踏み入れた先は青恋迷宮
私のことをいい子ぶりっ子と揶揄して、嫌っていると公言して憚らない一ノ瀬くん。何故か私にだけ当たりがきつい一ノ瀬くん。そんな一ノ瀬くんの私に対する態度の酷さは、クラス中のみならず、学年いや学校中に知れ渡っていたりする。だからこそ『大嫌いと公言している』という表現を使ってみたのだが……。いざ言葉にしてみると、想像以上に言葉の破壊力が凄まじく、心底ビックリしてしまう。自分自身、一ノ瀬くんの態度を理解は出来ずとも納得してきたはずなのに、まるで自打球を受けたかのようなダメージに困惑してしまう。
「えええええ……。何で、どうして一ノ瀬なのよ……」
矢野ちゃんが狼狽する反応も想定内なら、うわ言のようにつぶやく矢野ちゃんの反応も想定内。とは言え、本気で心配を掛けてしまっている事実は胸が痛む。
だけど、それ以上に矢野ちゃんが想定内の反応をしてくれたことに歓喜している気持ちが大きかった。私と一ノ瀬くんが対局の存在として、そして絶対に交わることがない関係として認識されればされるほど満たされていく感覚を痛感して、乾いた笑いを浮かべる他なかった。
実際、校則通り制服を真面目に着こなし提出物を忘れず提出している私と、生徒指導室への呼び出しの常連になっている一ノ瀬くんが校内で絡むケースはまずない。そんな二人が仲良く寄り添う未来を想像しようとしても、現時点で仲良く寄り添う姿が皆無な状況では想像力の限界にすぐぶち当たり、想像することさえ出来ないだろう。というか、実のところ私自身も一ノ瀬くんと仲良く寄り添い歩く未来なんて望んでいなかったりする。だからこそ、他人が仲良く寄り添う未来を想像出来ないことに関しては何一つ問題視していないし、想像が出来ないことを咎めるつもりも卑下するつもりも更々ない。むしろ、想像が出来ない状況を改善する必要さえないと思っている。
しかし、私が一ノ瀬くんと仲良く寄り添い歩く未来を望んでいない事実を現時点では把握しきれていない矢野ちゃんは本気で混乱してしまっている。
「何で、どうして……。あんなに選り取り見取りのくせに、どうして厄介な相手を好きになっちゃうのよ……」
矢野ちゃんは選り取り見取りと表現してくれているが、言うほど選り取り見取りな状況とは思っていない。だが、何度も告白現場に遭遇している矢野ちゃんだからこそ、敢えて絶対に相容れない相手を望むのではなく、自分に好意を寄せてくれている相手で手を打てば幸せになれるはずと思ったのだろう。さすがに矢野ちゃんの現実的な発想に至る気持ちが理解できないほど馬鹿ではない。しかし、曲がりなりにも理解することは出来ても、納得することだけはどうしても出来なかった。
それにしても、相変わらず矢野ちゃんは志がとても高い人だとつくづく思う。これほど衝撃的な会話が繰り広げられていく中で、取り繕うことなく本音が混じった疑問の声を上げてはいるものの、否定の意味を含めたフレーズだけは絶対に漏らさなかった。力なく呟く言葉の中にだって『嘘』というフレーズも『ダメ』というフレーズも、絶対に含めることはしなかった。
人は衝撃を受けた時など、取り繕う余裕がなくなった際に漏らす言葉には本音が多く含まれやすい。そんな本音が入り混じる中でマイナスなフレーズが絶対に飛び出さない事実は、潜在的にマイナス思考を削ぎ落とす訓練を日々行なっていて、初めて出来ることだろう。そう思うと、本当に矢野ちゃんの志の高さには頭が下がるばかりだ。
相変わらず動揺している矢野ちゃんのつぶやきは、きっと矢野ちゃん自身が納得いかないからこそ、疑問がとめどなく溢れ続けているのだろう。そして、その根底で私の幸せを願ってくれているからこそ、私の気持ちを無下にし兼ねない一ノ瀬くんへの恋心を否定するフレーズを避けてくれているのだろう。
どんなに動じていても絶対にブレない矢野ちゃんの優しい気遣いから、本気で私の未来を憂いてくれていることがヒシヒシと伝わってくる。だからこそ、私は矢野ちゃんに対して全力で本音をぶつける決意をかためて、今一度腹を括って話しを進めていく。
「うーんと、だからね。一ノ瀬くんが私のことを好きにならないからこそ、一ノ瀬くんのことが好きなのよ」
「……は、い?」
矢野ちゃんから素っ頓狂な声が返ってくることも、訝しげなまなざしで見つめられることも、全て織り込み済み。だからこそ、矢野ちゃんの反応に怖気付くこともなかった。
「一ノ瀬くんは、私のことを絶対に恋愛感情を持ったまなざしで見ることはない。だからこそ、私は一ノ瀬くんのことが好きなの。さっき、片想いだからこそ良いと言ったのも、両想いにならないからこそ良いと言ったのも、全てはそういうことなの。つまりは、失恋ありきの恋という訳なの!」
「ええええええ……」
絶対に好かれることのない安心感こそ、私が一ノ瀬くんを好きになった最大の理由。ともすれば、一ノ瀬くんが持っている最強の魅力とさえ思っている。
他人には理解され難い、実らぬことが前提の恋心は、育み育てて実らせてゆく通常の恋心とはまさに正反対な逆走ロマンスとでも言えるだろうか……。
自分自身、なかなかにぶっ飛んだ発言をしている自覚はある。だからこそ、矢野ちゃんの困惑しきりの相槌も、渋そうな表情も全て理解することが出来る。だけど、願わずにはいられなかった。そんな矢野ちゃんだからこそ、理解して欲しいと、少しばかりのエゴと欲が、隠れることなく会話の端々に滲み出てくる。
「まぁ、納得して欲しいとは言わないけどさ。でも、矢野ちゃんには理解してもらえたらうれしいかな」
私自身、これが一般的な恋心から遠くかけ離れた感情であることくらい、嫌というほど理解している。嘘を一切含めていない、失恋ありきで好意的な感情を抱く行為が、一般的な恋愛と逆走しているということも……。だからこそ、私の恋心に同意して欲しいと矢野ちゃんに言うつもりは更々なかった。だけど、真っ正面から真摯に尋ねてきた矢野ちゃんだからこそ、私も駆け引きなしに真っ正面からの真剣勝負に挑みたいと思ったのだ。
だけど、誤解しないで欲しい。決して、矢野ちゃんを言いくるめるつもりも、無理強いして同意を求めるつもりもないということを。ただただ自分の本音を真っ正面から逃げずに伝えるという意味合いで『真っ正面からの真剣勝負』というフレーズを用いたに過ぎないということを。
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