第47話

店内に響く小さなベルの音に、バーのカウンターに座る女性……いや、ドレス姿の男性が顔を上げる。


「折角来て頂いたけど今日はお店はお休み。また明日いらして……って、あら」


扉をくぐって表れた二人組に、バーの主人は驚いたように目を瞬かせた。

現れたのは店には不似合いな制服姿の女子高生と、同じ年頃のプラチナブロンドの外国人。珍しい組み合わせの二人だが、その二人に最近であったばかりだ。

道端で捨て猫のように蹲っていた子供が、はじめてできた友人として連れてきた二人組。

そんな彼らが、今度は二人だけで店にやってきたのだ。


「ヒナに会いに来たの?残念だけど、今日は店がお休みだから来てないわよ」


店主の言葉に、少女の一人が首を横に振る。


「今日は、ヒナ……沢城君のことで話がしたくて、ここに来ました」


この街で働いている以上、ある程度相手の表情で何をしたいかは読めるようになってしまう。彼女たちは「玲には聞かれたくない話」をするために、この店にやってきたのだろう。


「おはいりなさい、未成年にお酒は出せないけどお茶くらいは出せるわよ」



◇◇◇



「……あの子が、自分から全部話したのね」


カウンター越しに座る少女を見下ろしながら、店主はそっと息を漏らした。

昨晩店に来た玲の様子から何かあったのは察していたが、まさか玲自ら自分の過去を誰かに打ち明ける日が来るとは思わなかった。

普段は騒がしい店内も、今は音楽もなく静まり返っている。こんな時はあの子を拾ってきた夜のことを思い出してしまうのだ。


「玲を拾ったのも、丁度お店が休みの日だったわ」


そうだ。あの日も今日と同じ、店が休みの日だった。

休みにも関わらず店に向かったのも本当に偶然だった。雨だというのに相変わらず客引きやら何やらで雑然としたこの街で、ふと暗い路地裏で何かが動いたような気がしたのだ。

この街では路地裏に泥酔した大人が転がっていることなど珍しい事ではない。自分も含め、大抵の大人たちは厄介ごとから目を背けるのが日常茶飯事だ。にもかかわらず、まるで何かに呼ばれるようにその路地裏へと足を向けてしまったのだ。

空になった酒缶やゴミが落ちるその路地裏に蹲っていたのは、捨て猫によく似た、いわゆるロリータ服というドレスを身にまとった少女、いや少年の姿だった。


「……貴方、そのドレスを好きで着ているんじゃないの?」


目の前の女性の格好をした自分から、男の声低い声が漏れたことに驚いたのだろう。人形のように冷たい表情をしていた少年の顔に初めて人間らしい「驚き」の色がにじむのが見えた。

店主にとって男性が女性のドレスを身にまとっているのは決して珍しい事ではない。むしろ彼の店は、そういった者たちが自分らしく居られる場所として働くことが出来る場所なのだ。

誰に何を言われても自分の好きな格好で、自分らしく居られる場所。

だからこそ、目の前の少年が不思議だった。誰よりもドレスが似合う容姿をしながら、そのドレスを着ている姿が全く幸せそうに見えないのだ。


「……この服を着ていても、俺は姉さんになれないから」


諦めたように呟く言葉に、店主は悟る。目の前の子供は必死に大切な誰かの「ふり」をしようとしているだけなのだと。このまま見捨ててここを離れればきっとこの子供は壊れてしまう。

だからこそ手を差し伸べたのだ。

汚い繁華街の片隅で濡れて震えていた少年は、男でありながら女の格好をした自分には僅かではあるが、心を開いてくれたのだ。


「誰かのふりをして苦しむくらいなら、玲でも陽菜でもない。貴方のことを誰も知らない『ヒナ』でいなさい」


一時だけでも新しい名前を与え「大好きなドレスを着て幸せでいられる場所」を与えてあげられるように。

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