第2話

 ある日のこと、アンネマリーが突然泡を吹いて倒れ込んだ。その日は丁度ヴィオレットが休暇を取っており、毒味をする人間がいなかった。コップの水を一口飲んで倒れたアンネマリーに周囲は慌てふためくばかりであったが、異常を察知したエルガーが駆けつけたお陰もあり、アンネマリーは大事には至らなかったという。


 その話を聞きつけたヴィオレットがアンネマリーの部屋に駆けつけたのは夕暮れ時だった。慌てて王城へ向かったヴィオレットの息は荒く落ち着かなかったが、対照的にアンネマリーはベッドの上で穏やかな寝息を立てており、ヴィオレットは胸を撫で下ろした。

 ヴィオレットの様子を見ていた若いメイドが恐る恐る口を開く。


「アスターさん、申し訳ありませんでした……」

「へ?」

「わ、私が、毒味をしていれば姫様はこんなことには!」


 メイドの言う通りではあるが、今時毒味など使用人に無理強いできる訳がない。ヴィオレットは優しい笑顔をメイドに向ける。


「起こってしまったことは仕方ありません。ただ、今回のことで、アンネマリー様に悪意を向ける人間がいることは勤めの浅い貴方にもわかったと思います。これからは、どうかアンネマリー様の周囲に気を配ってください」

「は、はいっ」

「それで、今回の件で怪しい人間は見ませんでしたか?」

「い、いえ、私は……あ、でも先輩達の中で怪しい人がいるって噂になっています! でも、その……」

「誰ですか?」


 ヴィオレットはなぜか言いにくそうにするメイドの言葉を促す。すると彼女は小声で怪しい人物の名前を言った。


「その……シュヴァルツ宮中伯です」


 シュヴァルツ宮中伯とは、エルガーのことだ。ヴィオレットの直属の上司であることから、メイドは言い出しにくかったのだろう。しかしヴィオレットは気にしなかった。彼がアンネマリーを傷付けるとは考えられないからだ。しかし、火のない所に煙は立たない。ヴィオレットはそう噂されるようになった経緯をメイドから聞き出すことにした。


 話を聞き終えたヴィオレットは、王城内にあるエルガーの執務室へと向かった。メイドの話によると、アンネマリーが倒れるきっかけとなったコップと水差しを持ち帰って処理したことで疑いの目が向いたという。これ以上毒物が危険思想の人間の手に渡る前にとの行動だと言っていたそうだが、メイド達は人当たりの悪いエルガーを信じることができなかった。


「エルガーさん……」


 ヴィオレットは執務室の扉の前で一つ溜め息を吐いて、そして扉をノックしようと腕を曲げる。そうやって扉に打ちつけるだった筈の手は、何にも触れなかった。丁度内側から扉が開いたのだ。


「――こんなところで何をしているのですか?」

「アンネマリー様のことで、少しお話を伺いたくて」

「貴方まであらぬ嫌疑を掛けられてしまうかもしれません。少し日を開けましょう」

「しかし……」

「三日の内に、毒物の入手ルートを特定してください。その間、貴方に休養を与えます。できますね?」


 エルガーの黒い双眸に映り込んだ自分の顔を見たヴィオレットは表情を引き締める。もう日は沈み、夜の時間だ。これは、仕事である。ヴィオレットが頷くことでエルガーの問いに答えると、彼はヴィオレットのコートのポケットにそっと液体入りの小瓶を入れた。説明などなくとも、ヴィオレットにはそれが回収した毒物であろうことがわかった。

 小瓶を受け取ったヴィオレットが踵を返すと、エルガーが珍しく大きな声を出す。


「今の貴方と話すことなどありません! アンネマリー様のことで胸を痛めているのなら休暇をやりましょう!」


 その言葉に人目が集まったことを察知したヴィオレットは「失礼します!」と吐き捨てて王城から立ち去る。エルガーは自分に疑いの目が向かないようにしてくれたのだった。




 屋敷に戻ったヴィオレットは、早速、毒を調べることにする。

 換気をしながら、小瓶の液体を少し皿に垂らして下から火で水分を飛ばせば、皿の表面に白い粉がついた。それを集めたヴィオレットは、そこから詳しく成分を見ていくことにした。

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