第18話 犠牲者

 それは小さな手掛かりだった。


 ミラ先輩の手帳を解読していると、トジのあげたマグカップが出てきたのだ。


「宝物にしよう。とは。そこまで大切にしてくれていたのじゃな」


 嬉しいと思うと同時に、不思議に思う。


「それが何故、リージョのおばあさんの元へ?」


 考えられるのは、宝物ではなくなったから。


「……ワシが去ったからかのう」


 あれは言わば、裏切りだった。


 ミラ先輩には何も相談せずに、研究も中途半端なまま出ていったのだ。


 トジは、ミラ先輩にたった一言だけ伝えた。


「ミラ先輩。ありがとうございました」


 たった一言。


 それだけで伝わるはずがないのに。どこか望んでいた。


 そして、ミラ先輩は望み通りの言葉を言ってくれた。


「やり直そう。君がやるべき研究だわ」


「無理ですよ」


「私が一緒に行ってあげる。だから―――」


 最後まで聞かなかった。


 頭を下げて、それから一度も振り返らずにトジは去ったのだ。


 思い出すだけで、羞恥や後悔に叫びだしたくなる。


 もしもあの時、ミラ先輩の言葉に従い、やり直したとしたら。


「……考えるだけ無駄じゃな」


 可能性は限りないほどある。


 しかし、現実に起こる可能性はゼロ。


 なぜなら、それは過去であり、過去とは決して取り戻せないものなのだ。


 例え、若返ろうと、過ごした時間は無くならない。


 溜息と共に、嫌な想いを吐き出して、手帳へと戻る。


 窓の外には黒い雲が覆っており、丁度ポツリと雨が降り出した。


 最初は小さく。次第に大粒の雨が図書室の窓を叩いていき、集中力をそがれたのか人が減っていく。


 雨のせいかどこか肌寒く感じながら、トジは気になる一文を見つけた。


「神人と呼ばれた。彼女は私のことを神人として崇めるらしい」


 どうゆうことだろうか。


 ミラ先輩が誰かに、神人と呼ばれ崇められていたとは気づかなかった。


 そもそも、神人とは何なのだ。


 言葉通りの意味に取るなら、神のような人。もしくは神のそのもの。


「ミラ先輩の天才さが、そうさせたのか」


 満月のような黄金色の髪も、確かに女神のような美しさと言える。


「じゃが、どこかで聞いたな」


 神人という言葉が、最近どこかで出ていたはずだ。


 だが、それがどこでだか思い出せない。


 とりあえず、手帳を読み進めると、また気になる箇所を発見した。


「神人。彼女がそう言うなら、それもいいかもしれない。もしかしたら、利用できそうだ。ふむ。ミラ先輩は何かを企んでおったのか?」


 この時はまだ、トジも学園におり、ルソ・クラブを立ち上げてから数ヶ月経った頃だろう。


「そんな風には見えなかったが……」


 元々、何を考えているのか分かりにくい人だった。だんだんと一緒にいる時間が長くなるにつれ、何となく予想はつくようになったが、それでも時折突拍子もないことをして、トジを驚かせていた。


