第15話 早急にファスナー

 10分ほど歩いただろうか。大通りを横切り、建物に囲まれて影を落とした通路で右折と左折を一度ずつ。そうして着いた店は、俺の知っている服飾系の店舗ではなかった。


「ここは、古着屋?」


 思わず口走ると、リラは訝し気に俺を見上げる。


「オズってさ、実は異国の上流階級? 言葉遣いも態度も仕草も普通極まりないけど」

「……普通極まりないのに、そんな訳ないでしょ」


 「だよねー」とリラもそれ以上ツッコむことはなかったが、こいつモノを知らねえなと察知したのか説明を付け加えた。


「貴族様とか金持ちさんはたびたび服を作ってもらうけど、私らは古着を縫い直したりするのが普通。二、三着自分のために誂えた服持ってたら上等な方だよ」


 別に俺もこの世界にアローズやBEAMSがあるとは思っていないが、なんとなく寂れた商店街にある購入層不明な婦人服店みたいなところに連れていかれるとイメージしていた。しかしなるほど、この時代はまだ服はオーダーメイドが一般的なのだ。新品の既製品という概念が無いに等しい。


「ほらほら入るよー。ウチの宿に来るくらいだから、金持ちでも貧乏でもないでしょ?」

「わかった。ぐいぐい押すな」


 店舗のかまちを踏んだ瞬間、ベルがなった。


「おっちゃーん、若い男いっちょう!」

「あいよ! いただきます!」

「……」


 注文の多い服飾店ではないことを祈ろう。


******


「おー、……すごい似合うね」

「今日ちょうど入ったのよね。素敵よ、オズくん」


 リラと、店主である筋骨隆々の漢の中の漢、『グリさん』ことグリゴアさんに何着か見繕ってもらった服は、現代人の俺でもそこまで躊躇しない服だった。とりあえず財布と相談して上下二着分を購入する。一着は藍色、もう一着は黒に染められた服。それと下着も何着か買う。これは新品だった。聞けばグリさん手製だそうで「私の愛情があなたの素肌を守るわよ」と言われた。着たら鳥肌が立つかもしれない。


「にしても、あなた本当にきれいな黒髪ね。それに瞳も真っ黒。となるとド定番だけど、やっぱり暗色系を選びたくなっちゃうわね。んー、とってもクール」

「私は青系も似合うと思ったんだけど、無いならあきらめるかぁ……」


 思いのほか残念がっているリラと満足げなグリさんに一先ずお礼を言って、後は軽装でいいので上着と靴が欲しいと伝えると、リラはうーんと唸った。


「別に安物揃えることはできるし、お店も紹介できるけどあんまりおススメしないかな」


 俺は首を傾げる。開拓者組合では大概が多種多様のジャンパーっぽいものか外套を着ていた。俺だって防寒着の一つくらいはほしい。そう言うと、リラは目線でグリさんにパスを送った。キャッチしたグリさんが説明してくれる。


「リラの言う事はもっともよ。たとえ布だとしても、服は身体を一番近くで守る『装備』なの。あなたの左胸に心臓が一つしか無いのなら、一度死ぬだけでおしまいよ。そうなる可能性を減らすために、良いもの身に着けときなさい」


 「靴はこだわる人も多いけどね」と言って話を終えたグリさんと、その隣でこちらを伺うリラを見て俺は頷いた。


「ありがとうございます。……そうですね、安物買って死んで後悔するよりは、多少貧乏になってもマシなもの着ることにします。―リラもありがとう」

「んふふー。いえいえ」


 しかし、だからと言ってくすねた財布の中身は変わらない。開拓者としての依頼を受ければ、その日の内に金銭を手にできることは知っているが果たして俺にできるのかも、そうそう手頃な依頼があるのかも分からない。

 悩んでいると、ずいと身を乗り出してグリさんが俺に近づいた。彼の視線は気のせいか俺の下半身に注がれている。

 俺の本能の火の見やぐらが江戸の大火並みに警鐘を打ち鳴らす。もしや今日三度目の戦闘は己の貞操を守るために開始されるのか、と身構えたところでグリさんが口を開いた。


「ちょっと提案があるんだけど」


 一晩でどう? とか提案されたら、良い人だけど穏便に断ろう。そうしよう。



「少し見せてくれないかしら。 ―あなたのそのズボン」



 ……


「……どうぞ?」


 とりあえず貞操は守られた。



――


「っすっばらしいわ……!」

「ええ? どうなってんのこれ。あ、ちょっとグリやん持ち上げないでよ! 見えない!」


 稜線に近づいた太陽が染める朱色の光に透かすように掲げた俺の脱ぎたてスラックスを、逞しいオネエと可愛い子が取り合っているカオスな光景をぼんやり眺めている。


「早急にこの『ファスナー』?の機構を解明したいわ。どうやってこんな精緻に噛み合わせているのかしら」


 スラックスの股間部分を穴が開くほど見つめるグリさんを蚊帳の外から見つめていると、思い出したようにグリさんがこちらを向いた。


「あらごめんなさい、こんなに興奮したのは久しぶりで」

「いや大丈夫ですよ。それで、提案というのは?」


 言われて気付いたという風な顔したグリさんが、こちらにしっかりと向き合って、スラックスを俺の目の前に突き出した。


「提案というのは他でもない。―このズボン譲ってくれないかしら? もちろん代金は奮発するわ。オズくんはそのお金を上着と靴の軍資金にしなさいな」


(なるほど)


 悪い話ではない。しかしそのズボンは地球人としての自分のよすがでもあったので、簡単に手放すことは難しかった。

 俺の表情から何か悟ったのか、グリさんは熊のような巨体に似合わぬ優し気な目で俺を見返した。


「大切な服だったみたいね。……ではこうしましょう。これは私が買い取るけど、勝手に他人に売ることはないと誓うわ。あと、私はこのファスナーを作ってみるつもりだけど、無事作ることが出来たその時は、オズくんに支払った額と同じ額で買い戻す権利を与えるわ」


 なるほど、担保みたいなものか。もしかしたらこの時代でもよくある商形態なのかも。

 そもそもスラックスの売買を渋ったのもただの感傷センチメントであるし、こちらをおもんぱかった好条件での取引を敢えて退ける理由は無かった。


「ありがとうございます。では買い取りお願いできますか」

「きゃーうれしいわ! ありがとう!」


 この後、けっこうなお金を支払ってくれたグリさんにおススメの防具店を教えてもらい、着いてきてくれたリラと一緒に上着と靴を買いそろえた。

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