第6話 2033年4月24日 決戦前夜

 4月にもなると、19時頃でもまだ空に明るみが残っているっけ。地上にはまだ夕方の雰囲気が漂っていて、人々は足早に帰路を進んでいくんだ。先日、三人で食事に行った時の地上の情景が、私の中で自然と思い起こされていた。

 地下で過ごすことが日常になって、そんな当たり前の自然も社会も体感できなくなっている。研究に没頭するあまり、私は地上での生活を手放してしまったのだ。外界からの情報は疎外され、私は周囲の動向に無知で鈍感になっていたみたい。自分の身に迫る危険にすら気付けていなかったなんて、まだまだ危機管理がなってなかったんだ。


 翌日の遠征を控えている私と富永ちゃんは、天間くんに全てを託し、恐らく地上はまだ明るいであろう早めの時間に上がった。

 私は、今日は宿直室に泊まり、明日の朝に江戸川橋駅に向かう。富永ちゃんは、私よりも早朝に明日、津へ発つ。彼女は、今日はラボの宿直室には泊まらず、自宅に帰りたいと言っていた。最後にもう一度、この目で東京の街を見ておきたいとも——

 津に行くなら絶対私の方が良いはずなのに、天間くんは何故富永ちゃんを指名したのだろう。やはり、彼の考えていることは分からない。

 富永ちゃんと一旦のお別れの前に、私は彼女から真相を聞き出そうとした。廊下から彼女の足音がコツコツと響いている。


「ねえ教えて。この研究の裏で何が動いているの? あなた達は何を知っているの?」


 富永ちゃんは足を止めた。廊下前途の天井オートライトは彼女に気づいておらず、灯らないままで反応しない。灯の無い地下の廊下は、闇同然に暗くてとても薄気味悪い。


「もう終わりみたいなんでお話しします。私達、千原さんを利用するために、ここに派遣されて来たんです」


 彼女は暗澹を前に言い放つ。


「私を利用?」

「はい。犬束所長の指示で。

 千原さんの研究については、本部でちゃんと議論されました。過去を書き替えてしまうのは慎重を要する技術だって、論争に発展するくらいに。皆の主張は纏まらなくて、その研究の全面禁止派と、管理下での研究推進派に研究機関が分裂してしまい、それぞれの派閥ができました。私も卓郎も、そして犬束所長も後者に付きました。どんな研究でも推進されるべきだし、私自身もその成果に興味があったので。

 犬束所長は、推進派のリーダーでした。強引にでも、千原さんの研究を進めさせることに積極的でした。けど、あの人は千原さんの研究技術を私的利用したいだけだったんです。研究技術を材料に闇組織と手を組んでいて、目的のためなら手段を選ばない。人を傷つけることも辞さない。犬束所長は、本当はそういう残忍な人なんです」

「犬束所長と……闇組織!?」

「この特設ラボの建設費も、多分そこから——」


 犬束所長は私のために手を尽くしてくれた。そんな人が、私を利用しようとしていたなんて俄かには信じられない。


「犬束所長のヤバさに気付いた時には、既に遅かったです。その推進派の私達は腕にマイクロチップを埋め込まれて、組織の管理下に置かれるようになりました。反対派の人たちについては、問答無用に次々と消されました。抗うこともできないまま、私と卓郎は千原さんの助手として、千原さんの研究成果を監視する様に命令されて、ここに派遣されて来たんです」


 廊下に響く富永ちゃんの言葉は、衝撃になって私に響いてくる。私が研究でこの地下ラボに籠り続けて10年、恐ろしい事態が研究機関の界隈で進行していたらしい。


「前も言いましたように、漠然とですが、私には未来のイメージが見えます。絶対にこのままじゃ不味いと思って、卓郎に協力して組織を欺こうと持ち掛けました。卓郎は未来の話になると信じてくれませんが、私に協力の姿勢は示してくれていました。毎回の学会発表や報告書の内容は上手く取り繕ってもらって、研究がそれほど進捗していないのを違和感なく演じてくれてました」


