ、自分のタイムスリップはこの女の人生を華やかにするためのものだったのか。盛大な引き立て役ではないか。


「おい!」

「うおっ」


 ぺちっ、と両頬を軽く叩かれた感覚に視線を上げれば、目の前に偏差値の高い顔。


「無視すんな!」

「あー、ごめん。考えごとしてて」


 そして一つ、彼女には留意すべき点がある。


「かんがえごと〜?」


 彼女は今年、死ぬ。

 飲酒運転の乗用車に撥ねられて、死ぬ。

 だが、細かい日時など覚えていない。なにせかつては殆ど関わりのなかったただのクラスメイトだ。22手前だった自分が、16の時死んだ関わりのないクラスメイトの命日なんて覚えているはずがない。


「なに? 考えごとって」

「別に、関係ない話だよ」


 だから距離をおいた。わかっている事故すら防げない自分の無力さから目を背けたくて、逃げた。

 『これだけ性格が変わったんだから人生も変わるはず。事故だって、きっと起きない。』

 そんな根拠もない理想論に甘えて。


「……あっそ」

「何で隣座んの?」

「だ、め、なんですかぁ?」

「いいけどさ」


 暫く、重い沈黙。快が居心地悪さに逃げようとしたところで、えるが口を開く。


「快さ、性格変わったよね」

「……まぁ」

「成績も前より少し落ちたし」

「……少し、じゃねぇだろ」

「んー…………。」


 また、沈黙。えるは上を向き、何やら考え込んでいる。

 何を言いたいのかわからないが、成績が『少し』落ちただなんて中途半端な気遣いは、余計に堪える。やめてほしい。


「友達だっているのに、こんなとこで……」

「もういい?」


 ぐちぐちぐちぐちと。嫌味を言いに来たのだろうか。

 そりゃ、今の自分はクラスの中心カーストトップ。本来の自分を知らないぴょんからしたらこの俺は惨めなものだろう。

 なんてことを口に出すのは何とか抑えて、快は立ち上がる。


「いや、ちがっ……」


 ただ、立ち去ろうとする快を見上げる目は、嫌がらせをしにきた人間には見えない。真意がどうであれ、彼女に死んでほしいだなんて思えない。


「……車に気をつけろ」

「──!」


 そのセリフだけを捨てた背が、びりびりと痺れる。


「待って!」


 聞き慣れない大声に、快は思わずぎょっと目を見開く。


「っぱり、そう……」

「……?」


 えるは幾許か逡巡し。


「ずっと……怖かったの。こんなこと聞いて、それで……頭がおかしい、って、思われたらって……」

「……何?」


 話が見えない。


「……あの、快。」


 えるは、まっすぐに目を見て。


「タイムリープ、タイムスリップ? した?」





 放課後。

 外野のざわめきをよそに、二人は肩を並べて歩く。小学校が同じなのだ。家だって近所、方向は同じ。


「いつから、気付いてた」

「最初から……に決まってるじゃん」


 当然だ。自分がタイムスリップしたら、同時にまるきり様子が変わった同級生。疑わない方がおかしい。


「……なんで、言わなかったんだよ」

「だから、言ったじゃん。もし、違ったら……って。そっちこそ、気付かなかった?」

「ぴょんは、だんだん変わってったからさ。……俺の性格が変わったから……なんか、そのせいなのかって」


 快は己の滑稽さに笑えてくる。

 なんのことはない。快にとっての最後の拠り所にして、ちっぽけなプライド。『里中えるの引き立て役』という事象さえ、全くもって快の功績ではなかった。彼女自身の努力の結果だ。


