◆3
遅めの朝食を終えたアデルは、満腹にはなったけれど、心細くてジーンにはいつまでも部屋にいてほしかった。しかし、ジーンは仕事があるからと言って無情にも去っていった。
仕方なく部屋で大人しくしていると、マンチェスター警察が訪ねてきた。犯罪捜査課の警部とその部下である。
くたびれたコートを着た、顔の長い、いかにもな中年がバクスター警部と名乗った。後ろにくっついている青年が部下のケードだと言う。ケード刑事は栗色の髪をぴっちりと撫でつけて、一見インテリ臭い。
アデルはソファーに腰かけながら、向かいに座る警部たちと話す。
ジーンの相手をするほどには気が張らなかった。何故なら、明らかにデレッとしていたからだ。
「あのメイドの女性の死因はなんでしたの?」
アデルの方が主導権を握って問いかける。すると、バクスター警部が鷹揚にうなずいた。
「ええ、中毒死でした。砒素の」
やはり毒だ。それならば、自ら飲んだと考えるべきか。
「自殺なのかしら?」
「それはまだなんとも言えませんが、やっこさんが飲んだ量は致死量をゆうに超えてましてね。苦しかったことでしょうよ」
やはり、自分で飲んだという線が濃厚なのだろう。そうなってくるとアデルが想像したように、アデルが原因で恋人と喧嘩になり、その腹いせにアデルの部屋で毒を煽ったと、そういう話なのだろうか。考えてゾッとした。
しかし、そんなアデルの様子に、バクスター警部は急に真顔になった。先ほどまでの締まりのない様子が消える。
「……念のためにお聞かせ願いたいんですが、あんたが砒素を持ち歩いていたということは――」
「ありませんわ」
即答した。そんなものは持っていない。
大体、一昔前とは違うのだ。そんな劇薬が簡単に手に入るご時世でもない。
バクスター警部は慣れているのか淡々と続ける。
「それでは、あんた自身が狙われていたとしたら、心当たりはありますかね?」
「え……?」
アデルが愕然としてしまったのは、その可能性を疑わなかったからだ。狙われていたのはアデルだという線を。
「わ、私は……」
この時、ケード刑事が手帳を開きながらそこに書かれていることを読み上げる。
「被害者ノーマ・ガードナー、十八歳。ここで働き始めて約半年――」
その情報はすでにジーンから聞いて知っている。
ケード刑事は続けた。
「あなたが発見した時、死後一時間と経っていなかったようです。水差しの水も飲んだらしく、口紅のついたグラスが割れずに転がっていました。この水で砒素を飲みほしたのは明らかです」
そこまでわかっているのなら、やはり自殺ではないのか。
他殺だとするなら、どうやって毒を飲ませたというのだ。その時、部屋にノーマの他に誰かがいたのだろうか。それにしたって抵抗するだろうに。
「部屋を調べさせて頂きましたが、他に毒は見つかりませんでした。被害者が飲み干した分だけしかなかったということでしょう。しかし、あれはあんたに飲ませようとしたのかもしれない。その可能性も念のために疑ってみようと思いまして。あんたに持病があって、薬を常時服用しているなんてことは?」
バクスター警部の目がきらりと光るようにアデルを見据える。
アデルは大げさなくらい首を振った。風邪薬だってここ数年、飲んだ覚えがない。
「ちなみに、人から恨まれている覚えは?」
恨みを買わずにこれまで生きて来られたかと問われると、逆恨みも含めて何かはあるだろう。そんなものは誰にだってあるはずだ。
アデルは家も裕福で、その上この美貌だ。妬まれやすいのである。
――と、昨日までなら堂々と言っていたかもしれないが、そんなことを言ったらジーンに鼻で笑われそうだ。
ある男性がアデルに気があるとわかれば、アデルはその人の前で別の男性と親しげにしてみたりする。男性たちがアデルの取り合いをしてくれるのが嬉しくて、ついそんなことをしてしまっていた。可愛さ余って憎さ百倍というわけで、それが殺害理由になり得たりするだろうか。
紳士の顔の裏で、移り気な小鳥の羽をもぐような残忍なボーイフレンドがいたら――。
それとも、誰もが心のうちに残忍さを秘めているものなのか。
「だ、男性からよく言い寄られて、その、お断りしたら気を悪くされた……なんてこともありましたけれど……」
非常に控えめに言った。冷や汗をかいているから、何か隠していると思われたかもしれない。
ジーンに負けないくらい、バクスター警部は冷ややかに、へぇ、とつぶやいた。
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