 そんな人が、腹で何を考えていたのか。見破ろうとするだけ無駄な気がする。


「ともかく、事実を集めるとするか」


 だが、今日はそれ以上の手がかりを見つけることが出来なかった。


 神人と何かを企んでいたこと。


 その二つだけだが、余りにも小さな手掛かりである。


「……本当はただ遊んでいるだけじゃなかろうか」


 ミラ先輩ならあり得る。


 自分のいたクラブや、どこかでトジや誰かが手帳を見つけることを見越して、謎を残しておく。


 秘密を暴いた者には褒美に何かを上げよう。


 つまり、宝探しゲームである。


「……否定できぬな」


 やりそうである。


 まあ、だとしても、ここで投げ出すことはない。


 宝探しなら、宝探しで、ミラ先輩の残したものを探さなければならない。


 何故かと問われると説明が難しいが、トジがやるべきだと感じたからだ。


 図書室から大雨の中、廊下を通り寮へと歩く。


 黒い雲は分厚く、雨音は止む気配がない。


 もう少しで雷でも落ちてきそうな雰囲気である。


 薄暗い廊下には誰もおらず、それこそ幽霊が現れそうなほど、ひんやりと肌寒い。


 少しだけ早足になりながら、裏庭に通っている廊下を行く。


 裏庭に通るくらいなので、窓はなく、いっそう寒く、端にいないと雨が当たってしまう。


 その道が近道なので仕方ないが、こんな雨の日には人っ子一人いないはずだった。


「なんじゃ?」


 雨音の中に大勢の足音が混ざっている。


 耳を澄まさなくとも聞こえるざわめきが聞こえてくる。


 ここは外と通じる廊下で、橋にいなければ雨が当たってしまう。そうでなくとも、あまり人通りの多い廊下ではないはずだ。


 なのに、何故か今日に限っては、この廊下に人が殺到していた。


「なんじゃ、何があったのじゃ」


 ざわめきはどうやら、廊下の中心に集まっていくようである。


「なあ、あれって」


「呪いかな」


「誰かのイタズラだろ」


 そんな声を拾いながら、トジは人の間を縫って騒ぎの中心へと向かう。


 何かを囲むように、一定の距離をあけて、何かを見ている。


 何か。


 一瞬、銀色の何かが見えた。


 力ずくで押しのけ、その何かを見る。


「リージョ!」


 磔に。


 色素の抜けた銀色の髪が四方八方に広がり、両手はだらんと持ち上げられ、瞳の焦点はあっておらず、けれどいつもそれとは違い、どこも見ていない。


 開かれた瞳は夢を見るように虚ろで、宙に浮き、壁に磔になっている。


「リージョ!」


 境界線でも引かれているように誰も近づかない彼女へ、トジは近寄り、触れようとする。


「触ってはいけません」


 それを止めたのは、カルノ・スーリストであった。


「なぜじゃ! リージョを助けなくては」


「彼女にどんな魔法が掛かっているか分からない。下手なことをして悪化させる可能性もあります。もうすぐ医務室から人が来ますから、それまで我慢してください」


 思わずトジは、カルノ先生を睨んでいた。


 睨みながら、それが正しいと歯がゆい思いをする。


 悔しいが、カルノ先生の言う通り。


 だから、何かできることがないかと、磔になったリージョを見る。


「……この磔は浮遊術じゃ。降ろすのは構わないかの」


 自然と語気が強くなる。


「いいでしょう」


 カルノ先生の返答を聞く前に、トジは唱えていた。


『ナィ・ハヲ・ンスニソハルネモ・ハヲルソ・リロケ・ラワムリ』


 しかし―――。


「効かない」


 リージョは未だ磔の状態で宙に浮いている。


 それを見ようと今も人が増え続けている。


「見るでない! 散れ!」


 トジが叫ぶと同時に、医療魔術に長けた先生が来てくれた。


 少しだけ安心して、リージョを任せようとしたが、先生は言う。


「降ろせません」


「なに?」


「私がやりましょう」


 カルノ先生が進み出て魔法を唱える。


 しかし―――。


 リージョの身体は微動だにしなかった。


 何度か解除魔法や浮遊魔法。他にも魔法を使ったが、リージョは磔の状態のままである。


 カルノ先生は僅かに、呆然としたようだった。


 痺れを切らしたトジは、先生たちを無視して大杖を振るう。


『ウィ・ヒリ・ウルヒモ・ヒリルソ・シビオ・ラワムリ!』


 何かが弾ける音がした。


 空中に亀裂が入ったかのような音と衝撃が、集まっていた人を押し倒し、雨すらわずかの間退ける。


 そして、ゆっくりと、磔になっていたリージョが落ちてくる。


「リージョ!」


 彼女を受け止め、声をかける。


「リージョ! ワシじゃ。トジじゃ」


 今や瞳は閉じられ、身体にも力が入っておらずトジの腕の中で、だらんと垂れている。


「リージョ、リージョよ。ワシじゃ。トジ・ウジーノじゃ。目を覚ますのじゃ」


 必死に声をかけた。


 だが、リージョは目を瞑ったまま開かない。


 カルノ先生が、医務室の先生に目配せをする。


 トジからリージョを引き離そうとした時、


「ン―――んン」


 ゆっくりと、リージョの瞳が開かれる。


「アレ? どうしたノ?」


 寝ぼけているような声でそう言った。


「リージョ!」


 トジの瞳から涙が零れ、彼女を抱きしめる。


「トジ? なんデ? 私、ゆめ、みてル?」


「良かった。良かった」


「ゆめでも、いいヤ」


 リージョもトジを抱きしめた。


 それは先ほどまでのだらんと垂れた腕とは違い、確かに力がこもっている。


 しばらく抱き合って、トジはようやく落ち着きを取り戻した。


「リージョよ。今は医務室へ行くのじゃ」


「ナんで?」


「理由は後から聞くがよい。とにかく、行くのじゃ」


「……わかっタ」


 こくんと頷いて、ふらふらと立ち上がり、医務室の先生と共に歩いて行った。


 その姿を見送っていると、カルノ先生が声をかけてくる。


「トジ君。今のは……」


「話は後じゃ。それよりも―――」


 先ほどまでトジは、リージョが心配で他のことが見えていなかった。


 しかし、リージョが去っても人垣が全く減らず、むしろ増えてきている理由が分かっていた。


 リージョが磔にされていた壁。そこにはこう書かれていた。




 祭礼は開かれる。秘宝を差し出せ。さもなくば―――。




 さもなくば。その文字のところに、リージョは磔にされていた。


「先生はどう思うのじゃ」


 カルノ先生は動揺しているようだった。


「……秘宝。祭礼。いや、そんな馬鹿な」


「何か、知っておるのか」


「……トジ君。君こそ何か知らないのかい」


「先生が知らないということは、ワシも知らないということじゃ」


「……そうですか」


「行ってもいいですか」


「はい。リージョさんを助けてくれて感謝します」


「よい。友人を助けるのは当然じゃ」


 トジは足早にその場を去る。


 壁に書かれた文字を見ようと増え続ける生徒に、カルノ先生が散るように言っているのを背後に、医務室へと急ぐのだった。

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