「そっか。たしかに、そうなるかも……。ごめんね、すぐ言わなくて」

「いいよ、謝ることじゃない」


 先に謝らないでくれ。これ以上、惨めにしないでくれ。

 タイムスリップして、調子に乗って天才を演じて、今や凡人。あまりにも無様ではないか。

 快は話題をそらす。


「それより、ぴょんの事故のことのほうが大事だろ」

「あ! うん。そうだよね。ありがとう」

「いいから。……ほんとに」


 快はタイムスリップしておきながら、今日の今日までそのことに触れてこなかった。そこに、えるはツッコまない。


「って言ってもね、全然覚えてないんだ」

「え?」

「だって急に轢かれたんだよ? 日付なんて覚えてないし、てか場所も。急に車ッッ……っはい、終わり」

「──」


 言葉を失った。

 車に轢かれた、という意味を全く理解していなかった。彼女の目に映ったのは、日常を切り裂いて迫る車、それのみ。この点において彼女を責めることなど、誰にもできまい。

 命日を一番覚えていないのは、死んだ本人だ。


「……ごめんね、無能で」

「いや、そんな……俺こそ考えが……及ばなかった」


 急にどん詰まりだ。

 なぜなら。


「俺こそ、ごめん。本当にごめん。」

「……ひどー。」


 快は、彼女の命日など覚えていない。


「……なんて、うそうそ! だって私達、大して話してもないもんね!」


 本来の時間軸の二人は、ただ同じ学校に通っていただけの同級生。知り合い程度。

 たしかに事故の翌日は学校がざわついた。特に快のクラスにとっては、クラスメイトが突然死んだのだから。しかし墓参りに行く程の仲ではなく、更にはそこから六年が経っていた。

 丁度もうすぐの時期だった気がする──そんな程度、なんとなくの季節感が関の山。

 それでも、少しは力になれる。

 ほんの、気休め程度でも。


「明日から、一緒に帰る……?」

「え、いいの!?」


 目を背けていた、罪滅ぼしとして。




 そこからは奇妙な登下校だった。

 昨日まで、暫くの間まともに話しもしなかった連れ。不思議と会話は弾み、苦ではなかった。クラスメイトからは持て囃され質問攻めにあい。説明が楽ということで、付き合っているという体にした。

 変わらず時は流れ、三週間程経ったある日だった。

 その日も無事えるを送り届け、帰路につく。と言っても、互いの家の距離は徒歩3分程度。

 リビングのソファに身を投げ出し、意味もなくテレビをつける。


 ──スマホがない時って何してたんだっけ。


 そんな疑問は抱かなくなるくらい、快はこの時代にすっかり馴染んでいた。

 中途半端な時間帯のニュースを話半分で摂取する。行くこともないラーメン屋の行列、どこかの珍しい魚、小学2年生が英検何級だかを取ったなんて豚の餌にもならない情報。そして、遠くの事件や事故。

 ここに、彼女の名前が並ばない為に。

 ふと、ひとつのCMが目に留まる。

 なんの変哲もない、今夜放送のドラマの告知。今回が最終回となるこれは何を隠そう快の大のお気に入りで、サブスクに追加されたときは何度も見返したものだ。

 何かがひっかかる。

 何だ、何がおかしい?

 このドラマの話は、よく友人ともしていた。

 そして最終回。文句なしの締めだった。


 ──明日皆と感想戦でもしよう。


 あの時の快はそんな風にほくほく思いながら眠りにつき。

 そうだ。


 ──感想戦なんて、しなかった。


 できなかった。

 なぜか。

 翌日学校につくと校内がざわついていて、そんな雰囲気ではなかった。

 あの日は。

 あの日だけは。

 皆、どこか暗かった──





 ────!!


