第3話

「ニケちゃんは、その日がいつだったか覚えている?」

「寒の月の三日」

「時刻は?」

「夕と宵の境目の時」

「その時、私はどんな格好をしていた?」

「紺色のドレスで、スカートの裾に三色のエニナの花が刺繍されていて、レースは純白。襟元にはシュナウザー公爵家の家紋、胸元には白い鳥のブローチ、ネックレスは真っ青な深海の石」


 淀みなく答えるニケに、ミレリーがフレックの手を強く握る。白く変色していく指先が、小刻みに震えていた。


「……リズレット様は、その時のことは覚えていますか?」

「いいえ」


 フレックの問いに、ゆっくりと首を振る。

 それが今年の話だったとしても、今は朧の月だ。数か月前の寒の月の三日にどんな服を着ていたのかなんて、さすがのリズレットも覚えてはいない。しかし、ニケが言った通りの服を持っているのも確かだ。


「でも……ニケちゃんの言っていることは、本当です」


 ミレリーがおずおずと口を開き、フリックが何かを言いたげに彼女の手を引っ張る。先ほどまでとは違い、フレックの顔には警戒心が浮かんでいた。


「大丈夫よフレック、リズレット様もニケちゃんも、良い人だから」


 穏やかに諫められ、フレックがわずかに警戒を緩める。しかし青い瞳の奥は、こちらの様子を注意深くうかがっていた。


「ニケちゃんの言っていることが本当だと、断言する理由を聞いても良い?」


 躊躇うようにミレリーが目に手を当てると、ゆっくりと開いた。透き通った美しい色に、リズレットの目が釘付けになる。色自体はフリックと同じなのだが、輝き方が違っていた。


「信じていただけるかは分からないのですが……。私の目は、物を見ることができない代わりに、目の前の人間が嘘を言っているのかどうかが分かるのです。同時に、その人が良い人なのか悪い人なのかもわかるんです」

「なるほどね。それは、声で判断しているのよね」

「……はい、そうですが……どうしてわかったんですか?」

「目が見えないなら、音で判断しているのかなと思っただけなのと……」


 リズレットはそこで言葉を切ると、フレックに目を向けた。当然彼も、ミレリーが声で相手の善悪や虚実を判断していることは知っているはずだ。それならば、ミレリーが連れ去らわれた際の違和感に気づいているはずだ。

 じっと見つめていると、険しい表情で眉根を寄せたフレックが、諦めたようにため息をついて軽く首を振った。


「リズレット様のご想像の通りだと思います。姉の目のことを知っているのは、数人しかいません。ギルボード男爵にも言っていませんでしたから」

「まあ、言ったところで彼なら信じないでしょうね」


 ギルボード男爵は、理論的でないことが大嫌いだった。科学の狂信者で、魔女を毛嫌いしている一人でもあった。

 ミレリーの目のことを伝えても、嘘つき呼ばわりをして怒り出し、魔女の信者だと言って放り出すだろう。結果として、伝えても伝えなくとも、姉弟がギルボード男爵家に残ることは出来なかったのだ。


「それなら、目のことを知っているのは誰なの?」

「俺と母と……アンリおばさん」

「アンリおばさん?」

「姉に針仕事を持ってきてくれていた、隣の家の人です」


 フレックの表情が翳る。彼は、ミレリーを売ったのはアンリだと思っているようだが、リズレットはそうは思えなかった。


「ミレリーちゃん、例えば私が今嘘をついたとして、あなたにはわかるのよね?」

「はい」


 それを確かめるためには、何か嘘をつかなくてはいけないのだが、リズレット・シュナウザーだと判明している今、適当な嘘をついたところでそれが彼女の能力によるものなのか、元から知っていた知識によるものなのか判断が難しい。基本的なシュナウザー家の情報は公開されているものも多く、非公開のものであっても少々口の軽い使用人たちから漏れている可能性もある。

 シュナウザー家最大の秘密はリズレットが十三番目の魔女から祝福呪いを受けていることで、これに関しては徹底的に秘密厳守を課しているが、この場では何の役にも立たない。


(それに、どんな質問をしたところで、半分の確率で当たってしまうわ。推理の仕方によっては、半分以上の確立にもなる。連続して正解し続けるのだって、運と頭が良ければ不可能ではないわ)


 それなら、当てずっぽうでは難しく、推理をすると余計に混乱する問題を出せば良いだけだ。ミレリーが絶対に知らない情報で、常識で考えたらたどり着くことのできない、それこそ虚実を見極める目でもなければ正解できないような問題を。


