第52話

「なるほど、それで自分自身のためのドレスを作りたいと」


手渡されたデザイン画に目を通す朝霧の姿は、先ほどまで柔和な笑みを浮かべて栞達と話していたのと同じ人間とは思えない。服を生み出すことを生業とした、デザイナーとしての姿が其処にあった。

自作したドレスを着た玲もやはり緊張しているのか、固まったまま頷くだけで返事はない。


「自分のためのドレスを作る、というのは実は何よりも難しい。誰かのためのドレスは、その人が喜んでくれる姿を想像して作ることが出来る」


だが、と朝霧は続ける。


「自分のためのドレスは、己を表現するドレスだ。自分の事を知り、受け入れたうえで作らなければならない」


淡々と紡がれるその言葉に、ソファーに身を寄せる三人は黙ったままだ。

朝霧の手元には、玲が今まで何度も捨ててきたドレスのデザイン画、そしてヒナとして生きるために作ったドレスが数着置かれている。ゴシックロリータを基調とするドレスを一枚手に取り、朝霧は玲に視線を向ける。


「……今君が着ているドレスも独学で学んだとは思えない程に、デザインも縫製も綺麗だ。でも、これは君の為に作られたたドレスではない」


朝霧の言葉に、玲は項垂れたまま静かに頷いた。今朝霧の手元にあるのは、全てヒナとして生きるために作ったドレスたちだ。それを朝霧は一目で全て見通してしまったというのだ。


「このデザイン画も、ドレスのデザイン自体は確かに悪くない。だけど、全て何かを意図的に隠そうとしているように思えるんだ」

「それ、は……俺、どんどん体が成長してきてて、ドレスを着るには……」


身体が成長すれば、どうしても足や腕は男らしい筋肉質なものになってしまう。ヒナの時に着ているような短い丈のスカートを着るのはいずれ難しくなる。だからこそ、男性らしい身体を隠すために、レースやフリルをふんだんに使ったロングドレスを考えていたのだ。


「隠すことは決して悪い事ではないよ。でも、今君が作りたいのは『君自身』を表現するためのドレスだろう。大切なのは、変わることを受け入れることだ」


先に進むために変わる事。それは決して悪い事ではない、と朝霧は続ける。


「君が心から着たいと思えるドレスを作ると良い」


玲は朝霧の手から、自分が何度も書いては捨ててを繰り返したドレスのデザイン画を受け取った。確かにこれを描いている時、一度でも「心から着てみたい」と思ったことがあっただろうか。

姉のデザインを模倣し、変わる事を恐れてデザインしていたのではないだろうか。

ならば、今自分が一番「着てみたい」と思えるドレスはなんなのだろうか。


「あ、りがとうございます!」


脳裏に浮かんだイメージに、玲は立ち上がると朝霧に向かって頭を下げた。


「ドレスが完成するまで相談に乗るよ。いつでも来ると良い」

「……良いんですか?」


レナエルのデザイナーと言えば、多忙を極める身の上だろう。それを一個人の問題に付き合わせてしまっても良いのだろうか。不安げな玲に、朝霧は楽し気に笑う。


「俺に取っても、二人から良い返事を貰えるかどうかが掛かっているからね。今度は何を企んでいるのか分からないけど、是非成功させてもらわないと」


にこりと含みのある笑みを浮かべたまま、朝霧は栞へと視線を向ける。その意味を理解することが出来ず、玲はただ首を傾げるだけだ。


「……できそうな気がする。楡井さん、マリーさん。手伝ってくれる?」

「ええ、もちろん!」

「朝霧さん、ありがとうございます」


一秒でも時間が惜しいのだろう。荷物をまとめ、挨拶もそこそこに扉から駆け出していく三人の後姿を朝霧は静かに見送った。


「あら、あの子たちもう帰ってしまったんですか?」


様子を見に来たのだろう。女性店員がスタッフルームのソファに腰を掛ける朝霧に声を掛け、そして僅かに眉を寄せた。一人きりで座る朝霧が、楽し気に笑っていたからだ。


「何か楽しい事でもあったんですか?」

「いやぁ、青春とはすばらしいものだと思って」


まるでごまかす様に戻された言葉に、女性は一体何のことかと首を捻った。



◇◇◇




「で、できたね……!」

「ドレスは沢山持っていたけど、作るのをお手伝いしたのは初めてよ!」


楽しかったわ、と心の底から笑うマリーと顔を見合わせ栞も微笑んだ。時間にしたら一週間ほどだっただろうか。栞やマリーも小物や装飾品の手伝いをしたが、デザイン画からドレスの製作まで一手で引き受けた玲の疲労は自分達とはくらべものにならないだろう。

だが、トルソーに掛けられたドレスを見る玲の目は、僅かに疲労は滲むもののそれ以上に輝いて見えた。


「まさか一週間で作ってくるとは思わなかったな」


朝霧はトルソーにかけられた、出来上がったばかりのドレスへ手を伸ばし目を細めた。

その真剣な眼差しに、部屋の中に緊張の沈黙が落ちる。

朝霧は普段は穏やかな性格だが、服の事になるとまるで別人のように厳しくなるのだ。それは栞が初めて朝霧と出会った時に身をもって知っている。もちろん、それは彼が誰よりもドレスを愛しているからに他ならないのだが。


(大丈夫、玲君の作ったドレスだもの)


だが、そうはいっても流石の玲も緊張しているだろうか。

僅かな不安と共に隣に立つ玲を見れば、まったく迷いのない表情を浮かべていた。迷いの一つも感じられない、前だけを見るその顔を見て栞は確信する。

間違いなく彼は自分のためのドレスを作り上げたのだと。


「……お世辞抜きに素晴らしいドレスだ。玲君と言ったね、これは間違いなく、世界に一つだけの君のためだけのドレスだよ」

「ありがとうございます」

「それにしても縫製もデザインも独学だろう?専門の場所で学べば、才能も伸びるだろう。もしその道に進むつもりがあるのなら、また声をかけておいで。何か助けになれるかもしれない」


まさか作りあげたドレスをここまで褒められるとは、玲自身も思っていなかったのだろう。憧れの人に褒められた嬉しさで頬を朱に染めたその姿に、マリーと栞は歓声を上げた。


「すごい、玲君……朝霧さんにこんな風に言ってもらえるなんて、やっぱり玲君はすごいんだよ」

「明日の舞踏会の成功は間違いないわ、大丈夫よ」

「おや、次の舞踏会は明日なのかい?」

「ええ、今回は残念だけど貴方にもお城の場所は秘密なの。ごめんなさいね」


申し訳なさそうに目を伏せるマリーに、朝霧は気にすることはないと笑いかけた。


「そのドレスのお披露目を見れないのは残念だけれど。舞踏会の成功を祈っているよ」

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