 私が通ってきた背後の廊下の照明が消えた。通過を感知してから一定時間がたったみたいだ。私達は廊下の両サイドに蔓延る闇に挟まれ、頭上の蛍光灯はピンスポットライトの様に二人を照らし出している。

 佇む私は、事務的な作業を全て請け負ってくれていた天間を顧みた。世紀の大発見も大きな進展も、これまでひた隠しにしていたのにはそういう訳があったのか。


「でも時間稼ぎが限界になったから、とうとう本部に私の研究のことを伝えざるを得なくなった、ていうこと?」

「どうでしょうね。どんな形であれ、本部から撤収の知らせを受けたんでしょう。千原さんの夢に手が届く寸前のところまで来てたのに、こんなタイミングで終わりを宣告するなんて。私達は今まで泳がされてきたとしか思えません。この収穫の時まで」

「私の開発品も長年の資料も、全部本部に没収されちゃうのかなあ」

「それだけならいいですけど。過去の書き替え技術が手に入ったら、後はあっちで好き勝手するつもりでしょうから、組織に反抗しようものなら簡単に消されてしまいます」


 声が震えている。


「私には、研究を完成させる以外に抗う術が無いんです……」


 顔を見なくても、富永ちゃんが歔いているのが分かる。


「卓郎は、私にも肝心なことは教えてくれません。あいつに頼るしかないけど、あいつを信じるしかないけど、あいつは敵かもしれない。それでも、味方だと信じて私は従うしかない。一人で何とかできるほど、私は強くないから……」

「もし天間くんが敵なら、どうして私達に、最後に協力する素振りを見せたんだろう? もう研究は完成の域に入っているから、これ以上私達を泳がせる必要も無いのに」

「さあ。明日の私達の留守を狙って、ラボから全部持ち出すつもりじゃないんですか。私はまだしも、明日、千原さんをラボから出すポジショニングはどう考えてもおかしい。絶対あの男は何か企んでます」


 天間くんを傍でよく見てきたつもりだったけれど、やっぱり彼は何を考えているのか分からない。富永ちゃんの見える未来を信じないだとか、過去は変えない方が良いとか。保守的で現実思考な意見を持つ割には、過去が書き替わった先の未来が楽しみと言って、不可解にも私達に協力してくれる。彼の目的は一体何なのだろう。

「この世界ごと終わらせてやる」とも言っていたっけ。それがどういう意図を持ってのことなのか、私にも分からない。ただ、私は天間くんを信用していたから、この期に及んで彼が裏切るとも思えない。そう思ってしまうのは、私が猜疑心の薄いお人好しだからだろうか。それとも、富永ちゃんみたく、彼が味方であることを切に願っているからだろうか。彼の真意が何であれ、私と富永ちゃんには、彼を信じる以外に選択肢は無い。


「私、もう行きますね。最後の希望を信じて、津に行かないといけないので」

「あ、そうだったね。遠いけどよろしくね」

「それが叶わなかったら、三重県でひっそりそのまま生きていこうかな。マイクロチップ埋められている以上、組織に私の居場所はバレますから、見つかって始末されるまでの間でしょうけど」


 彼女は、既に己の死すらも覚悟の上だった。私には、そんな彼女に掛けられる言葉が浮かばなかった。私は何も知らずに、安住の地下ラボで研究に没頭していただけの人間だから。


「また会えたら良いですね」


 富永ちゃんは、そう言ってラボを立ち去っていく。唐突に惜別の情が湧いてきて、私の心の中まで暗闇が張り詰めてきた。

 私は富永ちゃんとは反対方向に向き、就寝するために宿直室へと向かった。私の進む先には、いつも三人が居た研究室が見える。まだ灯りが点いていて、謎の物音も聞こえてくる。天間くんは何の作業をしているのか。疑問は浮上しても、それを確かめるのが怖くて躊躇われた。


 明日の遠征に備えて、女子二人はそれぞれの場所へ。二人が通った道のりの灯りが、数十秒だけ全て灯り、暗澹たる夜を迎えた。

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