第2話 戦火

 雨にぬかるんだ土を蹴りあげ、崖を駆けおりる。

 ほとんど転がり落ちているのと変わりなかった。

 けれど、勢いを止めるわけにはいかない。


 妖魔たちに気づかれる前に街へ着かなければ、奇襲の意味を為さない。

 険しい地形ではあったが、鎧を着てこれを駆け下りられないような者は勇者隊にはいない。


 果たして――。

 ウオオォォン。

 市壁まで目と鼻と先というところで、甲高い遠吠えが聞こえた。

 魔族たちよりなお鋭敏えいびんな嗅覚の持ち主である下級の妖魔――魔犬の上げた、警戒の吠え声だった。ついで――、


「敵襲ー!」


 魔族の騎士が上げたとおぼしき、警告の声。


「ちっ、気づかれたか!?」


 俺の横で、ヴェルクが忌々しげに吐き捨てた。


「勢いを止めるな! このまま突っ込むぞ」


 俺は隊全員に向けて声を張り上げた。

 まだ、奇襲が失敗したわけじゃない。

 相手が態勢を整える前に、一気に戦いを仕掛ける!


「おおおぉぉ!!」


 敵に気づかれた以上、もはや息を潜める意味はない。

 己の心を――そして、隊員全員の闘志を奮い立たせるため、腹の底から雄たけびをあげた。

 みなのあげる声が呼応し、怒涛(どとう)のように返ってくる。

 戦いを前にして、抑えがたいほどに血が湧きたつ。

 雨に濡れて冷えた全身が、燃え上がるような熱を帯びた。


「行くぞッ!」


 湧きあがる熱気を堪えきれず、叫んだ。

 一番槍は俺のものだった。

 英雄と讃えられ、勇者隊の隊長に祭り上げられたいまでも、隊の後ろでふんぞり返って指揮を執るなんてやり方は性に合わない。

 ひとたび戦場に出れば、俺は一介の戦士でしかなかった。

 敵を求めて、市街を駆ける。


 市壁の内へと足を踏みいれた俺に真っ先に立ち向かってきたのは、先ほど警鐘の吠え声をあげた魔犬だった。

 犬、というよりもその体躯は狼に近い。

 人の背丈を越す全身を覆うのは、夜闇のような漆黒の体毛。

 この雷雨の中では、巨大な影がうごめいているように見えた。

 そして、それが自然のことわりから外れた生物であることを示す、眼窩(がんか)に燃える昏(くら)く紅い瞳だけが、暗闇に浮かび上がるように光って見えた。

 異形と呼ぶにふさわしい妖魔の姿。


 だが、”魔”の名を冠していようと、しょせんは犬。

 こんな雑魚相手に手間取ってやれるほど、俺たちには時間はなかった。


 魔犬が鋭い牙を剥き出し飛びかかってきた。巨体に似合わない駿足しゅんそくだが、俺にはその動きが読めていた。逆に蹴りあげ、迎え撃つ。

 ぎゃっ、と短い悲鳴を上げ、魔犬の重い体躯が宙を舞った。

 カウンター気味に、蹴りがまともに腹に入った。

 俺たちの戦い方は、上品な騎士たちの者とは程遠い。

 魔の者を相手にするのに騎士道精神を守る理由も、どこにもない。


 魔犬は尻もちを着くことだけはなんとか避けて、不格好ながら四肢を持って着地した。ぐるるると喉の奥で唸り声をあげる。

 紅い瞳には、射殺さんばかりの敵意が燃えていたが、そんなものに委縮する俺じゃない。

 さらに、顎先を俺に向け、口から灼熱の炎を吐きだした。


 ――だが、それも想定内。

 俺は背のマントを持ち、己の身をくるむ。

 魔力加工を施したマントは、魔犬の炎の吐息フレイム・ブレス程度なら十分に防いでくれる。

 肌をちろちろと熱が舐めるが、火傷を負うまでには至らない。


「はッ!」


 俺は一息に間を詰め、ブレス攻撃の後で一瞬硬直した魔犬の懐にもぐる。

 同時、腰の鞘から長剣ロング・ソードを抜き放ち、すれ違いざまに斬りつけた。

 俺が勇者と呼ばれるようになってから賜った、稀代の業物わざものだ。

 銘の名は"終焉をもたらす者エンド・ブリンガー"。

 この剣とともに、魔族との戦いに終止符が打たれることを願い、造られた逸品だった。


 剣閃が雨空に銀の軌跡を描き、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、魔犬の首が落ちた。

 宙を飛ぶ、首だけになった魔犬の紅い瞳が、恨めしげに俺を睨んでいた。


 魔犬をほふり、息を着く間もなく――。

 風がうなる轟音ごうおんが、雷雨よりも強く俺の耳に届いた。

 考えるよりも先に、俺は横っ飛びにその場を離れた。

 一瞬前まで立っていた場所に火球が着弾し、ぜた。


「くっ……」


 直撃こそ避けたものの、熱と爆風が俺の身体を襲う。

 今度はマントで防ぐ間もなかった。

 だが、こんなものは軽傷に過ぎない。


 火球が飛び来たった方を振り向くと、二体の下級妖魔が俺を睨んでいた。

 下級妖魔は、人間によく似た容姿を持つ魔族と違い、醜悪としか表現しえない姿をしている。

 一体は、苔のような毒々しい緑の肌に、やせぎすの全身。

 頭部は禿げ上がり、目は一つ目だった。

 口は耳元まで裂け、コウモリのような羽根を背中から生やしている。


 もう一体は、赤茶色の肌に、筋骨隆々の体躯。

 二つの目は白濁はくだくして狂気を思わせるもので、鋭い牙が口に収まりきらずにナイフのように飛び出している。頭部から生えた二本の節くれだったつのも、禍々しい印象に一役買っていた。

 それぞれ、グレムリンとオーガと呼ばれる種族だ。


 グレムリンは三叉の長槍のようなものを、オーガは棍棒のようなものを手にしている。

 奴らの動作を見るに、火球を放ったのは、グレムリンのほうのようだ。


「狙いは良かったが、単調過ぎたな」


 俺は妖魔に向け、不敵に笑ってみせる。

 妖魔の思考なんて表情から読めるはずもないが、憎々しげな気配は伝わってくる。


 妖魔二体。

 俺にとっても油断できる相手ではないが、怯んでもいられない。

 無傷で勝てるとは思えないが、負けるとも思わない。


 どちらも相手取ったことのある妖魔だ。

 一対一であれば、まず勝てる相手だった。

 二体同時は厄介だが、妖魔の連携は人や魔族のものほど高度なものではない。


 街のあちこちで、仲間たちの上げる雄たけびと剣戟の音が聞こえてくる。


 俺と同じく、妖魔や魔族相手に戦闘を繰り広げているはずだ。

 気配だけでも、それが激しい戦いであるのが伝わってくる。

 俺も一刻も早く、目の前の敵を蹴散らして参戦すべきだった。


「さあ、かかってこい、妖魔ども。二体同時にな」


 俺の言葉が通じたのかどうか。

 二体の妖魔は同時に地を蹴り、それぞれの武器を振りかぶった。


 降りしきる雨の中、俺と妖魔たちの構えた得物が交差する――。

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