「それじゃあ、確認のためにいくつか問題を出すから、ミレリーちゃんは私の言ったことが嘘か本当かを見てね。いくわよ……私には、婚約者がいる」

「本当です」


 この問いだけは、考えればわかる。いくら祝福呪いを受けているとはいえ、シュナウザー公爵家の令嬢なら婚約者の一人や二人くらいいるだろう。もちろん、一人しかいないが。


「それは、エグルース男爵家の人である」

「嘘です」

「クラネルト子爵家の人である」

「嘘です」

「アイマーロ辺境伯の人である」

「嘘」


 いくつか貴族の名前を挙げていくが、ミレリーは全てに嘘だと判断を下した。

 リズレットは先ほどまでと同じ速度と声色になるように気を付けながら、その名を口に出した。


「それは、グレアム王家の人である」


 ミレリーの目が大きく見開かれ、しばし息を飲んだ後で「本当です」とささやいた。

 隣に座るフレックが、姉と同じ顔でこちらを見ている。


「う、嘘です。だって、ヘンリエッタ様とリズレット様は二つしか違わないじゃないですか。ヘンリエッタ様の婚約者は、スレイド伯爵家のランドルフ様ですよね? グレアム王家の三人の王子は婚約者を明らかにしていませんが、それでも長女のヘンリエッタ様を飛び越してリズレット様と王子が婚約を結ぶなんて……」

「普通はあまりないわよね。でも私の場合は、家と家との婚約ではないから」


 深い事情があるのだとにおわせれば、フレックはそれ以上聞いてこなかった。貴族社会は複雑怪奇だと言いたげな表情で口を閉じた。

 フレックの言うとおり、姉が伯爵家の長子と婚約をしているという情報を知っていれば、リズレットが王家と婚約を結んでいるとは思わないだろう。しかし、貴族たちの名を連ねていたのに突然王家の名を挙げたことに違和感を抱いて正解を導き出したということもありうる。

 だからこそ、次の質問はミレリーが本物でなければ答えることのできないものを選んだ。


「私の婚約者は、グレアム王家の第一王子バルタザール様である」

「嘘です」

「私の婚約者は、グレアム王家の第二王子ロベルト様である」

「……嘘、です」


 ミレリーが一瞬だけ戸惑ったように視線を揺らしたのを、リズレットは見逃さなかった。


「私の婚約者は、グレアム王家の第三王子イグナシオ様である」

「嘘です」


 きっぱりと言い切った後で、ミレリーが困ったように額に手を当てる。グレアム王家には三人しか王子がいないのを知っているからこそ、自身の目に疑いを抱いているようだった。

 しかしそれは、彼女の目が本物であることをリズレットに確信させた。


「ど、どう言うことなんですか? もしかして、グレアム王家には四人目の王子がいるんですか? それとも、リズレット様は王子以外の人と婚約を……?」

「いいえ。私は、グレアム王家の王子を婚約しているわ。そして、王子は三人しかいない」

「……本当です」


 フレックが口にした疑問を、ミレリーが否定する。

 リズレットは口元に笑みを浮かべたまま、最後の問題を口にした。


「私の婚約者は、グレアム王家のロベルト様である」

「……何言ってるんですか、リズレット様。第一王子はバルタザール様ですよ。ロベルト様は第二王子……」

「本当です」


 フレックの言葉を遮って、ミレリーが断言する。その顔には強い困惑が浮かんでいたが、口調ははっきりとしていた。


「リズレット様の婚約者は、グレアム王家のロベルト様です」


 リズレットはミレリーに向かって、頷きながら微笑んだ。その笑顔ですべてを伝えた気になっていたが、彼女は目が見えないのだ。言葉にしないと、伝わらない。


「正解よミレリーちゃん。凄いわ、その目は本当に虚実を見極めるのね」

「……ど、どう言うことなんですかリズレット様? だって、グレアム王家の第一王子は……」

「そんなことより、ミレリーちゃん。私は今、たくさんの嘘をついたけれども、まだ善人に見えているのかしら?」

「えぇ。些細な嘘をついたところで、良い人が悪い人に変わることはないですね」

「なるほどね」


 リズレットは淡い桜色の唇に人差し指をつけると、プニプニと押した。考え込むときについやってしまう、悪癖だった。やめたいと思っているのだが、無意識のうちにやってしまうのだ。

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