 飛び起きて、走る。

 彼女の家まで、徒歩三分。走れば一分もかからない。

 呆れる。事故は登下校時に起こるなど、誰が言った。自分の記憶でも、そんな情報はない。

 幸い里中家は戸建て。インターフォンにすぐ辿り着ける。それを押して、叫ぶ。


「すみません! えるさんは! いらっしゃいますか!」


 反応がないたった数秒に、人生一の苛立ちを覚える。

 そして応対したのは、えるの母親だ。


『あら、カイ君。えるならコンビニに──』

「──ッ!」


 コンビニ。最寄りの場所なら、すぐそこだ。まだ間に合う。まだ、まだ、間に合うはず。

 走る。

 疲労感など感じなかった。

 あるのは、身を焦がし続ける緊張。


 そうして、大通りに出たとき──


 耳に残る、衝撃音。

 何かと何かが強くぶつかった音。

 反射的に目を向けて、見てしまう。

 高速の大質量に追突されて、吹き飛ぶ友人の姿を。

 同時に。

 己の度し難い愚かさに反吐が出る。

 彼の暴走車両は複数人を轢きながら尚も走り続け、電柱だか塀だかに激突して停止した。というニュースは、覚えていたのに。

 車はまだこちらへ走り続けている。




 あ












「快ー!」

「…………」


 むくりと起き上がる。

 ふと、下を見る。

 手が小さい。

 横を見る。

 窓が、随分高い位置にある。


「ちょっと、快!?」


 寝間着のまま家を飛び出し、一心不乱に走った。

 後に家が建つ空き地。まだガタガタの道路。潰れたコンビニ、よりも手前。

 インターフォンを押して息を整える。


「あの、澤登快と申します。里中えるさんはいら……いますか」

『あら、えるのお友達? えパジャマ? ん? えどゆこと?』


 インターフォンの奥の声は困惑しつつ途切れ、数十秒後。

 玄関の扉が開く。


 自然と膝が折れた。


「ぴょん……ごめん……俺、俺バカで……考え足らずで……ほんと、マヌケだ。でも……今度は……今度こそは、日付も場所も、覚え──」

「あの」


 その声は、どうにも幼く聞こえて。


「だれ?」

「…………あ」


 この愚鈍は、いったいいつまで道化を演じ続ける気か。

 自分だけが巻き戻り、彼女はそうならなかった。

 そうなる可能性が、どうしてうかばなかったのか。


「あぁ、そっか……」


 九年後、来たる六月ニ十四日。彼女は事故に合う。

 必ず防ぐ。護ってみせる。

 だが。


「ごめん……ごめん……」

「えっ」


 つい数時間前まで共に歩き、話し、笑った彼女は、死んだのだ。

 涙が止まらない、なんて言葉は、ただの比喩表現だと思っていた。

 自分のミスで、人が死んだ。

 友が死んだ。

 今目の前にいる彼女は、快にとっては抜け殻のようなものだ。


「あの〜……」


 それでも。

 それこそ罪滅ぼし。

 今の彼女くらいは、せめて……


「おい!」


 ぺちっ、と。

 両頬を叩かれる。


「あの、ごめん。ウソ〜」


 目の前には、ニカッと笑う少女が居た。

 ……。

 …………?

 ……………………。


「はぁ〜…………」

「ごめん! ごめんって!」


 ついていい嘘と悪い嘘がある。

 これは極悪い。ごくわるい嘘だ。

 ドッキリ大成功! じゃ、ねぇ。

 どれだけ、どれだけ。


「はぁ……じゃあ、ちゃんと三回目のぴょん、なんだよな?」

「……三回目?」


 快の言葉に、えるは少し眉を寄せて首を傾げる。


「元々の人生、一回やり直してまぁ〜俺が無様に失敗したのが二回目、で今。」


 えるは少し唸りながら快の目を見つめ。


「んー、と。あ! はいはいわかった。うん! そだよ!」

「なんだよボーッとして」

「ごめんごめん。こうやって時間が戻るの2回目とはいえさ、急に小さくなるの変な感じで、まだぽわ〜っとしてるの」

「あぁ、それはまぁわかる」

「んじゃ! とりあえず。」


 今度こそ、あの事故を乗り越える。

 そう固く誓って手を結ぶ。

 そして。


「三回目。うん、三回目……だからね。三度目の正直だね」

「……? おう、だな」



 今度は、私が救う番だ。



 それは言葉に出さず、胸の内で。

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