第7話 〇〇そうそう
あの母子にしたことを吹聴されては困るので、舌を裂いた。
これまで好き勝手生きてきた人間の、その手と足が突然動かなくなり、突如喋れなくなるのだ。
できれば自分の所業を後悔しながら死にたくなったら勝手に死んでくれ。
放り投げた男を見下ろす。もちろん特別な感情はあったが、激しい動揺はなかった。
「……いや」
そう思っていたが身体は意外にも心以上に敏感だった。赤黒くなったナイフを持つ手が震えて止まらない。すぐそばの川にナイフごと手を突っ込み激しい水音を立てて揺すった。
こびりついた血液が川にほぐれて溶けていき、拡がって薄まってやがて透明な水に戻っていく。その過程をぼんやり眺めている間に手の震えは止まっていた。
「よしっ」と独り
「腹減ったな」
進むにつれて背の高い木々が減っていき、進行方向からも青い空が斑に漏れ見えるようになってきた。森の切れ目が近いはずだ。
それからさらに30分ほど歩いただろうか。幸い何かに襲われることも襲われている場面にも出くわすことが無かった。
やがて突然に目の前が開ける。
その瞬間、飛び込んできたのは空と草原。
そして、風雨に晒され景色に溶け込みつつも人工物であることを隠しもしない城壁が、旅人を待つように静かに居座っていた。
ここらの土質なのか、淡い黄土色のレンガで積み上げられたような高い城壁の街が、青い空と草原の緑に良く映える。目を凝らせば、同じような城壁に囲まれた街が遠くに見える。あれがもう一つの街だろうか。
「いや、異世界だわこれは……」
紛れもなく異質で別世界の景色。
しばし目の前の風景に見入った後、ハッと気づいて俺は自分の装いを確認した。
野盗どもが所持していた金品は既に失敬済み。しかし身分証も紹介状も交通手形も持っていないので入れるのかは微妙だ。できれば野宿は勘弁したいところだが、と考えていたその矢先。
風が舞って、背を後押しした。
俺は深く考えることを止めて、青々とした草の匂いを目いっぱいに吸い込んで再び歩き出した。異世界だろうが、同じ人間がいて、街がある。営みがある。
まあ、どうにかなるだろう。
――
「いや待て待てお前。難なく通ろうとすんな」
前の人に
「なんでだよ!」と問い詰めたいが、事実自分はついさっき異世界転生した身であり、ついさっき殺人までカマした身であり、確かに事実無根だとは言い難い。
ああ神よ、この世界の衛兵はすこぶる優秀です。
そして融通が利きません。
「なんだお前、変な恰好してるな。新手の商人か? というか血が出てるじゃないか。大丈夫か?」
しかし続く言葉は詰問ではなく質問だった。てっきり連行されて尋問されるかも、と戦々恐々していた俺は肩透かしを食らう。三人いた衛兵のうち二人は先ほど質問してきた一番年若い彼に任せたようで、未だ城門を通ろうと列を成している人間の対応に戻っていく。
「あぁ、これは自分の血ではないので」
「ふうん?」
しまったな、馬鹿正直に答えてしまったと思ったが、その衛兵は俺の言葉を聞き流した。おいおい優秀かと思ったらザルなのかい?と呆れたがこちらとしては助かるので何食わぬ顔で愛想笑いする。
「で、なにか身分を証明できるものはあるかい」
「えーっと」
俺の困ったような声に、衛兵のお兄さんは特別表情も変えず気さくな態度を崩さない。
「荷物
「―ソウソウ?」
ふるいアルバムめくる?
「……おいおい、あんたどっから来たんだよ? 確かにここらじゃ見ない容姿だがよ」
「いや、そうですね。まぁ、とても遠くから」
再びお兄さんは「ふうん」と受け止めた。そしてそれ以上何も言わずにおもむろに目の前で手を握って開く。
「!!」
すると、周囲に粒子が舞い、徐々に光となって収束する。
俺が凝視する中、やがて彼の手に握られていたのは一振りの直剣だった。
「ここらでは『神から贈られた装備』って意味で
しかし俺はその言葉に反応できなかった。
(何も無いとこから剣が現れたぞ?)
もしやこいつ具現化系なのでは?
いや落ち着け、ここで驚いてしまえば本当に不審者だ。
(そう言えば)
消したり出したりはできないが、俺にも神らしき二人から直接贈られた装備があった。おそるおそる胸ポケットから折り畳みナイフを取り出すと、衛兵兄さんは一瞬不審そうな顔をし。
次の瞬間、目を見開いて固まった。
「……どうしました?」
今度は逆に反応しなくなったので聞き返すと、金縛りが解けたようにハッとした顔をして俺を見る。
「それ、しまえるか?」
言われた意味を咀嚼した後、とりあえず自分の手の中に吸い込まれるイメージをすると、お兄さんの時とは違って一瞬でナイフは消え去った。衝撃の事実「手にナイフをしまえる俺」を目にしても平静を装っていた俺であったが、衝撃度合は兄さんの方がデカかったようである。
「早い」と呟いて再びフリーズしていた。
彼の硬直が解けたのはもう少ししてからだった。
「いやすまん。少し、驚いた」
気を落ち着けるためか深呼吸した衛兵兄さんは「俺はハラスという」と名乗った。兄さん兄さんと心の内で連呼しているがおそらく俺よりも若い。
「あんたの名前は?」
これは答えられる。
「オズといいます」
オズか、と繰り返したハラスは左手を差し出した。思わず俺も握り返す。
「その様子だと、まだ登録してないんだろう?」
手を放したハラスにそう言われてきょとんとした俺の顔で察したのだろう。苦笑しながら説明してくれた。
「開拓者組合だよ。やっぱ商人じゃなさそうだしな」
そこでざっくりと教えてくれた。
贈装とはいわば、指紋やDNAやマイナンバーカードのように個々で形状や素材が違い、それを身分証明に利用していると知る。また贈装は生成した本人しか取り込めない。組合側は贈装と持ち主を紐づけることさえできればある程度は管理できるという訳だ。
(もし法を犯して追われたとしても、遠くの街に逃げれば何とかなりそうだな)
と言っても管理はやはりある程度どまりである。近代文明のようにネットワークで情報を共有することができないので致し方ない。日本だって戸籍が体系化され始めたのは明治初期だ。それを考えればこの世界の発展具合と比較して、贈装というものがあるだけ身分証明制度としてはかなり進んでいるとも言える。
何か察したのかかなり基本的なことから説明してくれたハラスに礼を言うと、とりあえず言われた通り開拓者組合を目指すことにした。
「そうそうオズ。開拓者組合の受付には美人が揃ってんだけど、端っこに怖え顔した白髪オールバックのおっさんがいるから、そいつに『ハラスから勧められて来た』って言いな。 ……必ずだぜ?」
なにかの罠だとは思わなかった。なので素直に返事をした後、ふと思い至って懐に手を入れ、大き目の銅貨を取り出して投げ渡した。城門の通行人がたまに手渡しているのを見たからだ。チップみたいなものかもしれない。
「気前がいいな」
と笑ったハラスは「追加サービスだ」と言っておすすめの宿を教えてくれた。ありがたい事である。
困ったことがあったら俺のところに来てもいいし名前を出してもいい、とまで言ってくれた彼に頭を下げ、ついに俺は街に入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます