第五章 魔道研究所襲撃
第1話 侵入
それは、研究所という名におよそ似つかわしくない外観だった。
石造りで、半ば山と同化して見えるその建物は、砦か
石垣の隙間にある細い道を塞ぐように、頑強な門が建てられている。
魔導研究所を落とそうと思ったら、まずこの門を突破しなくてはならない。
「止まれ」
俺たちは門の手前で、見張りの兵に呼び止められた。
砦の隙間から、弓兵が俺たちに狙いを定めている気配がする。
二名の兵が威圧的な気配でこちらに近づいてきた。
しかし、俺の姿を目にするなり、顔をこわばらせる。
「そこをどけ」
俺は、彼ら以上に威圧的な声で返した。
兵たちの顔に、困惑の色が浮かんだ。
門を通していいか迷う内心が、手に取るように伝わる。
魔族の生態を研究する魔導研究所は、その存在自体が公には
たとえ諸国の
ただ、唯一の例外となる人物がいた。
「しょ、所長……。いつ外出を?」
兵の一人が、おそるおそる問いかける。
魔導研究所所長、魔導士ハイカル。
彼らの目には俺の姿は、そう映っているはずだ。
シャンナの幻術の成果だ。
化ける相手を明確にイメージさえできれば、短時間、その人物そのものの姿を取れるとシャンナは請け負った。
彼女の術の精度は疑っていない。
あとは、俺の演技力次第だった。
「見て分からんのか!? 魔族の女を二人生け捕りにしたと聞いたからな。検分に行っていたのだよ」
「所長御自らですか?」
「無傷の女魔族二人だぞ! これがどれだけ稀少なものかキサマに分かるのか!? 人任せになどできるはずがなかろう!?」
俺は口角泡を飛ばす勢いで、見張りの兵に食ってかかった。
片手には、イブナとシャンナを縛り上げた縄を握っている。
この縄も重要な役を果たしていた。
後ろ手に縛られたシャンナは、縄の端を手の中に握り、魔力を送り続けていた。
この縄を通じた接触がなければ、幻術は途切れてしまう。
「で、では合言葉を……」
「そんなもの一々私が覚えるわけなかろう!?」
ハイカルは、ほとんど地下の研究室にこもりきっている。
魔族の研究以外に一切関心を持たない男だ。
軍の規則に従うこともない。
俺は一瞬考える素振りを見せ、さも今思い出したかのように合言葉を口にした。
俺が勇者隊の隊長だった頃、もう数か月も前のものだ。
定期的に合い言葉は変えられており、本来であれば通用しないはずだが……。
「どうだ、これで満足か! 通るぞ」
俺は一方的にまくしたて、イブナたちを引きずるように門の内側へと強引に足を踏み入れた。
どれが最新の合言葉であるかなど忘れてしまった、という
「……せめて、身体検査を」
「ええい、汚れた手で貴重なサンプルに触るな! 公国の連中に言って、キサマらの首を全員実験材料にしてもいいんだぞ!?」
「し、しかし……」
なおも押しとどめようとする男の手を、もう一人の兵が制し、肩をすくめてみせる。
身なりからして、最初に詰問してきた兵より階級は一つ上だろう。
“これ以上狂人の相手をしてもムダだ”と、その表情が語っていた。
俺は、もう見張りの兵の存在など忘れてしまったかのような態度で、砦の坂を上っていく。
ところどころに石垣がそびえ、侵入者を迷わせる造りになっているが、俺は記憶を頼りに、足をとどめることなく進む。
その自信たっぷりな挙動が、俺がハイカルである
少なくとも、初めて足を踏み入れる者ができる動きではない。
内心、胸をなでおろす。
魔道研究所の秘密主義的な性質と、ハイカルの奇矯な性格が幸いした。
無論、失敗した場合、次善の行動も取り決めてはいたが、そちらはかなり強行突破に近い。
魔族を引き連れている以上、当然兵たちの警戒の目はあったが、露骨に弓槍を向ける者はいない。
とうとう、俺たちは建物の内へと足を踏み入れた。
目指すは地下の実験場だ。
そこに保管した魔核もあり、本物の魔導士ハイカルもいるはずだった。
砦の通路や部屋にも、兵の姿は少なくない。
その中の一人が、すれ違いざま俺たちを呼び止めた。
将校格とおぼしき身なりだった。
「待て。所長は今研究室にいるはずだ。キサマ、何者――」
彼の首は、言葉の途中で胴と別れを告げた。
振り向きざまに、俺は彼を一刀のもとに斬り伏せる。
「イブナ、シャンナ!」
手を放すと、縄はぱらりとほどけた。
一見きつく縛り上げたように見えるが、俺とイブナ、シャンナが手を放せばすぐにほどける結び方をしていた。
俺も元の姿に戻ったはずだ。
俺とイブナは同時に動き、相手が反応する前に周囲の兵を斬り伏せていく。
ハイカルの姿で、屋内まで侵入できれば上々だった。
どのみち、シャンナが幻術を維持するのも、そろそろ限界のはずだ。
「侵入者だ!」
誰かが声を上げ、次々と武装した兵たちが姿を現す。
一挙に騒然となった。
「あれは反逆者マハトだ!」
「魔族の戦士もいるぞ!」
そんな声も飛び交っていた。
「こっちだ!」
俺は相手を斬り伏せながら、イブナたちを導く。
「シャンナ、大丈夫か?」
「え、ええ、なんとか……。もう、戦力とはなれませんが……」
「ああ、よくやってくれた」
イブナが、半ば抱えるようにしてシャンナを引っ張っていた。
もう片方の手では、細剣を振るい続けている。
矢が射かけられてきた。
斬り伏せた遺体を盾に、剣で払いながらそれを防ぐ。
階下に進むと、奥の兵は表の者たちより精強だった。
数合斬り結んだ後、俺は距離を置き、炎の魔術を彼らへと放った。
「バカな、こんな場所で!?」
爆風とともに炎が燃え広がり、彼らは浮足立つ。
狭い屋内で使えば当然、炎はこちらにも返ってくる。
だが、俺たちに届く直前、イブナの張った結界がそれをはばんだ。
これも、あらかじめ決めていた戦い方だった。
爆炎が止みきらないままに、俺たちは敵陣へと突っこんだ。
我知らず雄叫びを上げていた。イブナの声も聞こえる。
さすがに、すべての槍や矢を交わしきるのは不可能だ。
腿や肩に傷を負うが、かまわずに進んだ。
二人で、シャンナのことだけは守りきる。
「もう少しだ。あの奥に研究所に続く階段がある!」
「ああ。シャンナ、わずかのあいだ手を放す。ついてきてくれ」
「はい!」
俺たちは、前後から押し寄せる兵たちを斬り伏せ進む。
死骸の果て、奥への道が抜けた。
そう思った瞬間――、
殺気を感じ、俺は後ろに跳んだ。
紙一重の先を銀の閃きが薙いだ。
明らかに、これまでの相手とは一撃の鋭さが違っていた。
態勢を整え、俺は相手の姿を見た。
「……ジジン。何故ここに!?」
「その言葉、そのままお返しする。マハト殿、よもやこのような場所で再会するなどとは思いも至りませんでしたぞ」
その姿を忘れるはずもない。
研究室へと続く階段の手前にいたのは、勇者隊の一員。
影のジジンと呼ばれる男だった。
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